異国人の友

 夫の高校時代の同級生のスペイン人の奥様に、十年くらい前にスペイン語を習っていたことがあって、彼女が夏にスペインへ帰る期間中、臨時で中南米出身のラミさんに教えてもらっていました。ド日本人の私は、細かな文法の活用やテキストの練習問題を真面目にこなしていたのだけれど、ある時スペイン人の方々の集まりに連れて行ってもらった時、全く話ができない、会話の言葉が出てこないことに気が付き、愕然としました。覚えたことを思い出せない、どう使えばいいかわからない、みんな呆れて話しかけられることもなく、私は無理に笑顔を作ってスペイン語が飛び交うのを聞いていました。

 それからラミさんとは着物の着付けを外国人にするという仕事をすることで接触ができて、一年くらい親しくしていましたが、母の具合が悪くなったり、それからエアビーの仕事が忙しくなったりして疎遠になり、それから始まったパンデミックで、五年くらい会うこともありませんでしたが、頂いた着物の帯を使ってほしいと久しぶりに連絡が入り、一緒にお茶を飲む約束をしました。

 原色を好むお国柄なので、私が地味な色の洋服を着ていると注意されたことを思い出し、カラフルなフード付きのTシャツをきて待ち合わせ場所で待っていて、外国人だからすぐわかると思っていたのにマスクをして小柄なラミさんが傍に来るまで私は全く気が付きませんでした。お店に入ってかき氷や抹茶アイスを注文し、マスクを取ると、鼻の高い彫りの深い懐かしいラミさんの顔が現れ、本当に懐かしくて二時間以上話が尽きませんでした。同じ午年生まれで12歳年下のラミさんは、日本語が達者だけれど、私が「けばい」と言ったらはじめて聞いたと言ってスマホで意味を調べたりしていましたが、最近日本語を勉強している外国人留学生が来ていたので、お国によって日本語を使う感じがずいぶん違うし、たとえ細かいところがいろいろ違っていても話というものは勢いでするのだから、互いにわからない言葉を使っていたとしても、内容を理解し合えていればたいした問題ではないと私は思っています。 

 ラミさんは韓国の女の子にスペイン語を教えたことがあって、すぐ覚えて使っていて、頭のいい子だったというのを聞いて、頭の悪い私はズキーンとショックを受けました。言い訳ですが、エアビーのゲストはスペイン語話す人は少なかったし、ドイツ語フランス語ロシア語イタリア語アラビア語などたくさんの言葉を話す方々と接触していると、肝心なことはどの言葉で言うかというのはあまり関係なくて、言いたいことを言いたいように言うのが一番ニュアンスが分かると思っています。オーストラリアの女の子に振袖着せて、駅のエレベーターに乗った時、あとから来たおばあちゃんが思わず言った「べっぴんさんだねえ」という日本語はその時、その場で一番ふさわしかったし、日本語がわからなくてもその女の子はとてもうれしそうでした。

 ラミさんはパンデミックの前に旦那さんとパリ、ローマ、マドリード、バルセロナに行ったそうで、そのあとすぐにコロナ感染が始まったから、本当にラッキーだったし、行ける時に行かないとだめだと私にいうのだけれど、母や義母の面倒を見なければならなくてうちを離れられなかったからこそ、エアビーの着物体験をすることができて、沢山の外国人が来てくれた話をすると、ラミさんは良かったねと喜んでくれて、私がこれまでため込んできたゲストの民族性の違いによるトラブルや、国際結婚についての疑問に率直に答えてくれました。

 コロナ感染が広がりステイホームが続いていた日本で暮らしていて、どう感じているかと聞くと、「人々が自分の中に籠っていて、反応がなくてつまらない」と言い、特にやることがなかった時期はかなりつらかったそうです。日本は安全な国だけれど、やはり最終的には母国に帰って暮らしたい気持ちは強い。でもボランティアでいろいろな国の人と会うことが出来るチャンスがあるととても嬉しいそうです。私も一緒の気持ちで、だから久しぶりにミラさんと話ができて本当に楽しかった。オーバーアクションのミラさんの話に時に爆笑したリしながら、マスク掛けて無表情に感動もせず暮らしていると顔の筋肉も衰え、老けてしまうけれど、若返りの秘訣はこうやって楽しく生き生きと楽しく外国の方々と話すことではないかと気が付きました。 

 私も夫も、うちに来た700人の外国人たちに着物を着せ、ティーセレモニーをして、ひと時を楽しく過ごすということで、生きる糧とエネルギーを貰っていたのだし、それが着物たちの本当の存在理由だった気がします。コロナ感染は続き、紛争は収まらず、世界情勢は混とんとしているし、気候変動の影響で猛暑や洪水や山火事があちこちで起き、これからどうなるかまったくわかりません。これまでと同じ生活ができるかわからない今ですが、スピリチュアルなラミさんはバチカンへ行った時は神を感じなかったけれど、四国の金毘羅山へ行った時、長い階段を登ってたどり着いた神社に、神さまがいると感じた!とオーバーアクションで言いながら、心から幸せそうな顔をしていました。

  ルーマニアの社長の話、スロバキアのITで働いているカップルの話、身長が2mあるドイツのポールの話、と、ラミさんに話したいことはたくさんあり、前には私にグローバルな話題が全くなかったことを知っている彼女は、「この経験があなたの財産になるね」といって、温かい笑顔でずっと聞いてくれて、これまで来たゲストとまた会うことがあったら、こんな風に温かく楽しく話ができると思うし、ラミさんもゲストと同じだったのかもしれないと気が付きました。

 帰り際マスクをしたら、ラミさんは違う顔になり、買い物をしていくというので駅で別れましたが、これから何が起ころうとも、心豊かに生きて行けるような楽しい気持ちになりました。世界中にいる私の家に来てくれたゲスト達に会うことはもうできないかもしれないけれど、もし会ったら私はこう言いたい。「Hello,  my  friend」と。ともだちというのは、自分の心を差し出せる人でした。