びわのコンポート

 二日間旅行に行っていたうちの前の電器屋のおじちゃんから、おみやげに小粒のびわをたくさん頂きました。初めはスモモかと思っていたのですが、皮をむいて食べてみると大きな種が出てきて、これはまぎれもないビワでした。実家の庭には大きなビワの木があって、この時期沢山の実を付けたけれど、高い所になるので小鳥たちのえさになっていて、それでも食べたい小学生の私は屋根に登って暑い瓦に腰かけて、空を見ながら甘いビワを味わったものです。

 父は実のなる木が好きで、桃の木も大きくなったけれど、毛虫がたくさんいて、棒切れの先にに石油を浸した布を巻いて火を点け、駆除したことなどふと思い出しました。生母のさださんの実家は千葉なので、よくビワをもらったけれど、種が大きくて食べにくかったという夫の思い出話を聞きながら一つ食べてみると、意外と酸っぱいので、蜂蜜で煮てコンポートを作ってみました。

 私はテレビでやっていた”やまと尼寺精進日記”という番組をよく見ていて、奈良の音羽山の上にある尼寺のご住職さんたちが季節の食材を使っていろいろな精進料理を作り、自分達で楽しんだり檀家の方々をおもてなししていたのですが、果物やトマトのコンポートというのが美味しそうで、いつか作ってみたいと思っていたのです。コロナ禍の中で山の上のお寺も大きな変動があって、三人のうち二人が下山されてそれぞれの道を歩んでいることがわかり、番組のファンはショックを受けたのですが、改めてお寺にいらした方の経歴を知ると沢山勉強なさっていたり、海外を遍歴して何かを模索していたりしていて、彼女達にとって、お寺での四季の移ろいを楽しみながら美味しい精進料理を作り、仏教の行事を務めていることが、一生続けられることではなかったことがわかってびっくりしてしまいました。副住職だった方は今カウンセリングや講演をしているし、お手伝いしていた若い女性は物作り作家として活動しています。

 ユングの”集合的無意識”のことがこのところ頭に引っかかっているのですが、勉強熱心で真面目で思いやりがあって、それでも自分のやりたい事やしなければならないことを探し続けている人たちにとって、仏教の教えや行事はまだ人生の目的とはならなかった。自分が表現したい事、自分がやりたいことが、もう一つ先にあった。悩んで引き籠って、自然や人々の温かい心が満ち溢れた山の上のお寺で時を過ごして身も心も癒された時、自分の感じるままに皆と共有できる世界を作り出したいと無意識に思う心は、その無意識の世界を誰かが無意識に感じて、生きる歓びや激しさを感じてくれるかもしれないと信じられるからでしょう。「いろんな不条理があり、夜が明け、又暗闇になり、でもいつか訪れる黎明」これは宮川大聖さんの”レゾン”の歌詞の内容の一部なのですが、私たちは、自分が見せたいと思うものを全力で見せてくれる若者たちの姿を見て、今まで見たことがなかったようなものを目にすることができる。やりたいことを自由に表現し、自力で殻を破っていく。一人で可能性を開拓していくその姿。周囲からの固定観念を自力で打破できる表現者を無意識に目指している人達の存在こそが、みんなの救いとなっている気がします。

 いろんなことをやっている人たちのことを覚えているから、ちょっと酸っぱい果実があっても捨ててしまわないで、美味しく変身させようとすることができます。

 今日は東京は35度という猛烈な暑さですが、歌舞伎座へ夜の公演を見に行きます。久しぶりの玉三郎さんを見てきます。

 加筆訂正

   今朝ビワのコンポートを食べたら、なんと、種がスモモでした。生で食べた時、何故ビワの種に見えたのか不思議なのですが、片目のレンズが濁っていて白濁しているからそのように見えたのか、それとも物の判断がつかなくなっているのでしょうか、はずかしいかぎりです。失敗だらけ、間違いだらけの私の生活がまたまたあからさまになってしまいました。直すのも何なので、ここでお詫びさせていただきます。正しくは、スモモのコンポートでした。