イギリス国旗の帯

 着物研究家のシーラ・クリフさんが17日にテレビ番組の「徹子の部屋」に出るよと娘がラインで知らせてくれました。昼ご飯を食べ終わってテレビを付けたら、お馴染みのテーマ音楽と共にアップで画面に現れたのはイギリス国旗のお太鼓柄で、くるっと前を向くと水玉模様の変わった柄の着物を着た可愛らしいシーラさんが微笑んでいました。イギリス国旗には思い出があって、自分でこの柄の靴下を買って履いていた小学生の娘がなぜか義父にひどく叱られ、私まで「こんな柄の靴下を買う教育をお前はしているのか!」と怒鳴られてしまいました。国旗に敬意を払えということなのか、靴下にしてはいけなかったのか、義父の真意は分からずじまいでしたが、それなら帯は大丈夫でしょうと思いながら、シーラさんの話を聞いていたら、彼女は日本に来て定住してしまったことをお父様にひどく叱られ、なかなか会いに来てくれなかったと言っていて、どこの家庭でもいろいろなことがあるものだと考えさせられました。シーラさんは双子のお姉さんで、いつもできのいい妹さんと比べられていたらしく、いろいろあって空手の講習で日本に来て、それから着物に魅せられて着物研究家となり、ずっと日本の大学で着付けと着物文化を教えているのだからすごい運命です。

 ご自宅を紹介するコーナーもあって、タンスや棚にはたくさんの着物や帯がしまわれていて、傍で見ていた夫が「うちみたいだな」とつぶやいていたけれど、その通りです。日本に来て、骨董市で赤い長襦袢を買ったのが初めての着物だったそうですが、こんなに綺麗な赤はイギリスにはなかったというのを聞いて、私はこの前ゲストで来たリンゼーさんが、緑色の長襦袢を気に入り、持って帰ったことを思い出しました。とても綺麗な素敵な振袖とこの緑の長襦袢を、知り合いのお友達の方から送っていただいた時、緑というのは珍しいなと驚いたのですが、直感でこれはイギリス人に好かれる色だなと思い、それからリンゼーさんに着てもらって写真を撮った時、彼女がくるくる回って緑の長襦袢の袖が着物からはみ出しているのを、なんてきれいなんだろうと感心して見ていました。さすが振付師、動きが違います。そして何のためらいもなく、彼女がこの長襦袢を欲しいと言って、私も何のためらいもなく「どうぞ」と差し上げました。傍にいた夫がびっくりして「いいのか」と聞いたけれど、この緑の長襦袢は、イギリスに渡っていって、新しい経験をするために私のところに来たのだと思っています。割と小さめのこの振袖には、他の長襦袢を合わせてまたどなたかにお着せしましょう。

 シーラさんは番組の中で、もっと日本人は気軽に着物を着てほしいといっていましたが、クイズ番組などでもよく着物を着ている徹子さんの返事は「成人式ではみんな着物着るし、結婚式のお色直しにも着るから大丈夫ですよ」で、ちょっとずれている気がしましたが、日本人らしい答えだなと思いながら、シーラさんみたいに普段使いで新しい組み合わせのスタイリングをしていくのが出来る日本人いるかねと夫と話していて、ああそれは娘だと気がつきました。まだまだ勉強しなければならないことがたくさんあるけれど、今の職場でも英語が話せることが珍重されているようだし、優れた仲間たちに刺激をもらいながら新しい地平線を目指している娘を見ていて、自分が何をすべきか悩み考え込む時期を過ぎて、私はこの人生で何をすることを求められているのだろう、私の事を本当に必要としている人は誰だろう、その人はどこにいるのだろう、その誰かや何かのために、私に出来ることは、何があるのだろうというところに来ている気がします。自分は人生から何を期待されているのかを感じて生きて行くこと、自分の意志を超えた何かからの問い、起こっている出来事や状況に対して、どう反応し、どう理解し、どう回答しどう行動していくか、ひとえに行動によって、適切な態度によって正しい答えは出されるのです。

 辛い、苦しい、むなしい、悲しいといった状況も、それは「自分を超えた何かから与えられる人生からの問い」であると考えれば、それに対してどのような態度や行動で人生に答えていくかが重要で、人生に起こることすべてに答え続けて行くことが人生の目的、生きる意味ということになる。

 自分のなすべきこと、自分がこの世に生まれてきたことの、意味と使命とを実現していくのが人生だと、「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルさんは言います。アウシュビッツの収容所の中で極限の状況に置かれながらも、冷静に考察を続けていた彼が、なすべき時になすべきところで、なすべきことをしているという深い生きる意味の感覚に満たされて生きて行くことが何よりも必要なのだということ、そしてもっと大事なのは、全てに対する大きな愛情です。成人式の時に、何回も手を骨折して夫が治してきた和裁師さんが精魂込めて作って下さった振袖を娘は、卒業式やパーティーなどで何度も着て、そして外国人のゲスト達にもたくさん着てもらっているのですが、これは技術や品質やそしてかけられた愛情という面において比類なき着物で、それを原点にして娘は自分の着物の感性を作り上げていっています。

 

 イギリス人のシーラさんがなぜここまで着物に愛情を持てるのか、そして彼女に着物の事や着付けを習いたいという女の子たちは、日本の着付け教室では教われないものを、彼女から得られることを知っているということ。反対に私は外国人のゲストに着物を着せて、ティーセレモニーをして、お寺を散策し仏教に触れるというパックツアーをやって来て思うのは、着物を着るだけ、街歩きをするだけではできない会話をし、異文化交流をするというスリリングな緊張感と嬉しさを感じる楽しさなのです。最近はイギリス在住のブレイディみかこさんの本をいろいろ読んでいますが、保育士でありアイルランド系の御主人と息子君と暮らす日常や政治的見解も書き綴るコラムニストの彼女の文章は面白いし、いろいろなことがわかると、今度イギリス人のゲストが来た時役に立つのです。結局、着物を着るということだけに汲々としている時代は終わって、文化も国際状況もリベラルアーツも全部含んだ生きている人間が生活しながら、気持ちを高めながら、ワクワクしながら着て行ける着物スタイリングを考えていかなければならない気がします。 

 ロンドンで美容師の修行をした寛子さんに、先だって私はシーラさん張りのスタイリングをして写真を撮ってもらいました。恥ずかしかったし、まるで自分でないようだったし、娘にはどうしてこういう恰好をしたのか聞かれてしまったのですが、これもあり得る選択だと、ほんの少し嬉しかった私は思っています。

 日本の文学も読み、いろいろ研究しているシーラさんから学ぶことはたくさんあるのです。