大人の肖像

 四年ほど前に夫がジパング俱楽部に入って、旅行するとき安くなると喜んでいたものの、その後コロナ感染が広がり、義母は認知症になるし、会費が引き落とされるだけで今まで一回も利用したことがなく、会報だけが定期的に送られてきます。今日きたのは表紙が綺麗な女優さんの着物姿で、昨日の神社のしっちゃかめっちゃかの撮影会をしたばかりの私は、どんなに素敵だろうかと見てびっくりしました。元アイドルで今は家庭を持つお母さん女優さんだけれど、いつも愛くるしい笑顔を見せているのに着物姿の顔が、作られたものにしか見えないのです。一流の着付け師さんが一分の隙もなく完璧に着付け、素晴らしい着物を着てきちんとポージングしているのに、どうして表情がないのでしょう。

 夫にそれを見せると「白い着物に白い帯でインパクトが無いからだよ」というのだけれど、一年半前に沖縄から来たチェコ生まれのベロニカは、白地の訪問着に白い帯を締め、小物も白で統一して清々しく綺麗で、初めアップにしていた髪を、赤ちゃんを抱っこして散歩連れ出していた旦那様が帰ってくるとダウンにおろして一緒に写真を撮ったことがあったのです。肌の色の違う旦那さんはベロニカにとてもやさしく、私は初めて会った時、予期していなくて言葉に詰まったけれど、日本文化に魅かれ神社巡りをしているベロニカの純粋な気持ちが、より一層彼女の着物姿を美しくしていたと心から感じています。

 昨日歌唱力コンテストという番組を見ていて、13歳の女の子がクイーンのボヘミアンラプソディーをソウルフルに歌い上げ、聞いていたYOSHIKIさんが「歌というのはうまい下手が重要なのではなく、いかに人の心を動かすかということが大事だ」というのを聞いたのですが、全日本フィギュア大会でジュニア勢が活躍していているけれど、まず思い切り笑った顔を作り、それから演技を始めるエリートの女の子たちは、そう、顔を作れと教えられているのでしょう。大人の肖像の表紙の女優さんも、顔を作って撮影に臨んでいるけれど、だから人の心を動かすことができないし、寒々とした心では、着物の温かさも美しさも感じられず、見る人達にも何かを届けられない気がします。

 今朝のクラシック番組では最近来日したラトビアの合唱団が宗教曲を歌っていて、最後の「ウクライナの祈り」という曲の終わりで声の余韻がいつまでも残り、まるでうちの仏壇の鉦のようにうねりの波動がずっと続くのをじっと聞いていました。心が動く時、空気が動く時、音が動く時、人は生きていることを幸せに思う。何かを表現する手段を持つということは、神が与えたもう祝福であり、自分を甘やかさず追い込んでやるべきことを追求し、自分の世界を表現し続けた時得られるものなのでしょう。猛烈な暑さの後には猛烈な寒波が襲ってきています。ロシアに爆撃され逃げ惑った後には電気もつかず暖も取れないから重ね着をして寒い冬を凌ぐウクライナの人達と同じ環境に私たちも置かれつつあります。対岸の火事ではない、ウクライナの出来事は一つの表層に過ぎない、我々がこれから向かう道なのかもしれません。

 クリスマスイブもクリスマスも、マックスでゲストが来ます。彼らは何を求めているのだろう。柴又へ行くのも寒いし、正月の準備でざわついているところへ行かない方がいい気がします。さあどうしましょう。ああ、そうだ、みんなの大人の肖像画を描いていきましょうか。心からの表現、それぞれが持っている資質と、着物の合体。表現技術を教えるときにまず顔を作れ、楽しい顔、みんなを楽しませる顔を作ることを若者が教わっている気がするけれど、内実が伴わないそれは空虚で心に響かない。シンクロの井村コーチが、オーラというのはいかに今まで優れた芸術や作品に触れてきたかという経験から醸し出されると言っていて、一流のものを作る人は真剣で悩んで苦しんでそれでも前へ進もうと努力しているし、それを感じ取れないと表現できない、やむに已まれぬ衝動は、苦しんだ末に出てくるというのです。

 二時間体験をしたゲストからレビューが来て、家族全員での着物体験は夢だったとありました。大人の別珍のショートコートを羽織り、首に黒いファーを巻き付けて歩いて居た双子の女の子が、最後のプレゼントの時それを欲しがったのだけれど、さすがにそれは無理だから小さい黒いファーをあげて、それを巻き付けて歩いた時の感触が心地よかったのだろうと思います。頂き物のレベルはすさまじく、シルバーフォックスだのミンクだの、寒いからみんなに付けてもらうのだけれど、着物も帯も毛皮も皆一流のものが多いのです。着物の質というものは、その滑らかさや心地よさで何かしらの感情を呼び起こすもので、可視化できるものではないところに美しさがあるのでしょう。皆のいろんな背景や価値観からいろんな風景が見えて、そこに表現が生まれる。自分が表現したい世界、皆の中の価値観、背景に合わせて意味が生まれたら嬉しいと思います。

 今年最後のゲスト達がこの寒い中来てくれますが、明後日で通算800人になります。もう単なる着物体験ではなくなってきています。自分達がこれから生きていく上での心の芯になるのは何なんだろうか。今現在街を爆撃し、人々を殺し続けている者たちが口にする”メリークリスマス”とはいったい何なんだろうか。私たちは何もできないのだろうか。

 

 さあ、支度をしなくてはなりません。部屋を掃除して、着物や長襦袢、小物を揃えて、抹茶の用意をして部屋を整える。今年最後のお仕事です。