本塩沢の着物

 もう浴衣は着ることはないだろうと、ゲストが着たひで也工房の浴衣を洗って干しています。やり手の商社マンだった英也さんが転職して着物デザイナーとなり、自分の作りたいものだけを作って評判なのですが、カラフルなインパクトのあるデザインの高品質の浴衣は、意外と外国人には選ばれず、頂き物のミシン縫いの臙脂の浴衣は十人以上のゲストが着ていました。「美人さんしか似合わない浴衣」だとご本人はおっしゃっているそうですが、一度四人のゲスト全員がひで也さん浴衣を着て柴又へ行ったことがあり、それはそれは壮観でした。

 たっぷりの大きさで作られているので、ノルウェーの180センチある女の子が紺の地にピンクのアザミが咲き乱れている浴衣を着ても余裕があったし、小柄でお洒落な中国のジュノンボーイ君が着た男の子用の浴衣もとても素敵で、この男の子にはひで也さん浴衣4枚うちできてもらい、ファッションショーをしました。コロナ後はどこも行けずお金を使わなかった方々が高級なものを簡単に買っていく傾向があるそうで、着実に売れているとか、やはりいいものはいいのです。

 娘が接客していたお客様が「本塩沢の着物買ったの」と言っていらしたそうで、私に「本塩沢の単衣を持っているよね」と聞いてきました。いつも着物をたくさん下さる方から戴いた袷の変わった柄の本塩沢は私には丈が足りなくて、きもの屋さんが裏地を取って単衣にして、胴のところに布地を足して私サイズに作り直したのですが、割と地味な色合いなので、観劇に着て行っても普通の帯だとくすんでしまうのです。もうすぐ白内障の手術をして、顔も洗えなくなってしまった時にゲストが来て、一緒に柴又行くのも大変だなと思った時に、そうだ本塩沢の着物に助けてもらおうと気がつき、帯は黒い付け帯にヘラルボニーの八重樫さんのカラフルなハンカチを止めて見ようと考えたら、なんだか楽しくなってきました。年を重ねたら良い品質のものを纏い、物語を作ってみたらいいんだ、うちにはいくらでも素材があるのでした。

 年を取って、いろいろ不調になり、気持ちも沈む時に助けてくれるのは、苦労を共にした着物たちで、それぞれの物語を持ち励ましてくれる、村上春樹が混乱に満ちた世界から抜け出すには、これまで誰も語ったことのない新しい言葉で、自分が心から信じられる物語を作っていくことしかないと言っていたけれど、着物が持つ意味や優れた品質を、無知ゆえに無関心ゆえに焼却炉に入れてしまったら、それは罪でしかない。この十月、いい季節なのに動きにくい私にとって、思いもかけない道があるのかもしれません。先が見えない私の目には、二日後手術をしたら一体何が映るのでしょう。

 今はただ、本塩沢の着物の感触を、手で触って確かめています。