市川の梨

 先だって夫が千葉の梨街道に行って、義母がお世話になっている施設に梨をひと箱送ったのですが、届いたそうでブログにその様子を上げたと連絡があり、早速見てみると、梨を持って笑っている義母の写真がたくさん載せられていました。市川の梨と箱には書いてあり、市川の女学校に通っていた義母はその時の思い出を色々スタッフさんに話してくれたそうで、大振りの梨を美味しそうに食べている姿を見ていて、私は複雑な思いがしていました。

 もう家に戻ることはないと知らず、施設に入れてしまったことはだまし討ちのようなものだったし、洋服も備品もずいぶん届けたけれどあれもない、これもないと随分不満だろうし、最近はコロナ感染が収まらないので面会も中止なのですが、もし会ったら「私持って行きたいものがたくさんあるから、家に帰るわ」と言われるのは分かっています。94歳なのですが本当にしっかりしていて、食事もよく食べる義母は、認知症と認定されて、自宅で暮らすことは難しいと言ってもらっているものの、三十年以上一緒に暮らしてきた私の気持ちは正直苦しいです。本当にこれで良かったのかと考えた時、前の電器屋のおじちゃんに言われた言葉、「施設に入れても後悔するし、入れなくても後悔しますよ」が蘇ります。

 でも、渋滞している梨街道を通り、梨を施設に送った後、帰り道八柱霊園によって兼三おじいちゃんの祥月命日のお墓参りをして、お花を供えお線香を上げて、清々しく帰ってきた夫の気持ちを、スタッフの方がブログにあげて下さったおかげで、これまで愛想はないけれど50年以上一緒に暮らしてきた、先妻の息子の夫の人間性がはっきり示された気がして、私は涙が出てきてしまいました。もし、まだ一緒に暮らしていたら、義母は梨を食べても何も思わないだろうし、相変わらず私たちに対する不平不満を言い続けていたでしょうが、施設ではみんなで一緒に梨を食べたり話をすることができるし、翌日にはまたみんな忘れてしまっても、それでも私たちは一瞬でもみなさんも喜んでくれたということが何よりも嬉しいのです。

 今までは、私たちが何をしても、心から喜ばれたことがなかった記憶が大きいのですが、今回は兼三じいちゃんの気持ちも入っている気がしています。戦災で皆焼かれ、たった二枚残っている兼三さんの写真は、かすれて薄くなっているけれど、若い頃の袴を履いて刀を持っているものと、60歳を過ぎたころのちょっと恥ずかし気なものを、今床の間に飾って毎朝挨拶しています。そうそう、兼三さんは鈴虫を甕に飼っていて、夜になると涼し気に鳴いていたと義父が言っていたそうで、私は今何とか鈴虫を手に入れる方法はないかと探している最中です。

 義母の心も、それなりに安定してくれることを願いつつ、今親しくしている入居者の方が、限りなくいい方だそうで、それでも認知症で毎日同じことを繰り返して語り合っているとスタッフの方が教えてくれて、私たちといるのでは得られない平安があれば有難いと思っています。

 大きくて、瑞々しくて、美味しそうな梨を、兼三じいちゃんの命日に義母の施設へ届けられて、良かった。こういうことを積み上げていけばいいんだよと、兼三さんは教えてくれます。