無題

 

 青天の霹靂、奈良の路上で、安倍晋三氏が銃で撃たれ亡くなりました。ここはアメリカでもなく、紛争しているウクライナでもなく、暑さでうだっている平和な日本で、背後から無防備に二発銃弾を浴び、失血死で亡くなったということを、平和な国で育った私たち日本人は飲みこむことができず、私は部屋に籠ってテレビ報道に耳を塞いでずっと考えていました。

 世界の危機的状況に対し、今一つ傍観者でいた私たちは、突然すべての問題が融合したある核の中に投げ込まれ、今まで見たことのなかった風景をこれから見ようとしています。安部氏は67歳、私は同い年で、長期にわたり政権に携わり、国の方向を定めようと努力してきたけれど、なかなか想いを達することはできなかった。義父が初めて彼が総理になった時の就任演説を期待して聞いていて、終わってから「うーん」と失望したような唸り声を上げたことを私は今も覚えています。人柄はいいし育ちもいし考え方もしっかりしている、でもまどろっこしくて、直接的なオーラやスピリットがにじみ出てこない、同年代の私はなぜそれがないのかよくわかります。良くも悪くも何か欠けているのです。

 

 政権を譲ってもまだまだ絶大な影響力を持って、選挙戦に各地に応援に行っていた彼は、何かの力によって突然その肉体から離れ、途轍もなく自由な、変幻自在な実在になれた、全ての面倒くさいあれこれが浄化され、カタルシスの中で、しなければならない道筋の光だけを天上に指し示すことができるようになったと、ずっと考えていた私は今思います。世の中の混乱、世界中の危機を乗り越えるスピリットを持つためには、おのれを天に差し出すことしかなかった。

 今新聞受けから新聞を取り出し、その一面に書かれた大きな見出しを読んだ時、私の心に宿った感情は自分に対する怒りであり、何もできなかった自分がそこから脱却し、浄化されるには、そこに進む何かを仰ぎ見て、共に進めるスピリットのエネルギーをもらえばいいというものでした。昨日までとは全く違う夜が明け、朝がはじまります。すべての意味が違ってきた、冥界も異界も天上世界もみな一つなのでしょう。

 平和で穏やかで勤勉な民族の日本人が犯したこの罪の意味、背後から忍び寄った悪霊の意味、そのメタファーは、これから世界中に影響を与えるのかもしれません。私たちは何におびえているのか、何をすれば自分を救うことができるのか、自分が救われれば、蛮行は繰り返さなくて済むのです。どうすればいいかを、私たちはもっと考えなければならない。安倍さんはスピリットとなって、先を飛んでいます。覚醒した魂だけが、他の魂をも救うことができる。世界の裂け目のクレバスの前で、今みんな佇んでいる気がします。