左利きのジョナサン

 昨日は三人来るはずたったゲストのうちシンガポールのカップルから、アレルギーで顔が腫れてしまったので日にちを変えてほしいと依頼があり、あとから予約してきた21歳の男の子一人、空の寿司のパックを持って違う道からやってきました。スリムな彼はオーストラリアに家族と住んでいるベトナム人のジョナサン君、礼儀正しく明るくて落ち着いた男の子でした。きちんと目を見て話す子で、今までのゲストの写真を見せていたら突然「彼は友達だ」と一人のゲストの写真を指差し、私がびっくりすると「Kidding!冗談」と言ったり、とても21歳には見えない老成した感があるのです。着物も紺のアンサンブルが良く似合い、いろいろ写真を撮ってからティーセレモニーをしたのですが、姿勢がいいし覚えも早いし、初めてなのに茶人の風格があって、ただお茶を点てるときの茶筅の使い方が良くない気がした私はそこだけもう一度やり直してもらったのです。すると何と彼は左利きで、右でやるとうまく力が入らないといい、確かに左で点てたお茶はクリーミーに泡立ちました。家族の中でも左利きは彼だけで、小さい時には左手を使うとよくお母さんに手を叩かれたとか、それを聞いていた私は深く考え込んでしまいました。

 右手だと力が入らず、上手くお茶が点てられない。自分の身体や精神の特性にあった生き方をしないと、自分の力が発揮できず、いい人生が送れないのではないか。皆と違うのではなく、自分の事をよく見つめ、できることを伸ばすことで、周りの人に安心感を与え、嬉しく幸せな気持ちになってもらえる、厳しい情勢の世の中、若い人たちに求められることはそういうスキルであり気持ちではないかと思うのです。

 IT関係の勉強を大学でしている彼は、帝釈様の絵馬の前で願い事は何か聞いたら、早く卒業して仕事をたくさんしてお金を儲けることだそうで、ケンタッキー・フライド・チキンやZARAでアルバイトをしていて、写メを見せてもらったらスタッフたちと楽しそうにしている彼は社員のようで21歳の学生には見えないのです。働くことが好き、人と接するのも好き、そして彼はコロナ禍でズームで授業を受けた世代で、日本だと友達ができないとかいろいろ問題が出ているし、今まで来ていた若者とは何か感じが違う、コロナ前に来たフランスの若い学生たちは決して私に心を見せなかったけれど、ジョナサンは心を開いて自分を差し出しています。柴又へ行ってもみんなに礼儀正しく挨拶する彼は、仏教や彫刻にはあまり興味がなくて、女子っぽい写真を撮ってほしいと頼まれた時もあるし、アニメや漫画は興味がなくてジブリやハリーポッターが好きなのです。時間がたっぷり余ったので彼を駅前のベンチに座って待っていてもらい、夫の夕食用の鰻や酒が好きだという彼のためにつまみのつくだ煮やビールを買って早めに家に帰り、家で待っていた夫は酒をお燗して彼と乾杯をし始めました。

 彼は何を望んでここへ来ているのか。すべてのゲストに対して考えることなのですが、駅前のベンチに座って私をずっと待っていてくれた彼を包んでくれていた着物の存在にふと気がつきました。男物の着物はコロナ禍の中でもたくさん送られてきて、タンスに20枚くらいありますが、彼のサイズにぴったりの着物を彼は着こなしている。この前来たネパールの男の子はそういうタイプではなかったけれど、ジョナサンがここへ来たのは、着物をオーストラリアに持って行くためかなと感じた私は、異国へ旅立つ着物をたたみ、紐と兵児帯と着方が英語で書かれたパンフレットも添えて風呂敷で包んで彼にプレゼントしながら、リトアニアの男の子のもとへ行った茶箱の事を考えていました。どちらも何万円もするものです。でも私のところにあっても、私のものではない。

 おかしかったのが、これからヨーロッパを友達と旅行して回るというのにジョナサンはバルト三国の国を知らなくて、リトアニアの男の子の話をしてもキョトンとしていることです。そうだ、弱冠21歳の男の子だった、この左利きのジョナサンは夫と最後に握手して、ニコニコしながら帰って行きました。時代は変わりました。自分のしたいように生きればいい。帰り際、彼は「今度は彼女と来ます」と冗談で言い、私は着物を着てお寺でプロポーズしたゲストがいたことを教えたのだから、彼にそうすればいいなと本当は言いたかった。

 やっぱり私は五次元の世界を漂っているようです。