怒涛のごとく

 このところ毎日いろいろな人が訪れ、着物を着て下さいます。天気の良い日曜日にはアメリカのアクティブガールが現れ、土砂降りの23日の祝日には二組の家族が七五三のお祝いをしました。午前中のお客様はお母さんも着物を着たのだけれど、近くの神社までお父さんに車を出してもらい、雨ゴートを二人とも着てズック穿いて草履持って、完全装備で出かけて行きました。午後のお客様は柴又まで行くので、お母さんは着物を着るのは諦め、不器用だと言いながらYouTubeを見ながら綺麗に結い上げた髪の次女ちゃんを連れて、家族四人でタクシーを呼んで帝釈天へ出かけました。雨足はだんだん強くなり、何で今日が雨なのかしらと嘆いていたら、着付けを習いたいという女性が現れ、沖縄の方で琉球舞踊を習ったことがあり、自分で着物を着られるようになりたいとのこと、時間が空いた時来ますと言って帰って行きましたが、私は琉球舞踊のポーズとか分かれば引き出しの中味が増えると嬉しくなりました。

 晴れていればお寺の境内も回って写真が撮れただろうに、この雨足では廊下も濡れている事でしょうと心配していたら、あっという間に帰ってきた四人はタクシー料金が高かったことがショックだったようで、電車で帰ってきてお腹も空いたらしく、出すお菓子をあっという間に平らげ、追加してもすぐなくなるのが私は可笑しくて、年寄り二人だとこういう光景はないなと笑ってしまいました。若い家族はやはりこれからが大変でしょう。子供の節目のお祝いも、出費がかさむと辛いものがありそうで、私はできるだけのことをしてあげたいと思うし、でもびっくりしたのが退屈そうにしていたお姉ちゃんがテーブルに置いてあったゲスト用のティーセレモニーの英文のレジュメをスマホで写し、翻訳のアプリを使って日本語訳が音声で流れてくるのを、お父さんと聞いている事でした。小学校でもタブレットは使っているし、若い世代がこれから伸びて行くためには、旧態依然とした年寄りたちが邪魔してはいけないとつくづく思うのです。

 いろんな家庭があり、色んな親たちがいます。今年の七五三ほどいろいろなことを考えさせられたことはなかった。これまでの七五三と比べると、コロナ以後は特に自分達でしっかり考え、自分達の道を切り拓いていかなければならないけれど、私が好きなことをやれて、それで喜んでくださる人がいて、幸せになって下さるのなら、私はとても幸せで、報われていると思えるのです。アメリカのロサンゼルスの田舎に住むアクティブガールが七五三の前に来て、正直着物はあまり似合わなかったのですが、霊感というかスピリチュアルにいろいろなことを感じる子で、私たちは喋りまくり、スマホを見せてもらったら世界中の風景をバックに彼女は写っていて、バーテンダーをしたりスキューバダイビングをしたり、なぜか航空運賃もかからない立場にいて、自由気ままに動いているのです。仏教や彫刻についてもユニークな感想を持ち、何ごとにもとらわれない感性なのですが、一番面白かったのが、お寺の池にいる鯉たちが彼女の行く方行く方についてきて、口をパクパク開けて何かの意思表示をしてくることで、こんなこと初めてだし、彼女のスピリチュアルパワーは日本の鯉にも通じるのだと言いながら、二人で大笑いしました。海外でも行く先々で猫や犬と仲良くなる様で、たくさん見せてもらった写真の何枚かを送ってもらったのですが、犬や猫と戯れている彼女の精悍な姿は、着物姿よりも綺麗でした。

 プレゼントの浴衣を見ていて、あまりピンと来ないような彼女は、着物の棚にあった紫に蝶のモダンな柄が付いている小紋と薄紫の半幅帯を選んで、多分ちゃんと着ないでアレンジした方が似合うだろうし、髪もアップにしないでワイルドにダウンにした方がカッコいいでしょう。強烈にハグして別れた翌日、たくさん送ってくれた写真の中から一枚私は選んで、このブログのトップに載せました。どこの国の夕日でしょうか、この海に潜り、魚たちと戯れ、このサンセットの写真を撮っている彼女の存在は限りなく透明な気がします。今日はインドネシアに旅立つと言っていたけれど、ニュースではジャワの大きな地震の事を報じています。着物と共に、無事に過ごしてください。