メンタリティとの戦い

 連休に入り、道路の込み具合を報じるテレビを見ながら、なぜか夫は嬉しそうにこんなに混んでるから、早く出かけておいて良かった、もうどこにも行かないとつぶやいています。連休やお盆休みしか出かけられない時は、予約を取るのも大変でしたが、コロナ感染が始まりステイホームになってからは、出かけることは罪悪で、田舎に行くのも感染を広げるから来ないでくれと言われるまでになりました。今少し自由になって出かけていることがどういう結果になるか見当もつかないのですが、そんな悩みなど何とちっぽけかとおもうほど、ウクライナ情勢は熾烈を極めています。

 昨日の新聞の一面の見出しに、「自由の精神 恐れた独裁  国民性見誤る」とあり、ウクライナの国民的作家クルコフ氏はプーチン大統領が戦っているのはウクライナ人のメンタリティ(精神性)だと言っています。ウクライナ人は歴史的に自由を愛する個人主義の人々で、一人の指導者に従う集団主義のロシア人とは大きく異なっているのですが、プーチン氏が本当に恐れているのは自由と民主主義を信奉するウクライナが国家として成功し繁栄することで、それこそがプーチン独裁体制の脅威であり、今回の軍事侵攻は不可避だったと考えるウクライナ人識者は少なくない・・・という記事は、私の心の奥の何かと反応しました。

 レベルは全く違いますが、自由気ままに自分の心のおもむくままに個人主義で生きてきた私が、一人の家長に絶対的に従わなければならない家に嫁ぎ、ただでさえ大きな体を枠に閉じ込めて義父母の顔色だけを見ながら暮らすということはかなり厳しいものでした。ワンマンで有名な家に嫁がせたことを心配する近隣の方に、母は勝手気ままにふわふわ飛んで行ってしまう私にはあのくらい厳しい家がちょうどいいのよと言っていたようですが、サラリーマンと結婚して自由に生活している姉とは全く違う生活をしている私のことを憐れんでいたと、従姉に聞いたことがあります。

 すべて終わってしまい、義父も母も亡くなってこの広い家に夫と二人で暮らす今は、記憶力の減退と共に悪しき記憶はかすんでいますが、心の奥底に在る引き出しの中に在る感覚が、先ほどの新聞記事を読んだ時蘇りました。「何で私たちのいうことが聞けないのか」延々と続く説教と悪口の聞こえる生活は厳しかったのですが、同じ思いを持つ従業員の若者たちの愚痴を聞いて慰め合う事が救いで、苦しいと思うこと自体が異質なことでないとわかることは大事でした。みんなが同じ方向を見て、同じ考えや思いを持たなければならない、独裁的なトップに従うために自分の言動も思考もたわめてしまうことはできないし危険である、小さい家の中の事でも、トップに追従し甘い言葉を振りまいていた従業員はあっさり消え去り、義母に嫌われ陰口をたたかれてきた若者は十年勤め今も訪れてきます。どんなに圧政を誇っていても、年を取り病気をし衰えてしまえばすべてば幻影となって消え去ってしまう事を四十年かかって私は見続けてきました。本当のものは何か。いまだ模索している私は、それは心の中にしかないと思うし、死んでしまった義父の魂は本物だったと感じています。

 今息子は私に猛烈に反発して悪口雑言繰り返しているけれど、それが一番大事な感情だとわかっているから、追随されるより嬉しく、どんどんエネルギーを蓄えて欲しいと思っています。生きるか死ぬかの瀬戸際にいるウクライナの人達の踏みこたえるよすがは精神性だという、ロシアに強制移住させているという報道もあり不明なことが多いのですが、自分達に従わないなら、同じ考え方をしないなら武力を持って制圧する、私たちのいうことが聞けないのという義母に意見したら、何年間も口をきいてもらえなかったりしたこともある私にとって、考え方や感受性や価値観が違うもの同士が同じところで生きて行くことは互いに不幸だったと思いますが、私自身が火種だったということもよくわかります。ただ、こういう今までの経験が、コロナ感染や国際紛争で五里霧中の世の中が続くであろうときに、引出しの中に入っているということは強みになると感じているし、義父の言葉で家の中でも「安心してもいいが油断するな」というのは身に染みてわかります。

 何もしていない私と夫の強みは欲がないということで、見栄を張ることも威張ることも人の悪口を言うこともなく、静かに暮らしながら頼まれたりしたことは誠実に一生懸命尽くしてきたので、義母の兄弟間のトラブルも解決させたし、甥っ子さんとも親しく遊ばせてもらえるようになりました。自分の事は自分で考え、感覚や感情は大事にしながら、油断せずに他国とも交流を深め、侵されそうになったら全力で防ぐ。今は正念場でしょう。お上のいうことはあてにせず、自分の兵糧は自分で蓄えろという義父の戒めや、右の防空壕に飛び込んだ友達は爆撃され、左の防空壕に飛び込んだ母は助かったという話は、昔の事ではなくなってきているのです。