今夜は月が綺麗ですね。

 週末に各地で行われているアイスショーのライブビューが日本だけでなく台湾でも上映され、そこに集ったファンたちがいろいろなメッセージを書いたボードを掲げていて、「ありがとう」「幸せになって下さい」「応援しています」などと日本語がたくさん並んでいます。その中に「今夜は月が綺麗ですね」というのがあり、月友達の桂さんが良くラインで送ってくれるフレーズと一緒なのだけれど、何でここに出したのかしらと思いながら、上にあった「いつも光のように導いてくれて、いつも側にいてくれてありがとう」というボードの言葉にうるうるしていました。

 しばらくして他のサイトを見た時、これは「I love you」という意味だと書いている方がいて、そうだ夏目漱石が生んだ告白の言葉といわれているものだとやっと気が付きました。英語教師をしていた頃の漱石が、「I love you」を「我君を愛す」と翻訳した教え子を見て、「日本人はそんなことは言わない。月が綺麗ですねとでも訳しておけ」といったというのを、私は産経新聞で連載されていた伊集院静さんの小説「ミチクサ先生」で読んで初めて知ったのですが、実際に漱石がそう言ったという文献や証拠はどこにも残っておらず、どうやらガセネタ(いわゆる都市伝説)っぽいというのが有力な説だそうです。

 

 「月が綺麗ですね」と言い、「そうですね」と返ってくる。つまり、ふたりが美しい対象物を眺めながら“美しさ”をともに感じ、心を通わすことができれば、そこに愛は確認できる。あえて言葉にはせずとも、それだけで充分な意思疎通となる。漱石はそこに愛を表現したのだ。ふたりが向かい合うのではなく、寄り添って同じ方向を眺める。「月が綺麗ですね」は、心にだけ届けることができる信号である。 

 

 エアビーからのゲストでない中国人の学生さん二人に着物体験をしてもらっていた時、日本文学を勉強しているというのでどんな本を読んでいるか聞いたら「夏目漱石の”猫“です」と返事が返って来て、「随分長い本だし、大変でしょう?」と驚いていったものの、中国語で読んでいるとしてもこんな若い子が明治の文豪の本を読んでいるのだと感心したことがあります。ロシア系の男の子が韓国人のガールフレンドと夏に来て、浴衣を着て散策してお団子を食べている時、好きな作家は村上春樹と言って「トニー滝谷」と「ハナレイ・ベイ」をスマホで検索して日本語で教えてくれ、ぜひ読むといいと勧めてくれたのですが、すぐ読んで見て、生きることの諦観が根底に流れるこういう作品が彼の支えになっていることを感じながら、別れる時のちょっと悲し気な彼の目を今も思い出します。

 特にうちは感受性の特殊なゲストが多いのかもしれないけれど、真っ黒なロングヘアでアジア系の混じったような大きな目をした背の高い彼氏を守るように現れた、ちょっときつめな感じのアメリカの女の子のこともよく覚えていて、多分仕事も何もしていない彼氏のことをかばって、こんなことして働いていると一生懸命早口で説明してくれました。京都のひで也工房の紫の素敵な男物の浴衣を着せて柴又を歩きましたが、彼の目には何も映っていないようで、それでも参道を歩き”酒アイス”をご馳走したころから少しずつ表情が出てきて、参道の空をバックに写真も撮らせてくれたし、酒アイスも美味しいと言って笑ってくれました。お寺の仏教彫刻の英語の解説を食い入るように読んでいた彼女の横顔を見ながら、この女の子が彼氏のことを必死で思っていて、仏教の解説の言葉の中にも彼の救いになる何かを探している、切実な愛情を感じながら、でもそれは結局自分の中の何かを見つめ直していたのかもしれないと今は思っています。

 それにしてもこのころはコロナ感染もウクライナ紛争もなかった、自由にどこへでも行けた時代です。それでも人生はなんのためにあるのか、今自分のしている努力は報われるのか、自分に価値はあるのかと、自らの心の有り方に悩みながら過ごしている人も多かったと思っています。人とは自分の心に頼って生きているのですが、どれだけ頼れるかはその心の強さによるといいます。自分自身で己の心を鍛え強くすることが肝要というけれど、心を強くするためにどのように自分が生きているかを認識して、自分の価値観を自分で見出せるのか。「私の祖先はネイティブ・インディアンなのです」流暢な日本語を話す、日本の大学で勉強していた綺麗な女性は、かえり際浴衣を脱ぎながらそっと言いました。何も言えなかったし、何もわからなかった私に、悲し気な視線を投げて彼女は掃除の仕事をしているという19歳の大柄な姪の女の子と帰って行ったけれど、身長が私と同じ姪御さんは日本語を一生懸命覚えていていろいろ構うと面白かったし、がっつりハグすることもできました。複雑でナイーブな感情を持ちながらうちで過ごしてくれたLGBTQのカップルも多かった。

 私のできることっていったい何だったのでしょう。ずっと自問自答しながらコロナ禍でじっと静かに暮らしている時に、外国人の女の子たちが掲げてくれた「今夜は月が綺麗です」という日本語は、言葉を超えて、意味を超えて、生きている意味だったり、人の魂だったり、自然の美しさだったりを、改めて伝えてくれている。相手を見ていなくても、同じ方向を見ることで、自分の気持ちを伝えられる素晴らしさを、私も伝えていけばいいのでしょう。苦しみから逃げることなく、苦しみを凝視することで開ける本当の幸せの道とは、本当の幸せを求める心、人間が他の人に分け与えることが出来るのは、自分の希望だけである。そんな言葉を見つけました。

 私はこれまで来たゲストのことをみんなはっきり覚えています。言葉が違っていても、わからなくても、今私はみんなに日本語で言いたい。

 「今夜は月が綺麗ですね」と。