クール・ジャパン

 毎月三回、真面目に英会話教室に通っている夫は、最近は日曜日の夜放映されている”クール・ジャパン”という外国人の方々のトーク番組を欠かさず見ています。そして昨日は特別版で、各分野で活躍している外国人がたくさん登場し、その中にシーラ・クリフさんもいらして、私は興奮してしまいました。

 そのほかに出演していたのは、武道家、尺八演奏家、庭師、和食研究家、旅館の女将、アニメ愛好家、そして着物研究家のシーラさんで、旅館の女将のオランダの女性はシックな訪問着に綺麗なアップの髪で品が良く、シーラさんはポップなカラフルな着物にハットをかぶって相変わらず可愛い着物姿でした。目が良く見えなくなっている私は画面にかじりついて見ていましたが、司会の鴻上尚史さんも番組内で何度も「勉強になった」というほど、日本でいろいろなことを極めている外国人の方々の話は深いもので、生半可に生きていることが恥ずかしくなることも度々あり、和食研究家の「コンビニばかり好きにならないで」とか、「古い家をむやみに壊さないで、暮らすことを大事にする」極めつけはシーラさんの「もっと楽しく着物を着よう!」で、イギリス人のシーラさんに着物の着方を教わりたいという若い女性たちは、着物を通して感じられるシーラさんの限りない愛情と、ワールドワイドなものの考え方に憧れるのでしょう。英語で外国人と話したいから、着物の着方を教えてもらう、なんてかなり妙な話も出てきそうですが、私は逆の立場で外国人に着物を着せて思うことは、せめて発せられるいろいろな質問には答えられるだけの知識を持たなければならないということで、それにしても身の上相談や、彼氏ができない悩みまで打ち明けられると、ヒーヒーしながら夫を指さして、結婚することが幸せでないこともあるよと笑ってごまかしたこともありました。(夫はそれを聞いていて、お互い様だ!と返してきます) 

 ドイツ人の庭師の方が、日本人の師匠は教えるのでなく自分の背中を見て学べというスタンスで、初めは戸惑ったけれど、今はやっとその意味が解ると言っておられて、長身で寡黙で哲学者のような彼は、個人で頼まれた庭にドイツの植物も植えて高低差で変化を付けたり奥行きを出したりして、日本庭園とは又違った雰囲気を作るのです。これが彼の表現であり、作りたいもの、感じたい風景なのでしょう。それにしても何をするにも時間がかかるし、気が遠くなるような気持ちにもなるかもしれませんが、日本でも外国でも、自分の目指すものと感性と風景がいつか一致すると信じていろいろなことに努力していく、尺八奏者のジャズ”テイクファイブ”の演奏を聞いて、そのカッコよさと音色の軽快さに私たちは心地よく浸ってしまいました。

 朝、クラッシック倶楽部という番組でいろいろなジャンルの演奏を聞き、そのあと名曲アルバムという5分間の番組を見ながらストレッチをするのが私の日課なのですが、ホールでピアニストがショパンの曲を弾いているのを聞いた後で、フランスのロアンの風景や愛人のジョルジュ・サンドの館が映し出され、「リスト、バルザック、ドラクロワたちが集う中で即興でピアノを弾くショパンはこの時が絶頂期だったけれど、サンドの子供たちが思春期を迎えるようになると母とショパンの関係に微妙な気持ちを抱くようになり、ショパンは去っていく」というテロップを読みながら流れるバラード4番を聞いていると、ロアンの風景も青空も、又違った意味を持ってくる気がして、こちらの方が強烈に心に残る気がします。

 演奏家の技術や音楽の解釈、人間性、国籍など違うと、演奏も違って来るけれど、それだけを見つめているとどうも息苦しくなって朝から全部聞くのはしんどくなるのですが、5分間のダイジェストの音楽番組でも、いろいろなことが感じられるということは、クールジャパンで日本の何かを極めようとしている外国人の方々が、自分の母国から日本に来て日本文化を学び、それを発信していく方法をとるなら、名曲アルバムのような方がインパクトがあり、より伝わるのかもしれません。

 あまりの暑さに思考能力が低下しきっている私ですが、こうやって外国人の方々がいろいろな努力をされているのを知ると、私は私のツールを見直して発信する方法を考えなければいけないと思います。名曲アルバムのようにダイジェストで外国の風景の中で音楽が流れ、ゲスト達が自然に着物を着ている。これまではそれは柴又の参道であり、境内であり、庭園だった。でもそこにもう来られないなら、場所が変わり風景が変わっていいのではないか、外国の土地、風土、人々がいる中で、着物はどんな立ち位置を持つのでしょうか。

 猛暑は収まったものの、台風の影響かこれから雨が沢山降るようです。イタリアでは氷河が崩落して亡くなった方がいるとか、どんどん地球はヒートアップしています。生きにくいというのは自分の生き方だけではなく、すべての面においてであって、コロナ禍の中ではある日突然生きている存在価値すら危うくなってしまうかもしれない、子供であっても大人であってもお構いなく、そういうものが襲い掛かってくるかもしれないという危機意識がいつもあるのです。今更ですが、焦ることも不安になることもなくなってきました。こんな中で、希望を持ち、努力して新しいものを生みだそうと努力している若者たちと会える機会が増えてきます。農協で取れたての野菜をたくさん買ってきました。いろいろ作って食べてよく寝て、そしてストレッチもやって、私も新しいものを作り出しましょう。