精神の核

 まだ6月だというのに、連日35度の日が続き、梅雨もあっという間にあけ、延々と続くであろう暑さと、水不足と、電力逼迫と、コロナウィルスと、ずっと続く紛争と、全てが絡み合って恐ろしい様相になってきています。ゴルフの練習のし過ぎで腰を痛め、ずっとくすぶっていた夫は、久しぶりに義母の甥っ子さんに誘われて昼ご飯を食べに行き、そのまま越谷の義母の弟さんのうちまで遊びに行ってしまいました。義母がいたらこんな付き合いをすることもなかったでしょうが、先妻の息子の夫はちょっとめんどくさくて変わり者だけれど誠実で温かい人間であるということを、義母のきょうだいたちにわかってもらって、私は嬉しい限りです。

 海外にも工場を持って手広く仕事をしている甥っ子さんは、九月にフィリピンのダバオに行くけれど、夫と私の航空券も取ったよとと言っているそうで、えーっ聞いてないと私はびっくりしたものの、浴衣の着付けにフィリピンへいくなんて、なんだか世界が勝手に回っている気がしてきました。この前久しぶりにあった中南米出身のラミさんは、海外でもなんでも、行くチャンスがあったら体が動くうちに絶対いけといっていたけれど、誘いがある時は何かの発展があるのかもしれません。フィリピンのゲスト達は皆家族思いで、面白かったし、勘定して見ると30人位のフィリピン人さんに今まで私は着付けをしてきたのでした。なかなか日本に来ることができなくなったから、今度は私が行く番なのでしょう。でも、どんな景色が見えてくるのか、予想が付きません。 

 しかしとにかく、この暑さにどうやって立ち向かおうか考えていると、また段ボールひと箱、埼玉から着物たちが届きました。そういえば、静岡で行われたアイスショーのラストで、羽生選手はノートルダム・ド・パリをサプライズで滑ったのですが、ブルーと白のリンクの上で、白い衣装を着て滑る姿を見ながら、私は鬼滅の刃の映画の中で炭治郎が鬼に眠らされている時に入り込まれた、彼の精神世界の何処までも澄み切った青空を思い出しました。鬼が壊そうとしている炭治郎の精神の核は、その澄み切った青空の彼方にあって、鬼たちは近寄ることもできない、もう異次元なのです。これはアニメの映画の世界の中の話だと思っていたら、突然それが生身の人間の捨て身の究極の表現として氷の上に紡ぎ出されている、皆ファンが言うことなのですが、「生きていてよかった」と思うのです。自分は自分でしかない。そこをしっかり持ってどんなに苦しくても、クリアな精神の核を目指す時の清々しい風景をみんなで見るために、頑張るしかない。孤独で苦しんで、妬まれておとしめられて、それでも自分の考えることを突き詰め、やるべきことを努力し続けると、こんなにも純粋な結晶ができる。その精神の核を見ることができれば、何とかまだ前に進める気がします。

 精神の核というのは、着物にもあるのではないか。着物が美しく輝くには、人が着なくてはならないかしら。 着物が自分で示す、新しい表現があるのかもしれません。それを引き出すことをやってみようと思います。