ベトナムのママのアオザイ

 月に一度私たちの事を心配して顔を見せにやって来る娘は、先月はコロナにかかって来られず、昨日しばらくぶりで帰ってきたら、隣の家がなくなって新築工事が始まっているのにびっくりしていました。更地になったので全貌を外から見ることができるようになって、うちの造りが初めてわかり、近所の人にあの窓は何?と良く聞かれるのだけれど、娘も同じ質問をしてきて、ずっと住んでいたのによくわからなかったのです。それにしてもこの家は一つの完成された造形物のようで、そこに他のものが入るのはやはり難しいのではないか、全く音沙汰がないテナントの内覧に来た方々の逡巡はよくわかるような気がしています。

 このところ六本木のミッドタウンのお店にいる娘は、日本橋のお店では受けないようなスタイリングの和装の恰好が、六本木では反響を呼ぶという話をしていて、まだまだ暑いから模様の入った黒い単衣の着物を棚から出して持って行きました。私サイズのこの着物は、フランスに住むラオスの夫婦と妹さんが午前中に来て着物体験をした時、可愛らしいのだけれどかなりふっくらした妹さんにお着せしたことがあるのです。アジア系の女性だったら選ばない黒を、フランスに住んでいるから即座に選んだことが面白くて、住んでいる国によってファッション傾向は変わっていくことがわかったのですが、おとなしくて控えめな妹さんに誰かいい彼氏はいないかしらと、お姉さんは心配していました。柴又からの帰りに雨に降られて、慌てて傘を二本買い、夫婦は相合傘、私は妹さんに傘を差し掛けて強い雨の中を家まで帰ったのですが、肩を抱いて彼女が濡れないようにしながら、その意外な厚みのある肩の感触をなぜか今も覚えています。

 いったい何年前の話だろうと考えますが、三年半にもなるコロナ禍の生活はやはり長く、みんな歳をとり体型も変わるので、初期のベトナムのゲストが国に帰ってから私のためにオーダーメイドで作って送ってくれた緑のアオザイがきつくなり、娘に着てもらったらぴったりで喜んでいました。ベトナムやカンボジア、イタリア、インド、フランス、中国、アメリカなど、世界各地に旅に行っていた娘ですが、若い時に作った赤のアオザイはもうさすがに派手で着られず、私の綺麗な品質の良いアオザイは年を重ねた娘に良く似合います。

 このアオザイは、焼却炉に入れられる寸前に助けられた加賀友禅の着物をいただき、綺麗に手入れしたものの着物が持つ悲しい記憶のために、私が着付けることがどうしてもできず、母娘三人で着物体験に来てくれたベトナムからのゲストに差し上げ、喜んだアオザイデザイナーのママが私のサイズで作って航空便で送ってくれたものなのです。ベトナム好きな娘がこれからはこれを着て、六本木のお店に出ることもあるのかもしれない、私のタンスの中でコロナ中ずっと耐えていたアオザイが、やっとみんなに見ていただけるようになれば、デザイナーのママもどんなに喜ぶことか、ベトナムの文化と日本の文化がつながったということに、感無量の気持ちでいます。時間がかかったし、コロナもあったし、でも娘の抽斗はだんだんたくさんのものが詰まってきていて、北京大学に短期留学していた時の仲間がスイスに赴任する話を聞いたりすると、できる時に出来ることをしてきたことの大切さをあらためて思います。

 一人の人間のできることは小さいし、大きな流れの中では一人で歩んでいくのは難しい、でも一人の人間が出来ることしかが、世界を動かすことはできないと感じています。海外旅行に行ってお店でアオザイを作ったりすることは私にはできなかった、でも、着物体験をして日本の文化の着物の価値を認めたベトナムのママが、自分の技術を尽くしたアオザイをわざわざ送ってくれたことを有難いと思いながら、時々私はわらしべ長者のようだなとおかしくなります。道を歩いて居て転んだ時に掴んだ一本の藁が、物々交換によりミカンになり、高級反物、馬、屋敷と大きくなり貧乏な男は幸せになるという話ですが、本当に皆様の好意で頂く着物たちをお着せしたりプレゼントしたりしていると、大きなお返しが来ることがあるのです。ものでなくても幸せな気持ちになったり、頑張って人に尽くそうと努力したリ、ずっと前を見続けることができる気持ちになるのも、沢山のゲストから与えてもらったものです。

 世界は相変わらず混沌としている、枝葉末節に囚われて互いを突き合っていても仕方がないし、ここぞという勝負所を乗り切るには、次元を変えるしかないと思っています。リベラルアーツが人間を作るのであれば、文化は本物でなければならない。娘の話では、安く借りられる着物ショップで若い子たちが街歩きをしたりしているのはいいのだけれど、結婚式に参列するという女性が薄い化繊の訪問着を借りて着て行ったことがあって、あまりに悲しいと着付けをした係の方が言っていたというのです。この前来たドイツの女の子がドイツでも随分着物を着ているのだけれど、私のうちで本物を着た時の重みや重厚感、人々が培ってきた文化の積み重ねを感じたそうですが、特に年配になり体が衰えてきた時、本物の着物は想像以上にいろいろなものをカバーしてくれることは最近強く実感することです。

 五次元世界は空間移動も可能な意識の世界であるならば、これから起こる様々な困難に強い意識を持って立ち向かいながら、本物の文化を作り上げていけばいい。浴衣を自分で着て、3年間ドイツで習っていたお茶を点ててくれたドイツの女の子を見ていて、他文化を理解することに根本的な世界平和への糸口があるだろうし、着物とは、時代があり、人間がいて、日常生活があり、日々の感情や情熱の中に在るもので、それを理解していないと、生きた着物姿にはならない気がします。私たちは、もっともっと世界を知らなければならないと、大きな渦に呑みこまれてしまいます。

 肌の露出を控えて体のラインを消すことで、外見的な特徴よりも内面的な特徴を重視するのが日本の着物だと思っていると、作家の国木田独歩の玄孫で、お父さんがイタリア人のモデルの国木田彩良さんは言います。「日本人が日本人らしい魂を持ち、日本人らしくファションを個性的に着こなせて、たとえ新しい着こなしをしていても、その中に日本人らしさを保っているということも表していきたい。茶道や書道や日本舞踊などは実際には保守的というよりはモダンで、コンテンポラリーな要素を多く持っていて、洗練された所作は時代を超えて人の感動を呼び起こす力強さと美しさを持っている。」外国人がこうした日本の文学や芸能、美学をこよなく愛するのは、それが他の何処にも見られないからです。他のどの国でも、伝統的な衣装を世代を超えて着こなすということは見られないし、意志を伝えあうのに言葉が不要というのは素晴らしいことで、ただ感情を伝えようとするだけでいい、そしてこうした言葉のないイメージが、時に大きなインパクトを与えることができるということ、日本の美とは実はとてもシンプルなもので、壁を打つ雨音であったり風に揺れる木々の音だったり、一年を通して変わる色彩などで、これは誰にとっても間違いなくインパクトフルなのです。

 私は日本人の中になくなりかけている文化に対する憧憬や突き詰めたコンタクトを、外国の方に感じることが多くなってきたと感じるし、だからこそ成熟した日本の文化と海外の文化の融合を考え、記していかなければならないと思うのです。エアビーのサイトの写真は、私と娘が帝釈天の山門をバックに参道を歩きながら二人で横を向いているもので、変えなきゃいけないといつも思うけれど、綺麗な着物着た外国人さんにするなら誰がいいか決められないし、全てを知っている私が成熟していけばいいのだということなのです。まだ引退はできない、新しい観点を考えなければいけません。