いつか終わる夢

 今浅草は着物を着た外国人が群れていると、昨日結婚式の前撮りの打ち合わせに来た若い女の子が教えてくれました。先だって突然予約してきたハワイからの母娘のゲストも、浅草で着物を着て大きな花飾りをつけた写メを見せてくれて、こんな感じの綺麗な華やかな外国人がたくさん集う浅草は、まるで和製ハロウィンのお祭りみたいで、こうなるとこの辺鄙な場所にある私のところへわざわざ着物を着に来ようとは思わないなと納得、やはりコロナ前とコロナ後は、私の中で何かがぷつんと切れてしまった気がしています。

 娘が成人式の前撮りの着付けをよくやっているので、最近の若い女の子の好みや様子は聞いていたのですが、昨日の二十代後半の可愛い女の子と、彼女を紹介してくれた四十代の元気のよい女性と振袖ドレスの着付けを試し、その後いろいろなことを話しながら、つくづく時代は急速に変化している事を感じ、娘が言っているように年配の着付け師のセンスは時として好まれないし、着付けされる若い子が可哀想な時があるというのもわかりました。

 コロナ前と同じことを同じようにしていくのではなく、自分が日々進化していかないと、何といってもうちにある沢山の着物たちも可哀想です。長い空白の年月、しまいっぱなしだった着物は疲れを見せているけれど、昨日来た二人はダメージの付いたデニム着物をいたく気に入り、これを振袖ドレスにしたら凄い素敵と言い始め、私は目が点になってしまいました。外国人が選ばないものを選ぶのはやはり日本人だし、また遊びに来たいという二人がうちにある着物たちをどんな風に組み合わせるのか、楽しみでしかたない、デニムの振袖ドレスを作り娘にその写メを送ったら、基礎がしっかりできた上で若い感覚でいろいろ遊べる着付け師さんがこれから必要だし、そのためには様々な経験をしていることが大事だと返事してきました。

 村上春樹が自分のラジオ番組で「どんなことをしているとき、いちばん自分が楽しいか、自分がいちばん生き生きしているか、それをしっかり見定めるのが、人生において大事なことになります。」と言っていて、自分の意志で新しい道を切り開き、次の物語を進むことが大事で、 誰かの意思ではなく、自らの意思で選んだ結果がこうなったという、自分の選択した人生の物語を紡ぎ続けて行かなければならないなら、このコロナによる空白の後に作り出すものは、より新しいものでなければならない。自分を進化させていくためには今までの私は終わらせて、また夢を見て、始まりを作り、希望を生んでいかなければならなかったのでした。色々な経験をし、色々な感情を積み上げてきた人間でないと、なかなか胆力を持って対峙できない、自分が自分であることに誇りを持ち、だから全てに愛情が持てるということを自覚して、着物体験を創り出していきましょう。

 久しぶりに二日間連続で着物体験に来たゲストを迎えて、これまでと同じ組み立て方のホスティングをして、帰り際に突然泣かれたりハグされたり、今までと違う反応をして下さったのがかなり意外で、本心を知りたくてレビューを待っているのですが、いまだに来ないのでちょっとめげてきました。やはり私のやり方ではいろいろ不備が目立ってきたなと思いながら、自分の仕事を持ちいろいろ模索しているゲストは次の自分の歩みを見据えているから、単純に良かったと公のレビューを書くことはしない、それは私の問題であって、私がレビューを、こういうブログを残していけばいいのでした。

 私は長い夢を見ていたのかもしれない。頂いた沢山の訪問着や振袖を外国の方に着てもらい、日本の文化を味わってもらったと、自己満足に浸る時代はもう終わった、綺麗な着物姿の外国人を創り出すことだけが目的だったわけではなかったのに。喜んでもらえることは嬉しかったけれど、今浅草や京都で着物を着て写真を撮られ、ムービースターのようだとはしゃぐ体験はもう私には作れない。これから私は何を提示していけばいいのか、クリアに見える眼を開いて、何を見て行けばいいのか。

 

 農協で買った一束350円の花束をばらして小さな花瓶に挿し、いたるところに飾っていると、その花の咲いていた田んぼや畑の風景が見えてきます。ただそこここに咲いている野の花を、無造作に摘んで無造作に束ねて、バケツに入れて売られているだけなのだけれど、何の野菜のそばに咲いていたのか、どんな空気や風や日の光を浴びてきたのかが想像できるようで、はらはらと落ちる小さな花びらも愛おしく、そのままにしています。花を飾り終えて昼食の準備をしながらテレビを付けると、干ばつが続くアフリカでは、象たちが水を求めて彷徨い、干からびて倒れて死んでいく有様が映し出されて、先進国の環境破壊のせいだから補償しろという抗議が会議で語られています。そしてアメリカの中間選挙のこと、ウクライナ紛争、ミサイル発射、次々ニュースが続き、最後にはアナウンサーのにこやかな声で番組は終了し、今度はグルメ特集が始まっています。

 いったい私たちは何をやっているのだろう、これらはみんな夢なんだろうか。

 

 四十数年前に結納のために買った菊の花の付いた濃紺の訪問着は五十人以上のゲスト達に愛され、美しくそれを着た彼女たちはたくさん写真を撮り、それぞれの国へ帰って行きました。私の夢、記憶、私の物語は菊の着物として世界中に残されている。こんな報われ方をした着物がほかに存在するでしょうか。日曜日に来たハワイのママは旦那様がハワイ生まれの日本人なのですが、あふれんばかりの感情の染みついたこの菊の着物を選んで柴又の参道を歩いて居た時に、ちょっと弱ったアゲハ蝶が飛んできてママの着物にとまった、菊の花の花弁は、蝶にも神々しく写ったのかもしれません。生きた人間が纏う絹の包容力。日の光を浴びた着物たちは幸せです。着ているゲストが幸せで、着物たちが幸せで、それを見ている私も幸せでした。

 

 新しい夢を紡ぐために、新しい出会いがあり、新しい感覚や感情が提示されてきました。ああ、先へ進める、違う夢を見ていくことができる。だんだん年を取ります。でも人間の魂は何度でも羽ばたくことができるなら、違う希望が芽生えてきたのだから、新しい未来の夢を見て行けばいいのでしょう、全ての着物たちと一緒に。待つのではなく、光を目指して進んで行けばいい。すべてが夢なのかもしれない。こんな夢を見たと、ただ思っているのかもしれません。帝釈天のお寺の仏教彫刻にはたくさんの象の姿が刻まれています。アフリカで今餓死している象たちの魂は、ここにつながるのだろうか。現在も過去も未来も、全てが大きな渦巻きの中でぐるぐるまわって混沌としている、だんだん渦の中心に飲みこまれていく意識だけがあるのなら、最後まで天上の宙を、月の光を見続けていればいい。   新しい夢を 見始めています。