魂が見えるとき

 なかなかゲストの予約が入らないので、七五三に集中しようと思っていたら、突然ボチボチ着物を着たいと言ってくれる外国人たちが出てきました。いつ来るのかと見ると来年の三月の下旬で、桜を見に来るために一人で来るシンガポールの若い女の子にメールを送りながら、こうやって静かに日本文化を体験したいというタイプがうちのゲストの特徴だなと思っています。何年か前にイギリスから来た女の子が私の体験に着物を着る以外の何かを期待していたのだけれど、一緒だったインドファミリーに手間がかかり、彼女に満足してもらえることができなかったことがいまだに悔やまれます。

 相手の中の何かを見たくてこの仕事をしている、それは外国人でも七五三の五歳の男の子でも同じスタンスです。この混迷の時代、これから何が起こるかわからない時に、子供でも大人でも必要なものは「オーラ」と「スピリット」だということ、運命に翻弄されない座標軸をちゃんと持っていれば、逆に運命に対して主導権を握ることができるというのです。紛争があちこちで起き、選挙戦をめぐるいざこざやスキャンダルをみていると、世界にはちゃんとした指導者がなぜいないのかと思ってしまう、何処の学校で勉強したとかいう問題ではなく、どんなエートスを持って自分の血肉化したか、その結果としての人間性が欠けているメンバーばかりが押し出されてきます。

  物事をそのまま受け入れるというのは、ずいぶん体力のいることです。何でこんな運命なのか、何でここに生れたのか、全く逃れられない事ばかりだけれど、その中で自分のやってきたことの意味を問い直す、光もそして影もできる限り正直に正確に認めた上で進まなければなりません。そしてそんな時私たちの心を救うのは、本物のすごさ、良さ、素晴らしさ、感動、そしてオーラのあるものを見てきたか、味わってきたか、どれだけ心が感動に震える経験をしてきたか、どんなことで自信をつけてきたか、沢山きれいなものに触れてきたか、自分を偽らないで正直に失敗もしてきたかという経験です。余分な力を抜き、穏やかな心で、全てを慈しみたいと思う感謝の気持ちが持てるように、自分の内面をクリアにし、過去の執着や重たい波動は浄化して、軽やかな魂を手に入れるのです。

 

 それにしても、なんだか急に次々ゲストがやって来ます。昨日は高身長カップルだけだと思っていたら、直前に韓国語で予約が入り、普通サイズの女の子があとからやってきました。心の準備が出来ていないし、その前に七五三の着物を持ってご自分の着物を選びに日本人の若いお母さんがやって来ていて、199㎝と180㎝はいつの間にか現れるし、ごった返す中で、高身長用の地味目な着物を小柄な韓国の子が羽織りだすし、180㎝の子は小さい黄色の訪問着が気に入り、私はもうあきらめておはしょりなしにして着せ、ヘアは自分でしてもらい、シャイな199センチの男の子も無事陣羽織とセットの大きい着物を着てくれました。

 韓国のJOYちゃんは独学で覚えた日本語が達者で、英語もかなり話し通訳兼座持ちで私はとても助かりました。パナマ人のラミさんが韓国人にスペイン語を教えたらすぐ覚えた、頭がいいと言っていて、何年たっても話せない私は恥ずかしかったのだけれど、語学の才能は民族性もあるのではないかという気がします。お父さんが日本人でお母さんがユダヤの方でハワイに生れ五人姉妹の末っ子で今はカリフォルニアに住んでいる180センチの女の子のミドルネームは恵ちゃんで、真っ赤な口紅を塗り、髪をゆるいアップにして簪を挿した姿は本当に女優さんのようで、行く先々で拍手されたり思わず綺麗ねという声が聞かれ、韓国のJoyちゃんは可愛くて清楚で、一人旅だから私が写真をたくさん取ってあげました。  

 恵ちゃんのハズバンドのジュリウス君は何と看護師、アニメも見ないし本もあまり読まないシャイな男の子で、前に来た2mのドイツのポールを思い出しました。はっちゃけてないし悪さもしない、リトアニアの海岸沿いの町に生れ、家族でカリフォルニアにやって来たそうですが、静かでじっとしているのが可哀想で、そうだこの手の男の子には茶道が良く似合うことを思い出し、先にお点前を教えて則お茶を点ててもらったら、できる!のです。所作も決まっているし、何より茶道の根本を体感している。私と恵ちゃんが上手に彼が点ててくれた抹茶をいただき、今度は私が彼とJoy ちゃんにお茶を点て、それをじっと見ていた彼にもう一度お茶を点ててもらったら、もう私がやったことをマスターしています。リトアニアの199センチの男の子が初見で私を見ているだけでお茶がなんだかわかる、リトアニアについて調べてみると、寒くて暗くて失業率が高くてロシアの力に苦しんでいてと、あまり明るい話がなかったから、アメリカで明るい恵ちゃんと知り合って恋に落ちてよかったなと思います。彼女のために着物体験に付き合ってあげたという旦那様が帰るとき意外と面白かったと言ってくれるのが嬉しいのだけれど、今回のジュリウス君がお茶を点てる姿から、私は彼の魂を感じたのです。彼はシャイなのではない、大きくて目立つけれど、本当の姿はとてもナイーブで透明だから、そこに茶道というものが邪心なくピタッとはまったのでしょう。一期一会、もう再び会うことはない彼に私がしてあげられること、私にしかできないことは、皆さまからたくさん寄せられる着物や小物やお茶道具などの中から、彼のところへ行きたがっているものを探すこと、そしてそれはすべてのお茶道具がコンパクトに収められてる”茶箱”でした。貴重なものをいただいたのだけれど私には使いこなせないもので、ずっと飾って置いて何年にもなるのだけれど、彼がそれをそっと開けて中を見ている姿を見て、この子はこれでいろいろ遊ぶだろう、面倒くさい決まりやしきたりから離れて、自由にお茶を点てて飲むでしょう。今日使った残りの抹茶を空いた缶に入れてそれも彼に持たせたけれど、カリフォルニアかハワイかリトアニアか、どこかに旅をするかもしれない茶箱が、ひと時でも彼と恵ちゃんのそばにいてくれることが私は本当に嬉しい。人だけではなく、物の存在も、時として心を開き、永遠の静けさを感じさせてくれる。

 ジュリウスの本当の魂を、茶箱の中の茶筅や茶杓やお茶椀や抹茶が見つめてくれています。どんなことをしているとき、いちばん自分が楽しいか、自分がいちばん生き生きしているか、それをしっかり見定めるのが、人生において大事なことになるというけれど、彼の抽斗の一つにお茶が入ってくれたら私は嬉しい、彼はあの時私に心を開いてくれていました。世界中のどこでも、本物の力は受け入れてもらえる、お茶のオーラをあらためて感じた一日でした。