つむぎ

 昨日は日本橋へ行く用事があって、雨も降らないようなので久しぶりに着物を着ておでかけしました。娘に貰った新しい草履を履いて、柴又のお米屋さんのおばあさまの生成りの紬を着て、しっかりマスクをして外に出ると、爽やかな風がちょっとごわごわしたひとえの袂から入り、着物がちゃっちゃかと先に歩いていくのです。何百回と着物を着ている私なのにこれははじめての感覚で、この着物は今まで持ち主の方にこうやって着られていたのだと気が付いて、なんだかおかしくなりました。 いただいた時は結構汚れていて、悉皆やさんで手入れしてもらったけれど、サイズが小さいから私には無理だと諦めていて、外国人のゲストに手に取られることもなくずっとしまってありましたが、最近ふと着たいと思い試してみると、ぴったりでした。着物が大きくなったのか、私が縮んだのか、どちらも正解かもしれない、でもとにかく着心地がいいのです。帯も最近頂いたエジプト模様のを試したのですがかなり短く、いつも締めている白地にふんわり花が描かれている麻の帯に薄い青磁色の帯揚げ、白地の帯締めして、最近くる若いゲストの影響で同色まとめをしました。

 日傘さしてマスクしていると、自分の存在が隠れていくようで、電車に乗ってもみなスマホを見ながら自分の世界に入り込んでいて、前に感じていた着物を着ると良くも悪くも目立つということがなくなってきていることを感じ、これから夏に向ってもっと着て行こうと思います。

 暑いし、久しぶりなのでさすがに疲れて家に帰る途中で、花の手入れをしていた近所の中国人の若いママが「可愛い!」と言ってくれ、日本人は全く無反応だったのだけれど、今日初めてかけてもらった着物に対する賞賛は、やはり外国人からでした。日本に来て中国料理のお店を経営し、頑張って働いているママは、今まで着物を来たことがないそうで、休みの日に浴衣を着に来て下さいと言ったら「お化粧していくね!」と喜んでいました。コロナ感染を気にしながら外国から来るゲストを待つより、私がつむぎを着て歩いている姿を「可愛い!」(着物がです)と反応してくれる、着物を着たことがない方々に、この高揚感と素晴らしさと感覚を味わってもらおう、今やるべきことはこういうことだと改めて気づいたのです。着物を着ましょうといろいろアピールしてもスルーされてしまうことが多かったのですが、十何年日本に住み頑張って生きている外国人が着物を着る機会がなかったということがわからなかった。着物を着るということを純粋に喜ぶことが、何よりも原点なのでした。

 それにしてもこの紬には力があります。汗をびっしょりかいて久しぶりに草履を履いて歩いて疲れ果てた私ですが、とても幸せでした。こんなに幸せになれる瞬間を、今まで沢山のゲスト達は感じてくれたのです。ありがたいことだし、それはうちにある沢山の着物たちに、それぞれの物語があり、持ち主に大事に着てもらったあと、縁あって私の家に寄せられたものなのだからかもしれません。幸せな気持ちは、スマホの中にはない、目を上げてものを見て、感じて想像する、年取ってきて物忘れも激しくなってきたけれど、一番大事にしている感覚だけは絶対に忘れないのが不思議だし、目が見えずらくなってからは触覚とか嗅覚が敏感になってきて、何事にも意味があるのだなあと改めて思っています。

 それにしても、今この時が重大な過渡期だと思います。今何をすべきか、何を考えるべきか。それで国も国家も民族も変わっていく。ワールドニュースを見ていると、いたるところで暴動や紛争がまた生まれています。

 人を貶めたりものを奪おうとしたり、悪いことをし続けるのは、本当の幸せを味わったことがないからでしょう。自分の出来ることを精一杯つきつめて、もっともっと向上していくことが一番大事だと、つむぎのきものに深く教えられました。