猿田彦命  さるたひこのみこと

久しぶりに高砂にお祭りが戻ってきました。コロナ感染が広まり出してずっと自粛していて、何もかも止まっていたのがやっと動き出した感があります。天祖神社の境内に踊りの舞台が設けられたり、よそからも沢山の神輿の担ぎ手がやってきたり、山車を引いて各詰め所を回れば子供たちはたくさんのお菓子がもらえ、テープでエンドレスに流れるお囃子の笛の音を聞きながら、暑い一日を過ごした日々を思い出します。

 今年はお神輿はトラックの後ろに積んで町内を回るのみなので、家の前を神輿巡行行列が通っていってそれで終わりでした。だから、初めてこの行列に深い関心を持ってみることができた、そしてお祭りという意味が初めて分かったのです。

 先頭を歩く長い白髪で眼光鋭く長い鼻の赤ら顔の猿田彦命は、縄文人の子孫であり、道祖神の事でもあり、天孫を道案内した故事から導きの神、道の神とされます。世界中を渡り歩いて世界の5大人種「五色人」を創造し、このような(荒れた)世の中を、神の世に変えてゆこうとし、国を踏み開くことが目的で、新しい次のイデオロギーを生み出して、神に近づいていくという、天孫降臨神話に登場する人気の神様です。

 その方が先頭を切り、神楽鈴を持った巫女さんが福鈴の音を振りまき、災禍の早期終結を祈念した高張提灯や五色旗(天地万物を組成している五つの要素、木、火、土、金、水の象徴をあらわしたもの)そして神輿が続いて、町内を大幣(おおぬさ)で祓い、罪や穢れ、災厄を清めていきます。今まではこれから続く神輿の担ぎ手の勢いや、山車を引く子供たちに気を取られていたのですが、それらがなくなって、祭りの真髄だけが巡行していると、コロナや紛争など災厄を目の前にして、それを己の罪や穢れを清めることでしか、祓っていくことはできないのではないかと思うし、古事記や日本書紀に出てくる猿田彦命が先頭を切って道を開いていくということを、何故私は知らなかったのかと恥ずかしいより、不思議な気がしてきます。6歳上の夫は天祖神社から戴いた古事記の漫画シリーズをきちんと読んでいるし、学生運動も経験しているからマルクスレーニンも読んでいると言います。それに引き替え、私たちは何も経験せず、何も教えられず、何も考えず、ぬくぬくと年をとってしまい、知らないということからくる無関心、無感動、そして無視という三悪を持って何にも無表情でいるのです。

 猿田彦命の存在も意味も、見据えた先も知らず、子供が小さい時はお菓子をもらうためだけに山車の後を歩き、神輿の担ぎ手が醸し出すカオスに憧れて見たけれど、平和な時代が過ぎ去り、不条理や理不尽が黒雲のように覆い尽くす今、何のために祭りはあるのか、私たちは何をしなければならないのかを考えろと詰め寄られている気がします。こういうことは、外国人のゲストと話すのが一番強い、私のところに来るゲストは風変わりで哲学的な人が多かった、猿田彦命のルーツは世界の五大人種を創造したという説もあるのなら、もっとわかりやすく話せるのかもしれません。

 語弊をおそれず言うのなら、コロナはそれを気づかせてくれた

 今日は朝から暑くて、風も強く、雲が激しく動いています。北朝鮮がミサイルを発射したとニュースは一斉に報道しています。ロシアも何をしでかすかわかりません。そんな中で、あの巡行の映像が私の頭の中に焼き付いています。