文明と文化  civilization and culture

 義父は生前土曜日の午後は、水道橋の講道館に行ってお仲間と会議をしたり碁を打ったりした後、行きつけのお寿司屋さんで飲んでくるのを楽しんでいましたが、ある時新聞に出ていた記事を手帳に書いてそれをお仲間に見せたらひどく感心されたと言って嬉しそうに帰ってきたことがありました。義母に話しているのを聞いていただけだから、詳しい内容は覚えていないけれど「文明と文化はどう違うか」ということで、それから家で飲んでいる時もよくその話をするようになりました。

 団塊の世代でもまれてきた夫に比べ、1954年生まれの私は風よけに守られ、高校受験も負担のない三科目だし、学校選びもグループ制で行きたいと思うことすら禁じられ、ぬくぬくほわほわ生きてきました。世界史の時間に子守歌のように聞こえてくるオリエント文明、インダス文明…という言葉たちにも何の想像力も掻き立てられずに来て、でも結婚して息苦しい生活を続けている時に、厳しくうるさい義父が発した「文明と文化の違い」という言葉が深く心の中に沈殿していて、エアビーの仕事を始め、特にコロナ後いろんなことを考えるようになって、これが大事なキーワードだとやっと気がついたのです。

 たくさんの外国人に着物をお着せしていて、植民地化されていたアフリカやカリブ諸国からヨーロッパにやって来た方々がゲストとして来ても、彼らの背景や状態は全く分からなかったし、日本旅行をして着物を体験する外国人はある程度恵まれた地位にいて、日々の仕事に追われながら余暇を楽しんでいるようなのですが、ベールに覆われた何らかの悲しみや歴史を知ろうとは思わなくて、同情でもなく憤怒でもなく他人事のような、高校時代の授業を眠いとしか感じなかった感情しか私は持たなかったのでした。でもコロナ禍を経て、ウクライナ紛争など多様な武器を使って激しい戦闘が繰り広げられているニュースを見ながら、たくさん勉強して学校へ行って、学んだあとにしていることが、いかに多く相手を殺すことかだということに、背筋が凍る思いがしてきたのです。

 文明と文化を分ける大切なキーワードは「速度」「スピード」で科学の最も重大な目的の一つは知ることだけれど、最短で最大の効果を上げ、他のライバルよりことを有利に運ぶため、誰かに勝つため、IT技術は情報を早く正確に伝えるのです。文明の目的は勝つためであり、それは争いから生まれた可能性が高く、科学の目的とは本質的にそのような性質をもっていて、科学技術が人類全体を幸せに導くことはなく、文明の本質が人より有利に生きることを目的としている限り、私たちが幸せになったということの裏には、どこかに負けを掴んだ不幸になった人たちがいるということで、文明、合理性の本質は、独占の呪縛からは逃れられないのです。なぜなら、誰かより早く(速く)が、絶対条件だからです。

 それに対し文化は、速度以外に価値が見いだされた活動の事であり、人より有利に生きることには何の役にも立たないけれど、文明の画一主義に対して、民族の独自性や個人の個性の多様性を重視します。個々のグループの特殊性を認めるあまり、外部の人に対しては排他的になることもありますが、それは独自の文化を守ることが大切だからで、要するに文化とは「前に時代から受け継がれてきた人間の生活様式」で、それぞれの民族や地域・社会に固有の生活様式があり、それが継承されていくことで、言い換えると文明とは普遍、文化とは独自なのです。

 コロナ前の私たちは物質的にも精神的にも豊かになり、文字を持ち交通網が発達することにより都市化が進み、合理性、効率性、利便性を追求した技術が生かされ、担い手の企業によりインターネット、スマートフォン、人工知能、工業製品、コンビニエンスストア、ショッピングモール、金融商品など私たちの暮らしを豊かにするものの恩恵を受けていました。そして精神活動の面においても、他者との関りの中で生まれた社会的な共通概念、社交マナー、ビジネスマナー、一般常識、ファッション、制度など、文明は豊かさをもたらすものだという共通理解、文明の理念は人類共通の普遍的な価値観だという考え、そして文明は未来に向かって進歩・発展していくものだという認識を持っていたのです。

 

 文明は農耕から始まりました。農業が始まった時は素朴で、種をまいて収穫するだけのものであり、人の工夫はなかったので、収穫量は人ではなくすべて天候つまり自然に左右され、収穫を増やそうと願う時、人がするのは技術的な創意工夫ではなく神への祈願であり、掘り起こされた1万年以上前の土偶などが抽象的な形をしているのも、神という目に見えないものへの祈りのメッセージだからです。春に五穀豊穣を祈願する祈年祭、秋の収穫を喜ぶ新嘗祭がありますが、それは自然(神)への祈願や感謝を表すものとして残っているのです。

 しかし紀元前2000年紀の初めころ農業革命が起こり、土地に川から水を引く灌漑、堤防など土地改良をするようになり、また雑草を抜く、土を掘り返し空気を入れるなど、人の手を加えることでより収穫量が増やせるとゆっくりですがわかってきて、農業にはまだ発見されていないコツがあり、それを発見することでより効果的な収穫が見込めるとわかると、人々の興味の対象は神から技術へと移り、追求するものも神への祈りではなく技術そのものになり、物質的なものを重視、抽象的だった造形物も徐々に写実的なものになっていきます。宗教よりも実際的な科学を重視し、自然という不可解で人間の手に負えないものがゆっくりと解明されてゆき、現実を見て科学し技術を高め進歩する、これが文明の考え方の基礎になりました。進歩した技術とは、基本的には良いもの、普遍的なもので、科学とは誰が何度やっても同じ結果になるという普遍性そのものであり、数学も人類全員が同じ問題から同じ答えを導ける共通言語です。農業に限らず、誰かが効率の良い方法を発見したならそれはまねた方が得で、ある国や地域が文明を発展させた結果、普遍主義の色を帯びてくるのは自然なことでした
 「古代の人」は、まず物財を重視し写実し、次にはなぜそうなるのかと原因を探り、そこから「科学する心」が生まれやがて技術になり、次々と技術が発展し物の生産力が更に高まったのです。こういう「善循環」が起こって経済は長期的に発展するようにり、合理性、効率性、利便性に基づいた文明は、おおむね順調に発展を続け、豊かさは向上し、資本主義経済や、ジョン・ロックのような自由主義思想にまで発展しました。同時に人間の道徳も進歩しているように思えたけれど、文明に20世紀の大戦という暗い兆しが現れます。「長い19世紀」はほとんど中断のない物的、知的、進歩の時期、つまり文明による生活条件の向上の時期のようにも見えるし、現実にその通りでした。
 それとは違って1914年以降には、先進国と中流階級には正常と考えられていた基準からの後退がおこり、文明が始まって以来、ゆっくりと進歩してきた社会が、戦争を機に野蛮なものに退行してしまったのです。文明国は資源を奪いあい、植民地化を競うようになりました。19世紀、欧米諸国は産業革命の真っ只中で、そこで経済的な発展と帝国の発展を求め、自国内で経済成長をするだけでなく、ヨーロッパ、アジア、アフリカへと進出し植民地化を進めていきます。その主要なプレーヤーはイギリス、フランス、ロシア、ドイツ、トルコ、オーストリアで、これらの国々は限られた土地の植民地化を競うわけだから基本的に利害が対立し、互いに協力したり戦争したりを繰り返していて、産業革命の元祖であるイギリスは経済的に豊かになりいち早く文明を発展させます。しかし20世紀の戦争をきっかけに文明批判をする思想家が次々と現れ、そこで文明と対照的な概念である文化が注目されます。

 中国の歴史は文明の興隆と崩壊の繰り返しです。なぜ崩壊したのかは「文明」の必然で、格差があってはじめて成立する「文明」は、言い換えれば(人類学などでいう)「再配分(redistribution)」システムの上で成り立つということですが、このシステムが文字通りきちんと再配分されていれば問題ないけれど、これまでの諸文明を見るとそれが難しいく、ほとんどの文明で収奪性を帯び、それが極点に達したときに崩壊が起こるのです。民衆の圧倒的な支持を得て権力の座に着いた権力者はいつの間にか国民に背を向け、蓄財に励みその結果、民衆に追撃されることになりました。なぜ彼らは収奪に走ったのか、”見えざる闇の手”がそうした権力者を抱き込み、収奪に走らせたことは明らかですが、専制的に世界を動かしているその“手”の“腕力”に世界の民衆が勝てるかどうか、その専制に終止符を打ち、彼らの富を環流させることができるかどうか、それが人類の将来を決めるのでしょう。

 そのためには、新しい「文化」が必要です。でも未来に向かってひたすら前進するだけという前進主義的「文化」「進化主義」的「文化」の権化はアメリカで、アメリカは人工的に作り上げた理念国家であり、その国家統合を達成するために、常に未来を指し示さなければ集中を保てない国家です。ところが、アメリカの政治「文化」が日本を含む世界の諸国家の政治「文化」に取り入れられ、世界が前進主義、発展主義、進歩主義の塊となり、互いに覇を競い合っているのが現代世界ではないか。前進主義的「文化」が世界化してしまってからは、どこもかしこもギスギスするようになり、心が休まりません。

 

 私たちはこういうことを学ばなければならなかった。なぜ世界は今こんなになってしまったのかということを、誰も教えてくれず、世界の国のトップはあまりにも長期的信念を持てないでいます。文明のきらめきに目を奪われて突進し続けた私たちは、コロナウィルスに考える時間を与えられ、これから何が必要なのか必死で模索している時、気がついたのが文明の名の下に虐げられてきた民族の生の息吹であり、愛情であり、時間を超えた永遠の輝きでした。

  真実は私たちを自由にしてくれます。「人生とは何か?  夜に点滅するホタルの光だ。 バッファローが冬に吐く息だ。草原を走り、夕暮れとともに自ら消える小さな影だ。知恵を探せ、知識ではない。知識は過去だ。知恵は未来だ。」ネイティブアメリカンの言葉です。希望は絶望の向こうにある。苦しんで悩んで這いつくばって顔をあげた時見える青空は、欲を捨てた時見えるのかもしれない。夫が初めて私のエアビーの動画のサイトとレビューを見て、絶句していました。最近のレビューは特に、「kind husband, sweet husband…」と夫を褒めたたえる言葉が必ず添えられるようになり、欲のない夫はノーギャラで色々助けてくれます。文明には欲があるけれど、文化とはただ与えるだけの心から生まれる気がします。これまで来た800人余りのゲストの着物姿は、まぎれもない文化の象徴だった。着物のクオリティとゲスト達の人間性と、喜び苦しみ悩みためらい、いろいろなものを含んだ気持ちやエートスこそが、文化を作る根源だった。 私たちは今やっと枷から解き放たれた気がします。文明という呪縛、初めはそうでなかったのに、だんだん異質のものに変化し、恐ろしく大きい物体に飲みこまれてがんじがらめにされて居たのが、それを解明するための時間がコロナウィルスによって与えられ、全ての自然界や天上界のもろもろが動きだし、全てを清め、軌道を修正しようとしています。何でこんな風に間違ってしまうのか?夫は至極単純に「欲だよ」と言ってのけた。

 義父が文明と文化についてどんな言葉を手帳に書いたのか、それは永遠にわからないけれど、今だからこそわかるものだし、それはこれからを生き抜く人間にとってのキーワードです。

 

 「私は最強」という歌を聴いています。

 さぁ、怖くはない不安はない 私の夢は みんなの願い 歌唄えば ココロ晴れる 大丈夫よ 私は最強

 見たことない 新しい景色 絶対に観れるの なぜならば 生きてるんだ今日も

 さぁ、握る手と手

 ヒカリの方へ みんなの夢は 私の幸せ あぁ、きっとどこにもない アナタしか持ってない その温もりで 私は最強

 回り道でも 私が歩けば正解 わかっているけど 引くに引けなくてさ

 無理はちょっとしてでも 花に水はあげたいわ そうやっぱ したいことしなきゃ 腐るでしょう? 期待には応えるの

 いつか来るだろう 素晴らしき時代 今はただ待ってる 誰かをね 繰り返してる 傷ましい苦味 火を灯す準備は出来てるの? いざ行かん 最高峰

 さぁ、怖くはない? 不安はない? 私の思いは 皆んなには重い? 歌唄えば 霧も晴れる 見事なまでに 私は最恐

 さぁ、握る手と手 ヒカリの方へ みんなの夢は 私の願い きっとどこにもない アナタしか持ってない その弱さが 照らすの

 最愛の日々 忘れぬ誓い いつかの夢が 私の心臓 何度でも 何度でも 言うわ 「私は最強」「アナタと最強」

 

若い子たちは知っているのです、何が文化かということを。新しい世の中をひたすら生きて行きましょう。