寒さも最高!  Mesmo com o frio foi incrivel!

  これまで800人近くのゲストが私の体験に来て下さり、精一杯ホスティングをしてきましたが、上手くいかなかったと落ち込むことも何回かありました。夫は終わったことはくよくよするなと言いますが、私は割と引きずることが多く、前半上手くいかなかったときは後半で何とか頑張ろうとあれこれ尽くして、最後ゲストを見送るとガックリ疲れが出ます。コロナ禍で2年余り何もせず、ボチボチ外国人が来るようになった時白内障の手術をして一か月休養、それから11月12月と怒涛のごとく仕事をして、疲れもたまってきているところのブラジルの女の子たちの来訪でした。

 着付けのヘルプの方に助けられたものの、寒さや私の気持ちの不備やいろいろ重なり、最後のティーセレモニーで頑張ったものの、満足してもらえなかったろうなと後悔が頭をよぎり、もう謝りのメールを出そうと文章をポルトガル語に変換して「満足の行くホスティングができず本当にごめんなさい」と送ったら、間髪入れずレビューとともに「寒さも最高!」とポルトガル語で返事きたのです。言葉の重さ、強さ、温かさをこれほど感じたことはなかった、彼女の言葉は私の心に染みわたりました。これが言葉の力だったのでした。

 レビューには、ティーセレモニーが面白かったとか、文化を丸ごと差し出してくれたとあって、全てが上手くいった満艦飾の体験だとおなか一杯になって意外とレビューを書いてくれず、いろいろ欠けた部分があって私が心配し抜いている時、思いもかけない言葉を送ってくるのは、やはり文化や伝統の底力がものをいうのだなと感じます。ちっぽけな私の力などどうでもいい、それで落ち込むのでなく、私も文化や伝統を彼女達と同じ方向で見て行けばいいのです。自分で抹茶を茶碗に入れて、お湯を柄杓で入れて茶筅でかき回す時、抹茶のほのかな香りがふっと鼻先をかすめ、ああこれがお茶なんだといつも思うのだけれど、彼女たちもそれを感じただろうか。今日きたゲストとのこういう積み重ねを、次のゲストが来た時話すようになりました。茶筅を茶碗のお湯の中に入れた時に香る竹の匂い、茶碗の重み、これは日本のまぎれもない文化であり、戦うことがいかに愚かか、欲が何の得にもならないこと、今一服の抹茶を飲むことだけが真実だということを大事にすることが、日本人の知恵なのかもしれません。

 着物をまとうこと、時として長襦袢の絹のなまめかしさに心がときめく時がある、肩から滑らせるしなやかさの感覚。ブラジルの女の子の着付けでたくさんのタオルを使って補正していただいた時、みんなかなり細かったからそうしなければうまくいかないのですが、物凄い違和感を感じていたのは、私は外国人にはよほどのことがない限り補正をしないで来ているからです。「おなかのお肉があるからタオルなんて入れない」と言われる私はともかく、もうちょっと細かった時期に習った通りに補正をたくさんして着物を着たら、夫が「昔はそんなことしなかったろうに。だいいち脱がせるときに色っぽくない!」と恐ろしいことを言い、(私の事ではありません)ゲスト達にしても着付けの様子や最後に脱いでいくさまを彼氏が動画で撮ってくれることもあるのです。豪華な着物を脱いで、長襦袢姿になった時、自分の未知の美しさに目を輝かし、どうしてもこれが欲しいとねだられたことが何回もありました。布地の地模様、肌触り、彼氏がいないという姉妹たちは「素肌に羽織りたい」と興奮していた、これはまぎれもない日本の文化であり、歴史であり、伝統技術で、それの普遍的な素晴らしさは直感でしかわからないものでしょう。ゲストの帯をほどく時、私は両手をあげてぐるぐる回ってもらい、「アレー」と言わせるのを見た夫はいつも「馬鹿だなあ」と呆れるのだけれど、着物体験に官能を求めた若いゲストもいて、それも文化だと思うし、自分のやりたいようにやればいい、あとで見た彼女の写真は着物をまとっていることでこの子の気持ちや本質がくっきり映し出されていました。

 そう、着物はまとうものなのでした。人生は喜びに満ちています。味わうために感性を張り巡らしているゲスト達に、私は出来る限りのものを差し出していきたいのです。「バベットの晩餐会」という映画の中にこんなセリフがありました。「あの世に持って行けるのは、与えたものだけです。」そうか持っているものは持っていけないのか。着物も、文化も、気持ちも、言葉も、差し出していけばいいのです。

 「寒いところをたくさん歩かせて、本当にごめんなさいね」ううん「寒さも最高❣」でも、寒かったよね、ごめんね。

 

 おもいもかけず、越乃寒梅を送っていただきました。一輪一滴。

 お正月にみんなで飲みます。ありがとうございました。