ろうそくの炎と、座禅

 今日は秋分の日で、柴又にあるお寺へお参りに行く途中に小さなうなぎ屋さんがあり、美味しそうなかば焼きがありました。でもまさかこれを持ってお寺でお経を聞くわけにもいかず、帰るまで売り切れないといいなと思いながら、久しぶりに本堂に入って密にならないように人数制限された席に座って読経を聞いていました。三年半ぶりです。すべてが懐かしいのだけれど、最近はユダヤ教やイスラム教のママたちと帝釈天へ行っているので、仏教に対してちょっと引き気味になっていました。偶像崇拝はしないママたちは、仏教彫刻も精緻な職人技に感動しているけれど、それ以上のものではなかったし、それよりもインドのククー君は強烈に中国風だと批判し「日本人は何も考えない!」とまで言われてしまっていたから、お釈迦さまの像やきらびやかな天蓋を見ながら仏教というのも難しいなと思っていました。そうしたら、二本灯されている長いろうそくの炎が開いている窓から入る涼しい風にゆらめいて、ああ懐かしい、嬉しい、これはどこの国でも誰が見ても変わらないものだと感じて、ずっとその揺らぎを見ていました。読経が終わり住職さんがお話しされた最後に、さあ座禅をしましょうと言われ、姿勢を正し手を組み、頭は天を指して顎を引き、目は2m先を見て、鉦が鳴って一分間の座禅をしました。何も考えずただ息をしているだけなのですが、久しぶりに座禅をしていてなんだか私は嬉しくて目が潤んできました。何も考えなくていい時間、何もない時間、神奈川の父母のお墓があるお寺は禅宗のお寺です。

 禅だったら、ユダヤ教でもイスラム教でもヒンズー教でも大丈夫なのかもしれません。今度来たゲストにきいてみましょう。お寺を出る時雨が降り始めました。昨日は八柱霊園のお墓参りをしたのですが、やはり途中で雨が降ってきました。傘をさしてどこまでも平らな道と広い空を見ながら、神奈川のお寺は山の中で、どこまでも深い、こんなに違うんだなあと感慨深いのです。それにしても今年は雨が多いから、どこへいても雨に降られて居ます。帰り道に鰻屋さんへ行ったらまだかば焼きは残っていました。さあ、歯の調子の悪い夫のきょうの晩御飯は鰻です。