早朝のゴルフ

 夜早く寝る私は当然朝早く起きるのですが、四時までは布団の中で我慢して、そして満を持して起き出してからは、ゴミを出し、つつじの花柄摘みやバラや雪柳の剪定をしながら外の掃除をします。一階二階三階と、全部の階の花々の鉢に水をやり、仏様の花や神棚のお榊の水替えをしていた時、車の音がするので外をみると、隣の家の御主人がお仲間たちとゴルフに行くところでした。板金の仕事をなさっているご主人は魚釣りなど趣味も多くて、最近はロン毛で髪を後ろに縛るサムライスタイルが良く似合います。

 何十年も中華料理店を営んでいた近所のおじ様もお店を辞めてからは、朝早くゴルフに行く姿を見かけるし、飛距離が出ないと悩む夫は高齢者用のクラブを買ってきて、身体の衰えを道具の力でカバーしてからは、又やる気が出てきたようです。70代をどう生きるかが、これから先の長いか短いかわからない人生を有意義に過ごせるかどうかの境目になるそうで、鬱々と精神を病まないよう、心身を鍛えていく気持ちは、陰ひなたなく一生懸命働いてきた方々はしっかり持っています。人を貶めたり傷つけたり、殺めることなど心の中にひとかけらもない人たちは、それぞれ家庭内でもいろいろ問題を抱えながらも精神を保ち明るくゴルフを楽しんでいて、こちらの気分も晴れてきますが、最近私がよく見ているYouTubeの中の、ダウン症のお子さんの子育てを綴っている夫婦や、夫の暴力から逃げて離婚して猫と暮らす女性は、なぜか清々しく明るくて、何故だろうと思っていたら、自分の気持ちをしっかり見つめ、たわめることなく、ものごとに正直に生きているからだと気が付きました。

 村上春樹が27年前に書いたサリン事件のドキュメントの長いあとがきに、システム社会に対する考察があるのですが、人間は今自分達の作ったシステム、高度管理社会の中に組み込まれてしまい、これに適合しない人間は病気であり、適合しない人間は苦痛を感じるように改造されるというところに、深く納得しています。コロナ禍の中で動きにくい面はたくさん出てきたものの、子供の内からレールが敷かれ、こうやって何も考えずシステムに乗っかって進んで行けば素晴らしい人生が待っているという世の中がずっと流れています。でもシステムに乗ることに猛烈に違和感を感じ、ふらふら青春時代をさまよっていた私はその解答を見つけることもできないまま、結婚して子育てや家業におわれ、子供に対しても自分ができなかったシステムに乗る道を選んで欲しいと思っていたのです。

 アメリカの小学校で銃の乱射事件が起こりたくさんの子供たちが撃たれてしまい、犯人の男の子は射殺され、被害者の家族は地面に座り込んで泣いている、なんてひどいことをするのかというコメントを聞きながら、もっと大規模な殺戮が国家のトップたちによって行われていることに、何も言えないのは何なのだろうと考えてしまいます。システムに乗っ取られて、自分の大義の為には人の命などどうでもよいと思うのと、システムに乗っ取られまいとあがくうちに銃を発砲して訳が分からなくなるのは、同列なのでしょうか。

 サリン事件が起きた時、村上春樹は科学者や医師というトップレベルの教育を受けた優秀な人間たちが、何故オウム真理教を信じるようになったかということをしっかり考えないと、後で大変なことになると警鐘を鳴らし、どうしたらいいかと考え、被害に遭った人たちの状況とそれまでの生き方をインタビューしてドキュメントにまとめました。もし、人が自我を失えば、そこで自分という一貫した物語をも喪失してしまう、でもシステムに沿って生きることを得意として来た優秀な人たちは、どこかで違和感を感じそれが大きくなって自分の中で収拾が付かなくなった時、違うシステムに乗り換えようとし、適合しようと頑張り続けてきた疲れた神経にはそれがジャンクであろうと、いやかえってジャンクの方が何も考えずいられる場所なのかもしれない。そしてその中で、優秀な彼らは絶対にやってはいけない事、サリンの入った袋を、電車の中で傘で突いて、沢山の人を殺めてしまったのでした。

 私たちが今までこうしなければならないと思っていたことは、ある意味フェイクに過ぎなかった。良かれと思っていたことは、裏を返せば他人に対する悪であることもあったのです。ではそれに対してどうしたらいいのか。悪の作り出す物語や規範やシステムに対抗しうる、自分達の物語を自分達の力で作り上げなければなりません。今システムは恐ろしい狂気を人々に要求しだしています。「兵士が足りないから、志願してほしい。」こんな求人広告が今まであったでしょうか。「人を殺すのは嫌だ、そして自分が殺されるのも嫌だ。」当たり前が当たり前でなくなる、それに対して無感覚で無表情でいてはいけない。

 村上さんはサリン事件の被害者の方々の話を聞き、それぞれの物語を立ち上げました。訳が分からず苦しい時に、自分も含めみなさんがこれまで紡いできたいろいろな物語を思い出し、その時の気持ちに勇気づけられ、明日に向ってまた進んで行こうと思えることはありがたいのです。人と違っているということは決してマイナスではないということが、やっと腑に落ちて居ます。

  

 今日は義母の施設の「運営推進会議」です。とにかく食事内容が良くて、調理師さんたちの創意工夫と愛情が満ちたご飯を毎日義母は食べています。お友達もできて、毎日同じ話を繰り返ししているというけれど、本人が楽しければそれでいいのです。義母がこれまで紡いできた物語は、施設の美味しいご飯とスタッフの方々の温かい気持ちの中でどう変化したでしょうか。