朝の冷気

 日に日に朝の寒さが増してきます。ごみを出し、植木に水をやり、落ち葉を掃いて朝顔の種を取ってから、新聞を持って三階に上がると、夫が起きてきました。最近新聞に入ってくる広告を丹念に見るようになった夫は、近くの催事場で靴のバーゲンをやるというチラシに心惹かれたらしく、車を亡くなった妹さんの家に置かせてもらってバーゲン会場へ行くと出かけて行きました。靴は売れ残りのようなものしかなかったとがっかりして帰ってきた夫は、久しぶりに妹さんのご主人や姪御さんと会って話をしてきて、もう妹さんが亡くなって20年たつのだけれど、自分と同じ年の御主人が娘さん家族と一緒に住み、コロナ後は旅行やスキーも楽しんでいる話を聞いて、ちょっと落ち込んでいる様子です。

 本当にそれに比べてうちは何もない、清々しいくらい何の変化もないことに、あきれ果てるくらいで、コロナ禍では皆がじっとしていたからそれも気にならなかったけれど、世の中がだんだん動き始めてくると、あらためていろいろなことが気になりだしてくるのです。でも、コロナ前の世界が戻ってきたわけではないのだし、アフターコロナは次元の違う地点から進んで行く、そして夫の仕事関係の事件は広がりを見せ、再逮捕されたと新聞にあり、もう執行猶予はつかないそうで、栄華を極めどんなに発展していっても、土台が悪にまみれていれば時期が来たら崩壊するしかない、それがアフターコロナの崩壊と再生の第一歩なのでしょう。

 歯が調子悪くうじうじしている夫だけれど、病んでいるのは歯だけで悪いことはしてこなかった、悪さをされても黙って耐えていて悪の連鎖から遠く離れたところにいることが、潔白の証明になるなんて不思議なことです。暇な夫は毎日テレビを見て暮らしているから、お昼のワイドショーも大好きなのですが、おととい国会での野田元首相の安倍元首相に対する追悼演説が特集されていて、辛口のコメンテーターの方々が歴史に残る名演説で、野田氏の素晴らしい人間性があふれていると絶賛しているので、新聞に載っていた全文を読んで見ました。国葬の時の菅氏の弔辞も素晴らしくて思わず拍手が起こるほどの内容でしたが、国葬の是非についてあれこれ言われ、凶弾に倒れ亡くなったという根本的な事実さえきちんととらえられないコメントに辟易していた私は、菅氏の心の温かさに思わず泣いてしまいました。野田氏の追悼演説も全文がしっかり新聞に掲載され、今までどう政治を行い戦ってきたか、安倍氏が放った強烈な光もその先に伸びた影も、言葉の限りを尽くして問い続けなければならないと、正当な言葉で心を尽くして語っている内容が、こうやって文章に残ることに安堵する気持ちです。

「マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われる無念さはいかばかりであったか 命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、真摯な言葉にのみ宿る」

「再チャレンジという言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を目指し、諦めず失敗を恐れなかった」

「思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽すからこそ、挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念を持っていた」

「この国のために重圧と孤独を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召されたけれど、戦い続けた心優しき一人の政治家…」

「安倍晋三とはいったい何者だったのか。あなたがこの国に遺したものは一体何だったのか。そうした問いだけが、いまだちゅうぶらりんのまま、日本中をこだましています」

 新聞でもネットでも、操作されているような記事やコメントが多くて、それがほんの少数派であっても悪辣なやり方で拡大されれば、全体の風潮や空気感はダークになり、それを見ている人間の心まで暗く落ち込んでくる、それに対し正しいことを正しい感情で曇りなく伝えられるのは、辛酸をなめながら自分で必死に考え努力し前を見続けながら進んで行く個人の力でしかないことをまた実感しています。マイクを握りながら、不意の凶弾に倒れるという怖ろしい事態、私はケネディ大統領が暗殺された時を見ている、アメリカの同時多発テロの様子もリアルタイムで見ている、人間の悪意の権化を見ていながらなぜ心が冷めているのかと考えるのですが、映画やテレビや、それこそ今どきはゲームで、かんたんに戦って人を殺しているのです。そしてゲームでは、又スイッチを入れると人間は生き返る。安倍氏が殺されたということがあまりにも腑に落ちない、強固な怨念があったわけでもなく、なんとなく銃を撃ったのだとしたら、ゲームのようにスイッチを入れ直せば安倍氏は再生するのかもしれない。次元を代えた世界に生き続ける安倍氏は、菅氏の言葉の中に、野田氏の言葉の中に蘇り再生され、その魂のみが浮き彫りにされてきています。

 つらいことも悲しいことも、それには自分にとっての意味があることだったとわかるようになるなら、安倍氏がマイクを握って国の将来について語る時に、簡単に撃たれあちらへ行ったことにもより深い意味があるのかもしれない。これからも正しい思惟と正しい言葉を持った人々が、スイッチを入れて安倍氏の魂を再生していきながら、新しいほんとうの生き方を模索し、政治というものを考えて行けばいい。若い外国人の男の子のゲストが、「安倍氏の古典的な政治姿勢が好きだ」といった言葉がいまだ忘れられません。私たちはこの危険な時代を、一歩足を踏み外せば奈落の底に落ちてしまうかもしれない時代を、本質を追求する情熱と、辛酸を味わったからこそわかる深さ、高みに昇ることへの憧れ、愛情、様々な感情をあからさまに出して生きていけばいいのです。

 手術した目で、魂を見せ始めたものを深く見ることができるようになった私は、困難な時でも苦しい時でも、なぜなのか、何をするのか、動機が分からない時でも、そこから逃げないで、そこに居続けることをしていかなければなりません。かなり妙な所のある振袖ドレスの依頼も、困難を極めそうな五歳の坊やの着付けも、何かの啓示であり、先を示す指針なのです。

 

 何回か着付けをさせていただいた方が、会社の勤続15周年の授与式で頂いた大きな花束を、朝早くうちへ届けてくださいました。初めは仏壇に供え、翌日は着物ルームの受付に飾り、それからは小分けにして玄関、階段、食堂のテーブル、トイレに飾り、今日が祥月命日の義母のお父様のために仏壇には百合の花を飾りました。人さまの好意の花束は、より深い喜びを私たちに与えてくれます。物事は意味を持った時より輝く、お客様の努力が報われて頂いた嬉しい花束の百合の香りは仏間に漂って、幸せな気持ちになるけれど、花の魂とは見えるものなのかもしれない、うちにある着物も洋服もジュエリーも、持ち主の手を離れ不特定多数の中で愛されていると、より輝く、それを見るのが私の仕事のような気がします。

 コンセプトがよくわからない振袖ドレスの依頼と、五歳の坊やとの格闘に悩んでいるけれど、結局私を差し出して相手の中に入り込む努力をすればいいのでしょう。義母が通っていたデイサービスの所長さんから、姪御さんの卒業式の袴の依頼が入りました。保育園の先生の袴の依頼もあったし、また着てもらえる日がきたと着物たちが喜んでざわめいています。来週来るスペイン人さんは叔母様と姪御さんの組み合わせだとわかりました。

 さあさあ、振袖と訪問着を出しておかなければ。と思っていたら、夜中にインドネシアから予約が入りました。中国がストップしているので、だいぶゲストの傾向が変わってきています。考えてみると、コロナ前は三分の一以上が中国系のゲストでした。インドネシアはイスラム教、また復習をして、頭にインプットしなければなりません。