進撃の会

 日曜日に上野で行われる桂枝之進さんの”進撃の会”という独演会を娘と見に行く約束をしていたのですが、急に着物体験の予約が入り、一時から五時まで仕事をしてから六時に寄席に行くというハードスケジュールになってしまいました。最近仕事をしてないし、暑さの中で柴又を歩き回ってから寄席へ行って、夜九時の終演まで体力が持つかしらと心配しながら、少し早めに来た、私と身長が同じくらいのタイのゲストを迎えました。

 娘と同じ年のプラピちゃんは、日本の大学で健康科学、特に認知症について研究していて、これまでイギリスやシンガポールにもいたという大変優秀な女性でしたが、温和な笑顔が可愛くて、紫の薄物の着物や浴衣を着て、刀持ったりいろいろポーズを取って写真を撮ってから、ティーセレモニーをして、暑かったけれど柴又へ向かいました。「お母さんは何歳ですか?」いつもの質問を何気なくしてみたら「母はがんで亡くなり、父もコロナ感染で死んでしまいました…」「まあ…」タイには弟さんが一人いるとのことですが、何でも一人でやらなければならない彼女は、実は柴又も一人で来たことがあるそうなのです。

 プラピちゃんは日本語は上手だけれど、細かいニュアンスになるとわからなくて、何度も聞き直していましたが、私も今まで外国人が何を言っているのかわからないことが沢山あり、そういうように彼女も私の言っていることがわからないで、一生懸命想像して理解するようにしているんだなと、改めて感じていました。最近起きた銃撃事件の事、日本人の心の閉ざし方、安全で綺麗な国なんだけれど、これからはもっともっと個人個人が自分をしっかり見つめて生きて行かなければならないという話をたくさんして彼女と別れ、私はそれから落語を聞きに出かけました。

 落語家の独演会には若い頃何回か行ったことがありますが、皆さんもう今は亡くなられてしまい、久しぶりに聞く落語は眠くならず聞けるかなとちょっと心配していました。でも若向きの音楽と共に、うす水色の着物がとてもよく似合う、21歳の小柄で可愛らしい桂枝之進君が登場、SNSドラマの事や海外に行った時のカルチャーショックなど若い子らしい前振りからはじまり、“時そば”ならぬ”時うどん”を語るのを聞いていて、いやあ上手いなあと感心してしまいました。勢いがある、話が生きている、こうやって語ることが大好きなんだ、いろんなことを調べて、話を作って、広げていく力を持っている若いZ世代なのです。

 藤井聡太さんや、大谷翔平さんもそうだけれど、他人と比べたり争ったりするのでなく、常に高みを目指して前に進んで行く純粋さは、落語が大好きで15歳で弟子入りし、SNSなどを活用しながら新しい活動も取り入れていく枝之進君も持っていて、今日の独演会で一番年長の客だった私は、黒い紋付きを着て出てきた彼を見て、隣に座っていた若い女の子が「カッコいい!」というのを聞いて、着物もいくらでも使い道があるし、若い子にとってこんなにも新鮮なんだとちょっとびっくりしました。若い子ばかり来ている落語の独演会の場にいて、あらためて感じることは、観客も、枝之進さんも、ゲストのコウメ大夫さんも、みんな生き生きして目が輝き、オーラが出ていることで、なかなかこんなに顔から、体から、感情をはっきり出して何かをしている姿というのはない気がするのです。

 システム社会の中で、生まれた時から自分が望んでもいないことに組み込まれたり、それをしないといけないと刷り込まれていない、純粋な若者を見ていて、隣に座っている娘が、私立中学受験のために行きたくもない塾に行かされていた頃の鬱屈した表情を思い出し、失敗しようが何だろうが自分のやりたい事を見つけ、それが他人に喜んでもらえることだと気がつけた今、こうやって若い人達とも色々なつながりができて、本当に私は嬉しい限りです。システム社会に違和感や反発を持って犯罪を犯す者と、違和感を持たない社会を作っていくために自分で勉強する、調べる、出かけて話を聞く、ネット社会は良いことも悪いこともみんな教えてくれるのです。

 昔は勉強したいことがあったらまず学校に入ることが先決だった、先生に学問を教わり、学友と哲学を論じ果てしなく議論をして自分の生き方を探す、そんな時代は私たちの世代の少し前で終わった気がします。学生運動、闘争、真剣に模索していた若者たちは、今はいなくなり、それこそコロナ感染で学校にも行けない状態が少し前まで続いていました。でも、それを選択しない世界を知っている若い世代は、なぜか己の律し方も世間の常識も機微もよくわきまえ、そして哲学と自分の考えまでも、自分の言葉で結びつけ、自分をあからさまにする表現を生み出し、それを私たちに見せることでこの世界の真理を指し示そうとしているのです。

 帰り際に枝之進さんにお会いしたら、本当に可愛い男の子で、舞台上では大きく輝いていた、そのギャップに私は戸惑ったのですが、彼が掲げている言葉は「進撃」だったことを思い出し、思う存分やりたい事を極めてほしいと願いながら、久しぶりの上野の街を歩いて帰りました。