兼三さん

 敬老の日に義母のいる施設に梨を送ろうと夫と話していていましたが、前にお彼岸に八柱霊園の近くの梨園に行った時、完売でもうなかったことがあって、最近は気候変動も甚だしいから梨状況が変わっているかもしれないと心配になり、ちょっと早いけれど、千葉の梨街道に行ってこようと夫が準備を始めました。けさ、今日が兼三おじいちゃんの祥月命日だと気がついた私は、仏壇のお位牌を前に出して、長いお経の字の入ったお線香を灯しながら、申し訳ないけれどこうやってメインで拝むのは嫁にきて初めてだと、妙な気持ちになっていました。 

 お天気が良くなって、梨街道は凄く渋滞して大変だったと疲れて二時過ぎに帰ってきた夫は、豊水という梨をひと箱施設に送り、八柱霊園によって墓参りをして、兼三さんをしっかり拝んできたよ、と言って清々しい顔でいます。孫に祥月命日にお墓参りしてもらえてよかったなあと思いながら、初めてのこと尽くしで私もとても幸せな気持ちで、兼三さんが今うちにいるんだなあと感じています。

 強い義父の力に私たちはいつも怯えていたけれど、兼三さんはその義父のお父さんで、戦争中お酒を飲んで脳卒中で64歳で亡くなったそうです。義父は戦争に行っていて看取ることもできず、その後空襲で家も焼かれ、幼くして亡くなった息子二人の小さいお位牌を持って、とみおばあちゃんは逃げまどい、戦後復員した義父はその限りない強い力でここまでやって来たのです。その反動で、亡くしたものも多かったけれど、義父の望みに反している私たちがいまだ不安定な状態でいるのも何なんだろうと思う反面、何かの過渡期にいることを示されている気がします。 

 夫が買ってきた豊水の梨を仏壇に供え、沢山のお位牌を見ていると、兼三さんととみさんの子供たちの事や、彰義隊の末裔だったという曽祖父の事や、そしてそれを供養できる私たちの幸せを感じています。だから、次女の旦那さんもわざわざ神奈川の山の上のお墓まで行ってくれるのでしょう。拝む存在があるというということがこんなにも心を穏やかに清々しくさせるものだということを、兼三さんはあらためて教えてくれています。

 いいことばかりでない人生の中で、気持ちが折れたらおしまいという時、色々な経験をし、色々な感情を積み上げてきた人間でないと、なかなか胆力を持って対峙できない、自分が自分であることに誇りを持ち、だから全てに愛情が持てるということを自覚して、今を生き抜いていかなくてはならない。

 ブログを整理しながらエアビーのゲストのコメントをあらためて見ていたら、「スピリチュアルな体験を期待しています」というのがあって、いまさらながらそうだったかなあと思うのですが、「綺麗!可愛い!楽しい!インスタ映えする!」というものを望んでいる方はよその体験や浅草や京都へ行っているし、わざわざ辺鄙な場所の地味目な体験へ来る方には、何かのこだわりがあるのでしょう。

 はからずもコロナ禍の中で、ウクライナ紛争やいろいろな国での諍いが続いていて、人間の心というものがはかり知れなく残酷になり、それを残酷だと思わない権力者が横行する時に、いかに自分の心を平静に保ち耐えうる胆力と、前へ進もうとするエネルギーを持てる方法を、知らず知らずのうちに私はゲストと共に無意識に探っていたような気がします。

 八月に亡くなられた稲盛和夫氏は経営の神様と言われ、私は2004年に書かれた「生き方」という本を持っているのですが、「閉鎖的な状況が社会を覆い尽くし、生きる意味や人生の指針を見失っている時代に、最も必要なのは人間は何のために生きるかという根本的な問いではないかと思う」と言っているのです。今から18年前に書かれたこの本を読んだ時、一番思うのはコロナウィルスにしろ、圧政を繰り返す権力者たちにしろ、絶対的な悪というイディアはどんな時にでも存在するということだし、断崖絶壁の上でも人は剣を抜いて争いを繰り返す、善と悪は人間の中の併せ持ったものであり、完全にいい人はいないということがあからさまにわかるのです。

 私たちは何のために生きているのか。なぜ学問を積み、立派に育ってきた人間が、人を苦しめたり搾取したリ、貶めたり罵倒したリするのか。なぜそれが悪いことだとわからないのか、それこそが学校で教わらなかったこと、学校が教えられない事なのです。「正しく仲よく元気よく」「みんなで手を取り合って、ともに進みましょう」小学校の教壇の上に掲げられた標語を思い出しています。

 

 アウシュビッツの悲惨な収容所で暮らしていた「夜と霧」の作者の精神科医フランクルさんは、冷静な視点で収容所の出来事を記録するとともに、過酷な環境の中、囚人たちが何に絶望したか、何に希望を見出したかを克明に記しました。そして「人生はどんな状況でも意味がある」と説き、生き甲斐を見つけられずに悩む人たちにメッセージを発し続けました。人間の”生きる意味”とは何なのか。苦境に陥った時の”希望”の持ち方について考え、収容所という絶望的な環境の中で希望を失わなかった人たちの姿から、心の支え、つまり生きる目的を持つことが、生き残る唯一の道であるというのです。

 私たちは、自由で自己実現が約束されている環境こそが幸せだと思っています。でも災害や病気などに見舞われた時、その希望は潰える。人間が人間に対してなしうる悪の限りの象徴のような収容所はその最悪のケースです。それでもフランクルは、幸せはまだ近くにあるのではないかと考え、どんな状況でも、今を大事にして自分の本分を尽くし、人の役に立つこと、そこに生き甲斐を見出すことが大事なのではないかと考えたのです。

 人間には「創造する喜び」と「美や真理、愛などを体験する喜び」があり、運命に毅然とした態度を取り、どんな状況でも一瞬一瞬を大切にすること、それが生き甲斐を見出す力になる。幸福を感じ取る力を持てるかどうかは、運命への向き合い方で決まり、生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役、与えられた運命を引きうけ、それをバネにすることで成長が生まれる。

 「夜と霧」が日本で出版されたのは第二次世界大戦からまだ11年しかたっていない1956年の事です。ナチスの強制収容所について、まだあまり知られていなかった当時、この本の日本語版を出そうとした人たちの慧眼には驚かされます。そしてフランクルが提唱した「ロゴセラピー」(人が自らの生きる意味を見出すことを助けることで、心の病をいやす心理方法)についてはほとんど知られていなかったのです。心の病を癒すためには、自らの生きる意味を見出さなければならない、そしてそれは他人を傷つける人間にはできない事だった。

 苦しみ抜いて、そこから抜け出して新たな境地に至り、異次元の世界を作り出そうとしている人たちがたくさんいます。そして彼らはみな、考え、悩み、苦しみ、何とかそこから皆の救いになるようなものを作り出そうとしているのです。キラキラ光る雲の糸が天から下がってきています。邪心を持たず、その輝きを見つめ、そこに昇るれるよう身も心も軽くしなくてはなりません。さあ、ダイエットをしましょう!