ユーチューブ

 ホテルの美容室で長年着付けをしたり、生徒さんを教えたりいろいろ活躍している方が、今度はYouTubeで着付け動画を配信しているというので、撮影用や生徒さんの教材にしてほしくて、ただいま整理中の着物を色々持って行っていただきました。彼女は高砂出身で小さい時はよく怪我をして、義父に脱臼や骨折など治してもらい、後療法もきちんとしたので後遺症も出なかったと懐かしそうに話しながら、二階の仏壇にお線香を上げ、大きなスーツケースに留袖セットや振袖セットを詰め込み、大事に使わせていただきますと待合室の自動ドアのところで挨拶して帰られる時、私はなんだか胸が詰まって涙が出てしまいました。

 何回も怪我をしてお母さんにおんぶされてきて、包帯巻かれて通ってくれた女の子が、今度はいろいろなご縁で家に寄せられた素晴らしい着物たちを持って帰り、若い生徒さんに教えるのに使って下さる。豪華な松の刺繍の留袖や、重い袋帯で練習するのは大変かもしれないけれど、本番できっと役に立ちます。仏壇に飾ってある義父の寄せ書き日の丸に目を止めてじっと見ていた彼女は、戦後裸一貫で整骨院を繁盛させた義父の事をよく知っている証人で、それから半世紀たち、時代も状況も変わってあっさり私たちが閉じてしまったことは良かったのか、私は自問自答することも多かったのです。あの頃は、地域に”役に立った”存在だったけれど、そうではなくなった時代の流れを見て、夫はもう”役に立たない”とあっさり引退してしまいました。

 日本橋や六本木のお店で働いている娘が、馬の柄のデザインの浴衣を着ている写メを送ってくれたので夫に見せたら、「役に立っているのかね」と言葉を返してきて、私は意外な感じで受け止めたのですが、裸一貫?で自分の道を切り拓いている娘に対しても、やっていることが”人の役に立つか”という価値観で見てくれているのでした。今回差し上げた着物たちも、新しい場所で、皆さんの役に立ってくれることが何より有難いし、持ち主の手を離れ、私のところに来た着物たちは、700人以上の外国人に喜んで着てもらい、コロナ以後はこうやって日本の生徒さんのお役に立ち、そして今度はユーチューブで配信されるようになったのです。

 みんな頑張っているなあと、私は万感の想いでいますが、このユーチューブというのは今やテレビより人気があるようで、小さい子供たちもユーチューブの番組を夢中になって見ているのです。私もいくつかお気に入りの番組があって、更新されるのを楽しみにしていますが、最近は若い男の子たちの番組スカイピースというのが面白くて、歌手のみやかわくんが一緒に出ているのもあって延々と見ています。コンビニの新製品を食べくらべたりカラオケで歌ったり、軽いノリで遊んでいるのだけなのだれど、不思議なことにアルコールがダメで清涼飲料を回し飲みしたり、食べ物も食べかけを回してシェアしながら、時々現れる彼らの人間性は途轍もなく優しくて穏やかで、悪意がない。だから人気があるのだろうし、でもみやかわくんの「ミスターグリッチ」や「レゾン」の歌詞の別の顔の深淵を垣間見ると、この子たちはチャラいこと言いながら、どこかで真剣な深い井戸を覗いている気がします。(ちなみにグリッチとは、ゲームにおいては製作者の意図しない現象をプレイヤーが能動的に起こすことだそうです)

 

 

 国家間の軋轢は日に日に激しくなり、夏休みどうやって過ごそうなどどのんきに言っていられない事態になるかもしてません。最近また読まれているような「海辺のカフカ」という題の私のブログの出だしを見てみたら…

「 国家が国家を抹殺するための一番初めの方法は、人間の意識下に悪を刷り込むことであったのかもしれない。では善はどうしたらそれに対抗して存在出来るのか。」

 「想像(夢)の世界に存在しているもう一人の自分を認めない限り、呪いを打破することはできない。確固たる想像の世界を作り上げ、そこで呪いを遂行することで、呪縛から解き放たれる。想像の器を持っているか否かがとても大切なこととなっている。」

 国家が国家を抹殺しようとしている。人間の意識下に悪を刷り込むことによって。それを集合的無意識と呼ぶならば、みやかわくんはそれを「くだらないな、アンサー」といってしまう。

 ダウン症の女の子のユーチューブを見ていて、限りない両親の愛情に、永遠を覚えています。先の見えない育児だけれど、融合的結論、愛が全て、だからすべての邪悪なシステムから逃れられるのかもしれない。自分の中の邪悪さを昇華し、人間存在の不条理を昇華し、裸一貫、タフに生きて行くことしか、悪を刷り込まれないようにする方法はないのでしょうか。私はこの立派な義父が建てた三階建ての家に義父母と三十年一緒に住んで、仕事を手伝い子育てをし介護をしてきて、戦争も生活苦も知らず暮らしてきたけれど、精神的に苦しいこともたくさんあり、価値観の違いや愛情の無さに絶望した朝を何度も迎えてきました。でも嫌だ、苦しいともがいてきた長い期間の心の葛藤こそが、自分をタフにするのに一番必要な事だと今は分かります。朝から晩まで一日中監視されるような生活の中で、どうやって自分を保つか。それが国家間の問題だったらどうなるのか。もがき続けるしかないのかもしれない、でも盲いたとんがり鴉の呪縛を破ることより、自分の中の呪縛から解き放たれる手段や技術をより磨いていくことから始めていくしかない気がしています。

 記憶から想像力が生まれ、その想像力を限界まで高め善であろうが悪であろうが何かを作り出し、たとえそれが呪いであろうとも遂行することで呪縛から解放される、解答が出ているとしても、それはとんでもなく計り知れないものなのかもしれない。みんな呪縛の中にいる。権力者も圧政者も、ただ呪縛に縛られて深い闇の中にいます。