9月13日

 ヤクルトスワローズファンの夫は、息子が小さい時はメガホンやカサを持って、よく神宮球場へ行っていました。私も野村監督や古田捕手が好きで、テレビ中継を見て応援していたのですが、最近は若い選手の名前すらわからず、「巨人ーヤクルト」戦のS席が2枚抽選で当たって送られてきた時、一緒に行く気持ちになれないと夫に言ったので、やはりヤクルト好きの方と二人で行くことになりました。当然夜ご飯はいらないとのこと、この前神奈川のお墓にいったとき、家事能力のない夫の晩御飯に間に合うように帰って来ることが一番大変だったので、野球観戦に行く日にもう一度神奈川にお墓参りに行って、この前やり残した掃除をしようと勇んでカレンダーをみたら、その日は9月13日、父の祥月命日でした。

 このところとても暑い日が続いていて、頭から汗を流しながら墓掃除をして、墓誌の裏のシミのような汚れだけは取れなかったけれどあとは何とか綺麗になり、近くにある親戚のお墓を拝んで帰ろうと、細い坂道を降りていくと、いつもと違って造花のお花が2対飾られていているのです。あれっと思いながら手をあわせてから、こちらの墓誌は汚れがないなと思って見ていると、令和4年と書いてある仏様の戒名に気がつきました。今年だ、亡くなってまだ三か月だ、とびっくりしてしまい、コロナ禍でいろいろみなさん連絡しないでいるんだと思いながら75歳で亡くなられた仏様に手を合わせ、帰りのバスに乗りました。

 次女夫婦がオートバイに乗ってお墓参りをしてラインで連絡してくれたり、ヤクルトの野球の券が当たらなかったら、ここまで来なかったし、親戚の亡くなったこともわからなかった、渾身の力で墓石の周りの汚れを落とすことに気がついたのも、次女の旦那さんのおかげだと考えていると、今までと違って何か不思議な力が周りに漂っている気がしていました。家に帰っても、神奈川のお墓に通じるドアがあって通路が続いている感覚があると思いながら、今朝親戚の家に電話して、おまいりだけさせてもらったと話したのですが、いつも親しく長話をする方がなぜかとげとげしく疲れて、投げやりな感じがするのに違和感を覚えていました。コロナで散歩もできないし、皆年を取るのは一緒だから仕方ないと思っていたら、すぐその方から電話が掛かり、三月にもっと若い大事な家族が亡くなって、誰にも言いたくなくてずっと黙っていたこと、年を取った自分達の最後に、何でこんな苦しみが与えられなければならないのかと、淡々と話すのを聞きながら、私はずっと泣いていました。

 泣くとかいうレベルの苦しみではない、はらわたをえぐり取られるような深い深い淵にずっといるということは、いったいなんでなんだろう。近所に住んでいて、いろんな悩みを聞いてもらったり、母の事でもずいぶん世話になった、いい方なのですが、自分の人生は幸せではないといっていたけれど、優秀なお子さんやお孫さんに恵まれて、いつも二人で仲良く暮らしてきた方々なのに、ここへきて何でずっと苦しまなければならない物が与えられてしまったのでしょう。 

 「人の不幸は蜜の味というからねえ、近所の人にも誰にも言わないのよ」といいながら、黙って抱え込んでいるのが苦しくてたまらない、そこへお墓参りに行った私が電話してきて、一旦切ったものの、私には話せると電話してきたのです。その訳は、私には何にもないからで、皆と同じ道を歩いて居ない、多分見ているものが違う、このところその感覚が異様に強くなってきています。電話を切ってからも悲しくて悲しくてずっと泣いていたのは、これからもずっと苦しみ続ける親戚の方の辛さに何もしてあげられないことで、聞いても泣くしかできないけれど、話したことでいくらかでも心が軽くなれば有難いことです。どうしたら苦しみをほんの少しでも吸い取れることができるのか。

 電話を切ってからずっと動けないでいたら、週末に来るドイツの女の子からメールが来て、ドイツの大学で現代日本学と哲学を勉強し、着物クラブに入っていて、着物について学んでいたとあり、かなり大柄だから何を着せようかと悩んでいたけれど、知識もあるのなら私の大きい着物みんな試してみてもらうチャンスだし、送れるものならたくさんあるウールの着物などきものクラブで使って欲しいのです。金沢大学に一年留学して日本語の授業を受けるとか、日本文学の話もしたいけれど、そう彼女はまだ20才の女の子なのでした。この仕事をするためにいろんなことを考え、準備しなければなりません。いつの間にか戦闘モードになってきて、頑張ろうと思うし、何があってもどんなに大変でも、前に進んで行くことが誰かのためになればいいのかもしれません。

 43年前に59歳で亡くなった父は、決して不幸な人生ではなかった。お墓の掃除がすんで、汗を拭いて山々を眺め、鳥の声を聞き風に吹かれていると、これこそが父が残してくれたものだと思うし、次女夫婦もそれがわかっているのでしょう。やるべきことを精一杯やり、見えてくるものを大事にしよう。心を空っぽにして、ただ前に進みます。