白内障の手術

 今日眼科へ行って、十月の四日と十一日に予定している白内障の手術の詳細の説明を受けました。四日の夜に五分で済む手術をしてから約一か月、顔も髪も洗えないと知って、どうしようと思っています。でも、夫がお世話になっている隣の床屋さんでシャンプーしてもらえばいいし、マスク生活が続いているから化粧しなくても顔は隠せるし、今のところエアビーの予約も入っていないから、本当に十月は大人しくしていなければなりません。

 中原唯馬さんのデザイン哲学を知って、いろいろ考えさせられることが多いのですが、おととい戴いた羽織が幅が広くて、珍しいなと思った時、コロナ感染が始まる前にアメリカから来たユニークな三人組の事を思い出しました。かなり大柄で顔がとても小さいお姉さんと普通サイズの妹さんと、クロスドレッサーの男の子三人に振袖を着せて柴又を散策した後、うちに帰って着物をプレゼントした時、お姉ちゃんが着られるものがなくて悲しそうな顔をしていたのですが、ふととても身幅が広いけれどグレーで地味な着物があることを思い出し、それを羽織ってみたお姉ちゃんは「着られる!」と嬉しそうにはしゃぎ出したのです。着物を差し上げても長いし、うまく着るのは難しいと今までためらっていたのですが、中里さんの作りだす着物を原点にしているファッションは、長方形の布をベースにしているから、モデルが歩く時後ろの裾が長くなっていたり、袖も取り外しができたり、前を結ぶのも紐であったりルーズで、何よりもコンセプトが纏うということなのです。

 あのお姉ちゃんは、薄いグレイの着物を纏って、天女のように舞っているかもしれない、これこそ私の着物だと思っている事でしょう。着物が与える歓びを知ってくれれば、あとは自分の発想で着ていけばいいのです。マイアミからコスプレ仲間が四人で着物体験に来た時も、日本のアニメのコスプレをするために、いろいろ着物や長襦袢や布地をプレゼントしたのですが、自分達で縫ったり貼ったり工夫して何かの衣装を創るというのはある意味デザイナーのようだと思っていました。中里さんのコレクションは、役割を与えられなかったデッドストックの素材を集めて制作していて、「倉庫に眠ってしまう理由は、傷があるものや、多く生産してしまったものまで、様々である。これらの素材は、ものとして素晴らしいにも関わらず、一般的にはなかなか価値を見出しにくい。しかし、視点を変えれば、物事の善悪は入れ替わり、全く別のものに変化することがある。価値がつかないものから、人が美しいと感じるものを創り出したい」といっています。

 青色を使ってファッションを創った中里さんは、海も空も青く見えるけれど、海に布地を浸しても青くは染まらない、目には見えているのにまるで存在していないかのような不思議な存在であって、青い服を纏うということは、化身たちが私たちに届けるメッセージを纏っているような、そんな感覚になれるのではないかと考えたと言っています。着物デザイナーのキサブローさんの「玄虹日を貫く」というプロモーションに、”百色を混ぜて、黒も生み出せる。今こそ虹の再解釈の刻 七色ではない 黒い虹を架ける 混沌とした浮世に 玄虹日を貫く”というフレーズがあったのを思い出しました。黒は単なる黒ではない、全ての色を併せ持ったものなら、ヘラルボニーの八重樫さんが半世紀ずっと描き続けているデザインのカラフルな色は、全部黒い着物の中に含まれているのかもしれない。今はファッションも着物も、メッセージを持つことが大事、それは簡単に作られて簡単に廃棄されるものではなく、何らかの理由で使えなかったものの善悪を外し、価値がつかないもの、使えないと思い込んでいたものの中から、人が美しいと感じるものを創り出したい。

 私にはスタイリングする能力はないけれど、できる方たちに素材を渡すことはできます。こちらの思惑とは違った形で、物事が進んで行く感があって、結婚式に着て行くといって夏物の着物をいろいろ見ていたお客様が、絽の着物でなく紗の着物にベージュの帯を選んで、それがとても好評だったと嬉しそうに教えてくれたこと、その方の紹介でお茶のお稽古用の着物を探しに来た若いお嬢さんが、全く欲がなくてお茶の先輩より目立ってはいけないと地味目なものを二枚持っていかれたのですが、お茶の先生をしていた方のお嫁さんから戴いたベージュの江戸小紋の切張り風の単衣と、とても凝った模様の大島を持って行って下さったこと、義母が全く着ないで50年間タンスに眠っていた着物たちを、ユーチューブで着付けを教えている方がお嫁さんに着せると言って持って行って下さったこと。

 なんだか着物たちが不思議な動きをしています。大人しくしていなければならない私を置いて、着物たちは自分で何か仕掛けてくるのかもしれません。