Enlightenment

 12月になりました。10月は目の手術をしてあまり動かなかったけれど、その反動か11月は慌ただしく様々なゲストが来て、一緒に帝釈天の紅葉をじっくり見ることができました。義母が施設に入ってちょうど1年、離れたことで互いに安らかに暮らせるようになり、私は毎日神棚仏壇を拝みご先祖様の事もじっくり考え、また外国のゲストが仏壇にお線香を上げる機会も増えたのです。

 観光で日本を訪れ、こちらまではるばるやって来るゲスト達に、コロナ後どんな体験を提供しようか考えていた時に、”秋の東京いい庭キャンペーン”というパンフレットを柴又でもらってきたので中を見てみると、清澄庭園、新宿御苑、八芳園、根津美術館など並んで帝釈天や山本亭の庭が紹介されているのです。だから最近外国人が多いんだと納得しながら、正直にいうと比べ物にならないくらいこちらは小さいのにと少々卑屈になるのですが、この中で唯一参道があってお店があり、人々の暮らしが見えるところということを正面に据える説明をしていけばいいことに気がつきました。

 今度の日曜日にマレーシアで生まれシンガポールで育ち、ニューヨークの銀行で働いているカップルが来ますが、プロフィールに趣味は旅行でいろいろな新しい体験をするのが楽しみとあり、今まで行った中で良かったのがカンボジアとミャンマーだと書いてありました。今この国々は混乱しているのではないか、でもそんなこと言ったら中国もロシアもヨーロッパもどこも危険な匂いに満ちている、コロナ後に外国旅行をして日本に来る人々は、たとえ悪天候でも楽しいと言っているニュースを見ていて、日本は人気があるんだなと思うのですが、だからと言ってこれまでと同じ説明をするわけにもいきません。

 ネパールの男の子のために、前のレジュメを読み返してきて感じたことは、外国人が求めているのは日本というこの小さな国の小さなお寺の歴史や謂れではなく、そこに住む私たちのエートスやスピリットがどうやって育まれてきたか、宗教や参道のお店のグッズがどういう意味を持ち、人々の心の支えになってきたかをもう一度見直して提示することだと思うのです。外国人が自分達だけでここに来た時、どんな感想を持つのかなと思う時がありますが、だからと言って私のようなおばさんがいろいろ喋ればいいというものでもない、でもうちは着物を一緒に選んで着せ、写真を撮り、ティーセレモニーをしてある程度コミュニケーションを取ってから柴又に来るのだけれど、今は酉の市の大きい熊手の説明や、ダルマから禅、仏教の話に持ってくることをして、それに加えコロナ後に来たゲスト達のエピソードや特徴を話しながら会話を広げています。

 感謝祭の休みを使って旅行しているといったゲストがいたので、感謝祭について調べて見ました。

「初めてのイギリスの開拓民たち、すなわちピルグリム・ファーザーズの人達は、1620年にプリマス・ロック(メイフラワー号からプリマスに上陸した際、最初に踏んだとされる岩)に到着したが、その冬はとても寒く、多くの人が飢えて亡くなり、それからネイティブ・アメリカンの人々と親しくなり、彼らは生き残るすべ、トウモロコシの植え方や家の建て方などを教わった。幸いにも翌年は無事に皆が生き残ることができて、収穫を、そして最初の感謝祭をネイティブアメリカンの人々と共に1621年に祝った。白人にとって記念すべきプリマス・ロックはインディアンにとっては侵略と民族浄化の象徴なのだ。」

 最近来るアメリカのゲストに、ネイティブアメリカンの事を良く質問するのですが、差別されたりひどい待遇を受けたり悲しい立場にあると言っていて、前に来た日本語の堪能な綺麗なゲストの「私はネイティブアメリカンなのです」という言葉が忘れられない私は、感謝祭は彼らのものであったこと、人間の生き方、最近こだわっているLGBTQのこと、それらの解答を、ずいぶん前から彼らは知っていたことに驚いたのです。

 現在のジェンダーに対する考え方は難しくなっています。それはたくさんの美しさを見出した結果なのかもしれません。ジェンダーが2つしかないと信じる時代もありました。でも今は多様です。言い換えて見れば、白か黒かという選択肢ではなくて、濃さの違うグレーを捉えることができているということで、そこには、派手な赤や鮮やかな青という理解の仕方も存在します。これは新しい考え方のようにも思えるかもしれませんが、ネイティブアメリカンはずっと前から同じことを実践していたのです。つまり精神で他者の事を理解していたのです。

 一説によると5つのジェンダーを区別していたとも言われ、従来の2つの考え方の他に2つの精神を持つ女性と男性、トランスジェンダーの人々がいて、それぞれに対する言葉があったのも事実です。どんな人でもお互いに好きだったら「愛」と呼ばれるし、社会的に恥じることなんてもってのほかで、ヨーロッパから移住してきた人の考え方とは全く違ったのです。嫌悪感を覚える理由がないから、同性愛者への差別はなかったし、人と違うことは容認され更には賞賛もされて居たのです。

 ネイティブアメリカンの社会では2つの精神を持つ人は讃えられていたし、その家族は幸運になるとも言い伝えられていたとのこと。2つの性別の考え方を同時にできて、世界を見据えることのできた人の能力は、大地の創造主から授かった贈り物だと考えられていた。例えば、彼らはシャーマンや預言者、奇術師、伝承者などの社会的に重要とされる役割を与えられていて、女性の体をもった2つの精神を持つ人は、狩人や戦士として性別の型にとらわれることなく、活躍していたようです。ありのままの姿を愛し、愛される。

 権力や富は男にあるべきだ、という考えの西洋人にとってはショックだったことでしょう。受け入れると、彼らのアイデンティティーは揺らいでしまうから、だから暴力的になり、とことん文化を壊したという考え方もできます。もしも、ネイティブアメリカンの考えが受け継がれていたら、世界はどれだけ違っていたのでしょうか。真実は私たちを自由にしてくれます。

 人生とは何か?  夜に点滅するホタルの光だ。 バッファローが冬に吐く息だ。草原を走り、夕暮れとともに自ら消える小さな影だ。知恵を探せ、知識ではない。知識は過去だ。知恵は未来だ。

 もともとインディアンたちは白人と彼らが呼ぶイギリス人たちとの共存を模索しようとしていましたが、多くの白人は非文明的未開部族とみなして土地を奪って排除し、差別したのです。西部開拓が進むにつれ、次第に西部にも白人入植者が押し寄せ、ドーズ法などによってインディアンの社会が破壊されました。黒人(ネグロイド)が奴隷として白人社会の下層に置かれたのに対し、インディアンの歴史はそのものを同化し、絶滅させようとする合衆国の民族浄化政策との戦いの歴史なのです。

 アメリカ合衆国の成立前後にはまだ国境線が確定しておらず、各国植民地などの周辺諸国との紛争が絶えなかったし、とりわけスペインの影響を色濃く残すメキシコとはアラモの戦いのような大きな戦争が起きることがしばしばあり、メキシコ系住民を敵国の野蛮人として扱った経緯があります。現在ではこのような歴史的経緯に加え、就労目的で不正に入国を企てる者が後を絶たず、またとうに不正に入国しているメキシコ系住民が多くなっているため、周囲の人々との軋轢を生んでいます。

 

 来年の成人式の振袖の着付け師が足りないようで、ヘルプの依頼をいただいたのですが、多くの人数を無理をしてでもこなさないと駄目なようだし、請け負ったトップにマージンが入り着付け師は単なる駒で、トップに講習料を払って講習を受けるのが条件と言われお断りしました。皆と同じ、寸分たがわぬ着付けを求められ、着付けるお嬢さんの顔も個性も見ないようにして流れ作業のように着物を着せることが成人式の実情なのだと知るとこんなにつらい話はないし、トップが着物の魂を見ることができないのは何でだろうと考えるのです。

 昨日の夜氷河期の研究をしている外国の機関のテレビを見ていて、いつまた氷河期に人類は突入するかわからない、そのためにあらゆる準備をしなければならない、戦争なんかしている暇はないのだと嘆いている博士の顔を見ながら、来るべき時が来るんだと実感しています。

 達磨大師は考えて考えて考え抜いて悟りを開いた。足も手も融けてしまったその体が、不屈の魂を持つ象徴として日本中のお店で売られ、人々は願いを込めながら達磨の片目を黒く塗るのです。個人個人の思惟、苦闘、開眼、結局人一人の思いの深さしかないのだとしたら、初めて会った私に「ネイティブアメリカンです」と告げたあの女の子の強さと想いの深さを、ただひたすら私も思い続けて行きます。"Enlightenment "  悟り。自分がわかったということがすべてだ、それが悟りだとわかった、仏陀の本を読んでいた時、出てきた衝撃的な言葉でした。

 成人式も何も関係なく、私は日本にやって来た外国人に、望むならば振袖を着せ、ティーセレモニーをし、柴又を一緒に歩きながらいろいろな話をします。着物を着るのが夢だったというフィンランドのふっくらした看護師さんの嬉しそうな顔を今も覚えているし、日本文化の素晴らしさを味わうことがこんなにも喜びにつながり、彼女達の心の根底に深く残るものだということを、決して忘れてはいけないのでしょう。