宙船   そらふね

 隣家の取り壊しが終わって更地になったら、私たちが住んでいる家が丸見えになり、あらためてその全景を眺めながら近所の方に「窓がたくさんあるけど、あれはどこの窓?」と聞かれて、私はそこに住んでいるのにわからなくなって、一生懸命考えて答える始末です。でも今あらためて外から見ていると、これは家ではない気がしてきました。

 息子が生まれ、跡継ぎができたと喜んだ義父は、同居するため家を建て直し、長い杭をたくさん打ちこんだ頑丈な建物を作り、一階は仕事場、二階は食堂、風呂場と義父母の部屋、三階は私たち五人家族が仲良く住むはずでした。義父の夢は限りなく膨らんで居たと思うと、今は申し訳ないと思うのですが、楽しいこともたくさんあったのだけれど、やはりつらい思い出がよみがえります。

 若い従業員が何人かいたし、彼らの世話や仕事場で受付をするのも、みんなのご飯を作るのも、活気があってどんなに忙しくても楽しかった。辛かったのは義母の価値観で、五歳のおとなしめの息子が同居してまず言われたのが「悪いことをしたら二階の真ん中にある風呂場の外にある四角いスペースに閉じ込めて、鍵をかけて寒い中一晩おくからね」という言葉でした。そんな虐待記事が新聞に載るけれど、私たちにはどう考えてもそういう言葉を言おうという発想はないのに、外見は華やかな義母の心象風景は、いつも荒涼としているのにだんだん気付いてきました。

 そんなこんなでいろいろあり、私は精神的に追い詰められ屋上から下へ飛び降りようと思ったりしたこともあった、でも下を歩く人を巻添えにしたら大変と辞めたけれど、ストレスは重なり、病気して入院しまいましたが、三週間家から離れ、心が縛られなくなったた時から少しずつ解放されていき、息子は従業員の若者たちに可愛がられて楽しそうだったし、保育園も学校も少年野球ものびのびやっていた、でも不器用な長女は義母に疎まれ嫌われ、私の入院中もかなりつらかったのです。今夫と二人でこの家に住んで思うことは、義母はこの立派な家に住んでいてちっとも幸せでなかったということです。認知症になって施設で暮らして、スタッフの方に聞くと、記憶は結婚する前の実家に住んでいた頃で止まっているとのこと、義母も私たちと住んでいることに何の喜びも楽しみも見いだせなかったのでした。

 

 昨日テレビの歌番組で、中島みゆきの「宙船」という歌が人々にインパクトを与えてきたというコメントを何気なく聞いていたら、突然字幕の歌詞が目に飛び込んできました。

「その船を漕いでゆけ お前の手で漕いゆけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな」

「その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか  その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか

流されまいと逆らいながら 船は傷み すべての水夫が恐れをなして逃げ出そうともしていた

その船を漕いでいけ お前の手で漕いでいけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな」

 

 出演していた優しそうな髭面のシンガーソングライターが、「お前が消えて喜ぶ者に」というフレーズが実感できないとコメントしていて、自分の中にその意識がなければ歌詞として書くことはないと言っていたけれど、中島みゆきさんの中にはそう思われてきた実感があるのでしょう、何回も何回も戦闘的に繰り返すこの言葉たちは、彼女と同い年の私に痛烈に突き刺さります。私たちが消えて喜ぶ者に、私たちのオールを任せることは一ミリたりとも必要でなかった。

 私たちは、これからの世の中の荒波を、自分のオールを持って自分の意志と力と気力と体力で漕いでいかなければならないのです。何十年もうじうじ悩みながら過ごしてきた圧迫の生活の記憶を、一言で消してくれたこの言葉たちは、今ウクライナなど世界各地で紛争を続けている国家間の問題に目を向けてさせ、何でこんなことを続けていかなければならないのかを必死で考えなければならないことを示してくれます。鬼滅の刃で、死闘を繰り広げていた煉獄さんが最後に鬼のアカザに言った言葉は「私とお前は価値観が違う」でしたが、狭い一軒の家でも生きていく上での価値観が違うことは心がボロボロになるくらい苦しかった、それが国家間のことになったらどんなに大変なことか。価値観の違いだけで、こんなに多くの殺戮が行われているのです。相手を殺すことをいとわない者に、相手が消えていくことを喜ぶ者に、どうして自分の国を任せることができるでしょうか、オールを任せてはいけない。だから戦っているのです。

 義母が去って、こうやって佇んでいるこのいえを外から見ていた時、これは宙船 そらふね なのかも知れないと思います。

「その船は 自らを宙船(そらふね)と忘れているのか その船は舞い上がるその時を 忘れているのか  地平の果て 水平の果て そこが船の離陸地点 すべての港が灯りを消して黙り込んでも  その船を漕いでいけ お前の手で漕いでいけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールを まかせるな」決して自分を甘やかしてはいけない、多大な犠牲を払ってこの家にいた義母が去ったいま、この家を灯りの灯る何らかの形の宙船にするために、努力し続けなければならないと思います。エアビーが繋がっている限り、外国人のゲストはまた来てくれるかもしれないし、いろいろな形で新しいコミュニケーションがとっていけるし、日本人のお客様の求めていることもだんだんわかってきました。わたしは、このうちが心から喜べるようなことをしていきたい、それがどういうことだかまだよくわからないけれど、このいえは生きている、呼吸している、何かを望んでいる。人々の心が空っぽになったり、ボロボロにならないように、自分の価値や心を大事にして暮らしていくことを感じていけるように努力していきたい。これまで苦しんできたことは決して無駄ではなかった。そしてこのうちは、私たちの苦しむ様をずっとみていてくれたのでした。

 

 何ができるのか、何をしてほしいのか、このモスグリーンの宙船と共に、考えていこうと思います。