心の眼

 二回目の白内障の手術をして十日過ぎ、目も落ち着いてきたら、急にゲストの予約は入るし七五三の打ち合わせがあったり、振袖ドレスの着つけ依頼があったり、バタバタしています。昨日はコーヒー豆を買いに高砂橋を渡っていたら、見慣れた風景がやけに迫ってきて、遠くのスカイツリーや川岸のセイタカアワダチソウの黄色が強烈に感じられ、強く心に残りました。年を取っていろいろ不自由が出てきた時に、突然見えるものがくっきりと変わっていく感覚はかなり新鮮で、火曜日にシンガポールから来た若い女の子と柴又のお寺に行った時も、仏教彫刻をクリアに見ながら話していることが今までとは違うなと思っていました。

 両親はインド人で、生まれた時からずっとシンガポールで暮らし、ロンドンで勉強してカトリックで三人姉妹の長女、彼氏は中国人だというスリムで美人さんのドミニクは、上野から来たのになぜか違う駅に行ってしまい、バスで高砂まで来たので一時間半遅れで到着したのですが、なんとなく鷹揚でのんびり焦らずいろいろなことを楽しむ感じはまさにインドっぽく、これまで十人以上いらしたインドのゲストとのいろんなエピソードを思い返していました。一人旅のドイツの女性教師とインドファミリーが一緒になった時は大変で、全くテンポが合わず、先生はかなり不満で帰ったことがあり、私はいたく反省したのですが、その後インドとイタリアの若夫婦と一人旅の旅行会社に勤めるインド人の女性が一緒になった時は双方のインドの言葉が通じないで、結局英語で会話していたりして、私はもう訳がわからなくなった、そんな経験もみな財産だなあと思います。

 ドミニクは写真を撮られるのが好きで、いたるところで私は写真を撮ったのですが、そういえば一人旅だと写真を撮ってもらえないと言っていたゲストがいましたっけ。のんびり説明しながら彫刻を見ていて、今まではこう説明しなければと焦っていたこともあったけれど、心のおもむくまま二人で話をして、この子は何に反応するかわからないけれど、何にもこだわらないでいていいのではないかと思っています。

 コロナがあって、紛争があって、いろんなことが変わっていく今、このひとときを私の着物を着て楽しげに笑ってくれるこの子といることが楽しい、嬉しい、最近は日本語話せるゲストが多くなったのでついつい日本語交えた英語になっているけれど、それでいいじゃないか、私はこの子と今、心で話している。これが年を重ねていくということなのかもしれません。