夜の町を歩く

 昨日は蒸し暑い日で、夜も寝苦しく九時過ぎに布団に入ったのになかなか寝付かれないでいたら、耳元にブーンと蚊が飛んできて、久しぶりだなと思いながら最新式の噴霧器ベープを取り出してきました。ところがこの前は使えたのに、もう空になっていて、古いタイプのものもみんな本体がないのです。まずい!寝られない!時間はまだ11時半、着替えてマスクをしてコンビニに買いに行くことにしました。

 実母が施設に入っていた頃は、夜中に具合が悪くなって呼び出され、夜の町を自転車で突っ走ったり、夜明けに帰ってきたこともあったなあと思いながら、三軒コンビニを回り、最後に行ったファミマに一つ残っていたベープマットを買って、ほっとして歩いて居ると、まだ電気がついているうちが結構あって、皆さんこの時間にはまだ起きているんだ、あまりに早く寝る私は本当に年寄りだなあとおかしくなりました。

 12時近くなのに踏切はなぜか長く閉まっていて、延々と待ちながら私は今日読んでいたカフカの変身について書いたブログの事を考えていました。ある日起きて見たら自分がベットの中で毒虫に変身していたという、本当に奇妙な小説は何を意味しているのか、コロナ禍になってからやっとわかった気がしたのですが、カフカの変身は不条理が個人を襲ったことを描いた不条理フィクションであり、カミュのペストは不条理が集団を襲ったものだということなのです。鬼滅の刃もそうでした、ある日家族が突然惨殺され、妹が鬼になってしまう、こんな不条理を私たちは経験したことがなかった。理不尽なことが起きることが不条理ならば、私たちはその状態が起こりうるという事実を認識したことがなかったのです。世界は人間という一つの生物のために存在しているのではない、出過ぎた真似をするなという鉄槌がまず個人に向けられ、耐えられうる個人は自分の存在が何なのか自問し悩み苦しみながら、変身の毒虫のように生きてきました。不条理とはなぜ存在するのか、でもペストのような不条理が集団を襲った時、強いのは不条理を知っている個人だと思うのです。人間が自分の世界を再建し、自身の解放に着手することが一番大事で、人間は聞いたこともなければ不確かで知りもしないものに直面しながら、それでも何かしら意味を持ったものを作り上げようとしています。宗教とか国とか今はいろんなものが混然一体となっている時代だからこそ、一番大きいのは個人の思想であり、感覚であり、考え続ける力ではないかと思います。

 

 明るくてお友達がたくさんいて、いつも人の面倒を見ていた同い年の近所に住むママ友が、旦那さんが亡くなって子供たちも独立して、一人で暮らすようになりました。娘たちが同学年で、それこそいつもおうちに遊びに行って楽しく過ごして、息子の面倒まで見てもらったこともある彼女は姑の介護をしていたのだけれどそれも済み、旦那さんの三回忌も済み、たまに見かけていたのが、コロナ禍で会うこともなくなり、ある時おうちの前を通りかかると住んでない気配で、どうしたのかしらとずっと気にかかっていました。おととい手前の家に住む方にあったので伺ったら、口ごもりながら「病気でずっと入院している・・」と教えてくださいました。

 

 子どもたちも同い年、私たちは同じ年、違うのは性格と明るさと交友関係の広さで、どこにいても愛くるしく輝いていた彼女と話が合うのは最近は介護話で、他の兄弟姉妹が誰も親の面倒を見ないけれど、午年生まれの私たちは介護する年回りなんだよねとこぼし合いながら、辛くもないけどねと言って別れたのですが、コロナ禍で動けなくなり、実家のお母様の介護もしずらくなってきた今、彼女は病んでしまっていました。

 聡明で若い時から世界中を飛び回っていたある女性作家が、高齢になって認知症になりだんだんひどくなってしまったというお子さんたちの介護の話をネットで読んで驚きました。あんなに優れた、仲間の多い方でもなってしまうものなのか。「ある日起きてみると、自分は虫になっていた」この感覚なのかもしれない。

 このカフカの「変身」の紹介と解説を、斎藤孝さんが監修している「にほんごであそぼ」という子供向けの番組で見たのはコロナ前だったかコロナの最中だったか覚えていないけれど、不条理が突然個人を襲うことがあるという意識や認識を、子供の心に感じさせることを、斎藤さんはしているのです。こういう話を聞いても、わからない子供ばかりかもしれない、でもそれが心の奥底に残る子供も、そして大人もいるのです。知っているか知らないか、わかっているかわからないか、右を取るか左を取るか、それこそ分水嶺のように大きく道は変わっていく。でも、いまこの不条理や、理不尽なことが襲うことの感覚を掴まないと、私たちは強くなれないのです。不条理を、理不尽を全部身に引き受けて、長いことかかって一人でそれと戦い続けて見えたものを、わかった人は提示し続けなければならない。

 一人で部屋に閉じこもり、何で虫になってしまったのかもわからず、悶々と過ごし家族からも疎まれ、最後に死んでいった姿を見てほっとした家族の気持ちが明るかった。だけれど、そうではないでしょう。みんな誰もがある日虫になってしまう時が来る。

 

 踏切がやっと開きました。最後の電車は、スカイライナーの回送でした。明日はドイツからのゲストがくるのです。少しでも寝ておかないと、体力が持たない。できる限り精一杯のことをしましょう。でも、エアビーの体験も、明らかに変わっていっています。