海軍さんの着物姿

 夜、お風呂に入ってからすぐ干したての布団に潜り込んでぬくぬくと寝ていたら、突然スマホの受信音が二回鳴り、あれ、もしかしたらと見ると「新規の予約が入りました。おめでとうございます」の文字が飛び込んできました。時間は10時半、眠い目をこすりながら日にちを確認すると、明日!ええ!抹茶がもうなかった、どうしよう、何でこんな突然なのと思ったけれど、もうそのまま眠りました。

 翌日は日曜日、お茶やさんは定休日で抹茶は買えなかったので、仕方ないからティーセレモニーをなくして、山本亭へ行って生菓子と抹茶を飲みましょうと考えながらゲストのプロフィールを見ると、海軍士官とあり24歳のちょっとふっくらした可愛い女の子の写真が添えられています。海軍の文字で私の頭は混乱しだし、164㎝だから何でも着られるけれど、振袖を出そうかどうしようかと迷いながら、海軍関係の単語をインプットしました。

 義父は海軍にいて戦争中外地を回っていて、今うちの床の間には寄せ書き日の丸が飾られ、日本海軍の写真集など戦争関係のものが置いてありますが、アメリカは敵国だったし日本は敗戦国だしなどと余計なことを考えていると20分遅れで彼女が到着、ブロンドのショートヘアに折り鶴のピアスが可愛くて、とても落ち着いた感じで、感謝祭で2週間の休みがあるけれどアメリカへ帰るのも大変なので一人で日本を旅行しているそうです。イギリス旅行に一人で行った夫は、食事をするのも寂しいし、いろいろ大変だったから、彼女の気持ちがわかるようで、一生懸命もてなしているのですが、がっちりしたブーツを履いて質実剛健な彼女は着物の選択も早く、ティーセレモニーもしなかったので早めにどんよりと曇った柴又へ向かいました。雨ゴートも傘も持ったのですが、あまりはじけない彼女は風景やお寺にも興味がないようで、雨が降ってきたから山本亭へも行かず、いつも寄る亀や本舗にはいり、朝も昼もあまり食べていない彼女は何と鰻と草団子あんみつを注文し、私は驚きつつコーヒーをいただきました。これまでフライトの後すぐ来た空腹のゲストは、カツカレーやラーメンを食べたりしていたけれど鰻とあんみつとは豪勢だなと思いながら、私と一緒でないと一人ではお店には入らないのもわかるし、今は外国人は円安で強いのを実感していました。

 日常の事をいろいろ話しながら、多分彼女が求めている体験とは、一緒にいることなんだろうなと感じたのだけれど、今日一番驚いたことが、ご飯をかまないで飲みこんんでいることと、鰻もあんみつも半分食べて残してしまったことなのです。私が残りを食べるわけにもいかず、なんでだろうと考えながら後で夫に聞くと、海軍で食事も早く食べなきゃいけないのじゃないかというけれど、海軍の白い制服姿の写メを見せてもらった時、二組の両親らしい方が写っていて、父母が離婚してそれぞれ再婚したからステップファーザーとステップマザーがいるそうで、義母もステップマザーだから、夫は余計彼女に気持ちがわかるそうです。

 結局コーヒーを御馳走になってしまった私は、うちに帰ってから赤い羽織や浴衣や帯、箸置き、おばあちゃまには黒いバラの織の素敵なバッグをプレゼントし、雨がひどくなった中帰る彼女を見送って、夜は寒いので寄せ鍋を作り夫と食べながら、今日は難しかったと連発して言っていました。彼女の心の奥がつかめない、何でご飯を嚙まないんだろう、海軍士官になるくらいだから本当に優秀で、賢い女の子なんだけれど、アメリカの食事事情はよくわからないし、別に家族で毎日三度三度ご飯を食べることはないんだろうと考えたりしたのですが、制服の彼女の写真を夫のリクエストで送ってもらうと、8枚ある制服の写真が、初めは簡単な茶色のシャツっぽいので、幼い顔つきだったのが、だんだん制服がチェンジして大人になって成熟していくさまがはっきりわかり、最後は白い制服に帽子を目深にかぶって敬礼している姿になり、こうやって成長してきたんだと私は親でもないのに感無量でした。これを見てから話をしてみたかった。でも入隊したころの幼さと純粋さが残る写真と、それから撮った写真を見ていると、急速に大人びてきて、ちょっと諦観の混じるような眼の色になってきているのは何故なんだろう。

 今までになく難しいと感じたのは、彼女の精神の核の中に何かのよどみがあるような気がするからで、名誉も収入も年上の彼氏もいて、そしてとても綺麗な彼女が本当に求めているのは何なのかわからなかったからです。多分そのなにかの喪失が、世界が混沌としていくことの原因なのかもしれません。例えば文化や美しいもの、優れた芸術への憧れなどは彼女は示さなかった。

 あとで来たレビューには、私たちのホスピタリティがとても嬉しかったと書いてくれたのだけれど、私は彼女の中に入るために差し出した自分を、彼女がどういう風に受け取ったかは、鶴の舞扇を手に優しく微笑んでいる、緑の花模様の小紋を着た彼女の姿が、答えてくれている気がします。彼女にとっての日本文化は、着物でした。文化とは何だろうとずっと考えているのだけれど、それは究極のやさしさであり、慈しみであり、抱擁ではないかと気づきました。うちの着物や帯たちは、それぞれいろんな歴史や経験を経て、私のところへやって来て、そしてたくさんの外国人に着てもらっているものです。こんなに温かい微笑みを浮かべて着物をまとったゲストはいなかった。私たちが戻るべき場所を彼女は教えてくれたのでした。

 明日はポリネシアやトルコ、ギリシャなどを回っているアクティブガールがやってきます。世界の文化を追い求めている彼女は、どんな着物を選ぶでしょうか。