ウラー  Ура

 昨日はロシアの戦勝記念日で、大統領の演説が午後四時から日本のテレビで放映されて、たくさん並んだ兵士たちや戦車やミサイルの軍事パレードの様子が映し出されていました。ウクライナでは市民たちが暮らす場所が爆撃されていて子供たちが亡くなり、血まみれになり、家族たちが悲嘆にくれています。演説の最後に大統領が「ウラー!」と叫び、兵士たちが「ウラー」と呼応した声を聞きながら、この言葉どこかで聞いたことがあると感じ、必死で思い出そうと努力していたら、不意に記憶が蘇り、そうだ「バレエの王子様」というロシアのバレエ学校のドキュメンタリー番組で、厳しくも温かい、ちょっとオネエっぽい校長先生が、国家試験の実技が終わった生徒と写真を撮る時、嬉しくて発した言葉が「ウラー」万歳だったのでした。生徒たちのことを思い、出来る限りの指導をして来た校長は有名なバレエダンサーでしたが、成功するには人一倍の努力と自分を見つめる強い力を持つことが必要で、誰も助けてくれないステージで一人で踊り抜く胆力がなければだめだと子供たちにいつも説いていました。生徒が試験に受かって心から喜んで発した温かい「ウラー」と、大統領が空虚に叫んだ「ウラー」は、本当に同じロシア語なのだろうか、最近いろいろな国の言葉を話すゲストが来て、言語について考えていた私には、言葉に魂があり、「言霊」が宿っている時には光り輝くものになると感じられるのです。

 ウクライナもロシアもたくさんの犠牲者を出し、何も知らないロシアの軍事の指導者はあろうことか放射能の汚染地域で兵士たちに穴を掘らせ、被爆させてしまっていると言います。悲惨な映像もフェイクだと言い切る彼らのような人々はいたるところにたくさんいる、マスクもせずに戦争したらコロナウィルスに感染してしまうではないか、地球の温暖化をよりひどくしてしまっているではないか、核装備をちらつかせて脅しているけれど、恐ろしい汚染地域に兵士たちを入り込ませているではないか、これらはすべて無知から来るものだとしたら、哀れとしか言いようがないし、それに屈することは絶対に出来ないというウクライナの気持ちは、人間存在の原点なのでしょう。

 どんな状況でも人生には意味がある。ユダヤ人収容所で家族を亡くし一人生還したウィーンの精神科医V・E・フランクル氏は翌年に故郷で講演した時こんな言葉を述べました。「あらゆる理想主義が打ち砕かれた今こそ、人間として生きる意味と価値を絶対的に信じなければいけない。ナチス時代の誤った過去に学び『本当の理想像』を取り戻そう、ナチスを告発する代わりに自らの体験を次の世代が生きる糧として差し出したのです。「どんな状況でも人生には意味がある」 

 ふと、今一番つらいのは大統領ではないかと気が付きました。引くに引けないし、自分が間違ったこともよくわかっている、やっていることに大義がないのに、ある振りをして、ウラーと叫ばざるを得ない苦しさ、一歩一歩破滅の道を歩んでいる恐ろしさ、愛情も正義も何もない地獄の道を進むことの、悲惨さ。彼を守り、愛してくれる人は、誰もいない。どうかこの厳しい精神状態に一筋の光が差し込むことがあることを祈らざるを得ません。出席者の席を回り、みんなの近くに行って握手をすることが、どんなに久しぶりだったのでしょう。

 先だって行った柴又のお寺で、ドイツ人のパウラに不動明王の像について質問されて答えられなかったので、いろいろ調べていたら、京都の東寺の本に「気迫みなぎる明王の忿怒は、人間を救わんとする決意の形相である」という文章がありました。すべての衆生を救うまでは何があっても動かない。こんなにも人間を思う気持ちをすさまじく持っている仏様がいるということを、私は今知りました。自分を否定しなければ、自分の間違いを認めなければ、事態は収束しない。でも、それでもそんな自分を救おうと決意して忿怒の形相をみなぎらせている存在があるのです。

 今まで家に来たロシアのゲストは十人位いましたが、それぞれ個性的で他の国にはない独特のキャラクターを持っていました。ちょっと秘密っぽくて、悲しげで、深い気持ちがあるゲスト達に、また会うことはもうできないのでしょう。エアビーのサイトを見ていたら、私の着物体験は2時間がちょうどよくて、4時間は長すぎる、とのアドバイスが書かれていました。でもそんなことはないのです。柴又のお寺で仏教彫刻や庭園を見ながら、どれだけの話をしてきたことか、異国人の彼らにいろんなことを教わったり、宗教について訥々と話し合ったり、悩み事や生き方を聞いたりしたことが、日本の中にだけいたらわからなかったことを解くカギになっていることを今強く感じています。

 相手を理解することや、本当の気持ちを感じとることが、今一番大事だと思います。