Welcome fire

 今日はお盆の入りだというのに、昨夜から激しい雨が降っていて、朝になってもまだやみません。36度まで気温が上がった猛暑の頃に来るはずだった、ミュージカルの振付師のイギリスの女性が食中毒になってキャンセルし、今日に予定を変えたものの今度は天気が悪く、夏の着物体験はなかなか難しいのですが、縁あってお盆の入りに来て下さるのは初めてで、何か嬉しい気持ちがします。小柄でショートカットのリンゼーは、初め傘をさしたままうちの前をあっという間に通り過ぎ、待っていた私はあわてて声を掛けて呼び止め、無事挨拶をかわしました。

 スコットランド出身で今は旦那様とロンドンに住み、七月末から始まる日本のアイドルが主役のミュージカルの振り付けをしているそうですが、クリアな英語だけれど早口で弾丸のようにはなしかけてくるので、私はたじたじでした。練習場でも英語が話せる人がいないとか、勿論通訳が付いていますが、想像だけで話についていくのは久しぶりで、背の高いご主人との結婚式の写真を見せてもらいったのですが、姑さんはヒンズー教でインドの方と聞き、いろいろ大変だなあと思いながら、彼女の初めての着物体験を組み立てていきました。

 最近頂いた振袖の緑の長襦袢がとてもよく似合って、振袖を着せ帯を結び、ショートカットに沢山カンザシ指してマスクを取ると、素敵な花嫁さんのお色直しスタイルになり、いつものごとく扇子や刀を持ってポーズしてもらうとさすがプロ、様になるのです。雨が降り続くので外へ行くのは諦め、振袖でティーセレモニーをして彼女にも二回お茶を点ててもらい、その後紺の古典模様の訪問着にショッキングピンクの袋帯を締めてお太鼓結びにしたら、その四角い形にとても興味を引かれていました。最後は臙脂の浴衣着て薄紫の半幅帯を締め、二階に上がって障子や鎧の前で写真を撮り、お盆のために綺麗に飾り付けた仏壇を拝んでいただき、今までお参りに来た方や寄せ書き日の丸に書かれた沢山の方々の名前を全部書いたノートに、彼女にの名前も記帳してもらいました。

 綺麗な外人さんにお線香あげてもらって、美人好きな義父は喜んでいるだろうなと思いながら、夕方焚くお迎え火は”Welcome  Fire"と言うと調べておいたので、馬に乗ってご先祖様がうちに帰ってくるとリンゼーに説明していて、これまでうちにやって来た700人以上のゲスト達は、この家に焚かれた”Welcome fire”を見つけて、来てくれたのかもしれないと、スピリチュアルな感慨にふけってしまいました。目の調子は相変わらず悪く、コロナ以後は四時間のホスティングもきつくなり、何よりも着物を着て柴又のお寺や庭を散策することに、ゲスト達が今までのように感動しなくなってきたというか、コロナ感染、ウクライナ紛争、異常気象、そして今回の銃撃事件は、のんびり日本情緒に浸ることを許さない事態だということを突き付けてきている気がしてならないのです。

 リンゼーは若い日本のタレントたちと作り上げる日本での仕事を持ち、これからもいろいろな可能性にアプローチするであろう積極的な女性なので、かんざしや浴衣、長襦袢、風呂敷、帯あげ、扇子など彼女が興味を持つものをプレゼントし、浴衣の着方も簡単に教えて、柴又へ行くこともなく体験を終えました。エアビーによって、世界中に広めて戴いた私のサイトの意味は何だったのだろう。もはや着物を着て町を散策することだけでは、心の中に在る不安や疑問は癒されない、それどころか、何が不安なのか、自分の存在はなんなのか、コロナ感染がまた広がっていることもあるし、梅雨に逆戻りしたような雨空を見ていると、自分自身も世界も葛藤して悩み続けているとしか思えないのです。そんな中で希望を持ち続けられる人は、悩んで苦しんで模索して、そしてマイナス面も全て自分で受け入れた上で、迎え火を焚くことができるようになる、その火を見つけて、人々はやって来て、自分の苦しみも悩みも昇華していこうと思えるのかもしれません。

 "Welcome Fire"迎え火のあとは、”Farewell Fire" 送り火です。ああ寂しいものだな、ご先祖様もこれまでそう感じながらお帰りになっていたんだなと感じながら、五月の末に義父の祥月命日で行ったきりのお墓掃除をしに行かないと、草だらけだぞと義父に叱られそうです。季節に添って、習わしに添って、小さなことを大事にしていくことが、いつか大きな河につながっていく道筋なのでしょう。