たまごかけごはん

 義母が認知症がひどくなりデイサービスに通い始めたころ、ゼネコンを退職してから資格を取ったという年配のケアマネージャーさんがショートステイも行った方がいいと言って下さり、手帳を調べて電話かけて契約して下さったのが「たまごかけごはん」という施設でした。この会社の系列の施設名はとてもユニークなものが多いのですが、その中でもこの名前はインパクトがあります。実母は七年間グループホームにいたし、介護福祉士の資格を取る時に実習で大きな特養施設に十日間通ったこともあり、いろいろ見て来た中でも、ここは不思議な感じのするところです。建物の壁にもかわいいイラストが描かれている、コンパクトで家族的な雰囲気が施設っぽくないのですが、半年ばかりお世話になっていて一番感じるのが食事の良さです。

 調理師さんたちの創意工夫は、四日間続いたキッチン三ツ星メニューという昼ごはんコンテストの時いかんなく発揮され、シンガポール風チキンライス、キャロットピラフ、海老グラタンコロッケなどなど、全部手作りの献立で、私が義母に作っていた物とはレベルが違くて、完敗の感でした。あまり食事に興味がなくて、天ぷらと揚げ物が好きな義母はどう思って食べているかわかりませんが、こんなに一生懸命作った食事をたくさんの人たちが美味しいと言って食べるところで毎日暮らしていると、多分義母は義母でなくなっていく気がします。「私は後妻なのよ」とどこへ行っても声を潜めてみんなに打ち明ける義母を見ていると、だから何なんだと切れてしまう私ですが、嫁姑の軋轢は古今東西どこにでもある話だからしょうがないけれど、50年間一緒にいる夫の悪口を聞くのは堪えられなくて、施設に入り悪口を言い合う人との接触がなくなって、毎日仲のいい方と同じ話を繰り返ししていると聞くと有難い限りです。

 昨日思いがけず六月の歌舞伎の券を戴けることになり、コロナ前に行ったきりだから3年ぶりくらいになりますが、嬉しくて何の着物を着て行こう、もう少しダイエットしようなど、心が弾みます。アイススケートショーも始まり、修練を積み人生経験豊かな熟練のパフォーマンスをため息をつきながら見ていますが、紛争は続き苦しんでいる人々がたくさんいる現実は変わらないのです。昨日は豪雨、そして今日明日は猛暑になるとか、森林火災もおさまらず、未だかつてなかったような異常気象はこれから現れるのでしょう。

 食べ物がなくても、コロナ感染が広まっていても、ミサイルを飛ばす。自分の身が弱ってきても、相手の持っているものを欲しがり、奪う。システム管理社会のてっぺんにいる人間たちは、何物にも邪魔されずシステムによって得られた権利をかかげ、おどろおどろしい絵の具の色を世界というキャンバスに塗りこめていきます。私たちは何を持って戦えばいいのか。ふと「たまごかけごはん」という言葉が頭に浮かびました。何かの思い入れや物語がこの名前にあって創業者の方がつけたものかもしれませんが、美味しいお米と美味しい卵で作るたまごかけごはんの味を知っている人は、戦争など起こそうという発想は起こさない気がします。

 日々の生活の丁寧な積み重ね、すべての物に対する愛情の積み重ね、思い通りにいかない事や失敗、屈辱にも、正々堂々立ち向かうこと。老いも若きも、私たちみんなにとって、この夏は正念場です。まず、きちんとご飯を食べましょう。