五次元世界からのゲスト

 ”I want to ask if non Japanese people can actually buy a kimono either from you or from somewhere you recommend?”

 

こんなこんな問い合わせのメールをもらったのは11月の半ばでした。外国人向けの着物を売っているお店は浅草とかに沢山あるだろうし、骨董市もいろいろなものが安く売られているのはわかっているけれど、高身長高体重の外国人が着られるものはあまりないので、私の体験は最後に着物か浴衣か小物をプレゼントすると返事をしたら、早速彼氏と二人で予約してくれました。名前がとても難しい彼女はテキサスに住んでいて、二人とも180㎝90キロ台の三十代、彼女の問い合わせやリクエストが理路整然としていて、とにかくプレゼントできるウールの着物や道中着のようなものをたくさん用意しました。世田谷のエアビーの民泊からやって来たググちゃんはタンザニア出身、同い年のクリストファーはなんとお母さんがピアニスト、本人も五歳でピアノを弾き始め、バッハとベートーベンと武満徹が好きでピアノでは食べていけないからIT関係の仕事をしているけれど、趣味はピアノを弾くことだそうで可愛い柴犬を飼っています。ビッグサイズの着物を着せたら盛り上がったお腹が邪魔してきつかったけれど何とか着せ、刀を持ってポーズしてもらったらシャイな人懐っこい笑顔を浮かべる可愛い男の子でした。

 ググちゃんはかなり着物の品質にこだわるタイプで、こうなったら伝家の宝刀を抜くしかないから超高価な黒振袖を着せたけれどまあ綺麗なこと、180㎝の長身に手描きの東京友禅の模様が映えて、通りすがりの方々にずいぶん褒められました。大柄な方にはとことん高品質なものを着せないとだめだということは身を持ってわかっているし、これまでのゲストにも頑張って着せてきましたが、100㌔を超すと無理で、その時振袖ドレスのようにするか羽織ってもらって写真を撮るだけにしてきました。ググちゃんは胸元は綺麗に行かないのですが、最高級の絹の肌触りや重み、そして染めの色の深さや手描きの百花繚乱の模様の素晴らしさを理解し、喜んで着てくれる、これは初めての事でした。アメリカ人では理解できない、タンザニアのオリジンを持つ彼女は日本の文化に対して貪欲に吸収しようといろいろな質問を重ね、私は必死で答えていました。初めてのティーセレモニーをした後も、なぜお茶椀を回すのか聞かれ、前に英語で茶道を伝えようという講習会に参加したことがあったのですが、英語は堪能でもお点前ができない方がいて、この前来たリトアニアの男の子のように、私のお点前を見て何のためらいもなくお茶を点て飲んだ姿は、結局”型”を極めれば理屈や訳は後からついてくるということなのでしょう。

 理屈で攻めるググちゃんに対し、彼女のGood Friendのクリストファーくんは情緒で守りに入るタイプで、参道を歩いて居ても二人の関係は不思議がられていたけれど、ちょっと髪の毛が薄い彼がなぜググちゃんと一緒にいるのかわかるような気がしてきました。仏教彫刻もあまり関心を示さず、リクエストで絵馬を買って記帳したあと、空腹に耐えかねたクリストファーは刺身定食が食べたいと言い出し、お店に入って彼は鰻と刺身の定食を頼み、お付き合いで刺身定食を頼んだググちゃんとずっと話しながら、私は一体何をやっているんだろうという不思議な気持ちになってきました。

 ちょうど電車が行ってしまったので、ホームで15分待っている間、二人はいろいろ話込んだり、突然長いハグをしたり、二人の間に何かがあるのだけれどわからず、乗り込んだ電車の中で彼に好きな作家を聞いたら何と村上春樹だというので、二人で次々小説の題名を上げて盛り上がり、うちへ帰って焼き鳥を食べながら酒を飲んでいたら、今度は三島由紀夫の春の雪が大好きだと言い、川端康成、大江健三郎の名前まで上げ、映画は黒澤明の”蜘蛛の巣城”や“乱”だというので私たちは絶句しながら、「あなたは変わり者でしょう?」と平気で言ってしまいました。私に好きなアメリカの作家を聞くので、サリンジャーと答えながら、これも村上春樹の訳だよねと言い合い、ちょっとつんぼ桟敷に置かれた感のあるググちゃんに好きな日本のアーティストを聞いたら、村上隆と草間彌生の名をあげ、ポップなアートが好きなようです。プレゼントは好きなだけ持って行っていいと言ったので、用意した黒いバッグに次々と羽織や長襦袢や道中着を入れていくググちゃんを見て、夫はちょっと眉をひそめていたけれど、初めの目的がこれであり、欲しいという気持ちすら持たない人もいたのだし、私はこれでいいと思っていました。

 私は今五次元の世界にいるような気がしています。初めて会った異国人に娘の振袖を着せ、町を歩き、電車の中で文学や美術の話を興奮して語り合い、よくわからないながら二人の感情を推し量り、夢をかなえ、見守る。村上春樹のあの感覚、バッハや武満徹の音楽、黒澤明のシェークスピアの世界を理解する、アメリカの男の子の心象風景。多分普通に結婚して家庭を持つことはしないのかもしれないけれど、彼の心の中の葛藤、五歳の時からピアノを弾いてきて、鍛錬して習練して何かのスキルをものにすることに没頭し夢中になり、自分の奥底にあるものを出したい、出さないと身が持たない、才能があるとかないとかいうことではなくて、それは人間が生きていく上で一番大事なことなのかもしれない。それで食べていくことは難しかったから、今は趣味がピアノだと言いきる彼は村上春樹や川端康成の感性、バッハや武満徹の透徹した響きに呼応して心を震わせている。

 見た目は気の弱そうな男の子なんだけれど、なんだか私たちは五次元の世界に来ている気がします。彼らの生きて来た道のりや葛藤は分からない、それはすべてのゲストにも言えることですが、人間の中には暗い闇と輝く光があり、それがぶつかった時心からのパフォーマンスが生まれるとしたら、それを止揚した物語を作り続けるしかないのでしょう。行き詰らないために日常の生活を大事にする。空虚で感情のない表情で自分で深く考えることをせず、心を組織(システムに)預けてしまった、ロボットのような人間だったら、大量殺人でも何でも命じられればできるのです。

 いろんな救いは、みんなの心を和らげてくれます。どう進んで行けばいいか悩むけど、今までやってきたことをもっともっと突き詰めていけばいいのでしょう。