限界突破

 12月はすさまじく忙しくて、週三日の営業日は5人、6人と限界を突破した人数のゲストが来てしまいました。クリスマスイブは男子3人と女の子一人、クリスマスは若い女の子4人で、お寺や神社に行った後スペシャルティーセレモニーをして、まず焼き鳥でお酒を飲んでからロールケーキで抹茶をいただき、一人ずつお点前をしてお茶を点ててもらいました。柴又へ行っても、近くの神社行っても寒くてあまり盛り上がらず、どうしたら気持ちを挽回できるか考えながら駅のホームを歩いてると、男の子たちは代わる代わる後ろから近づいてきて、話しかけてきます。今までは違うグループのゲスト達が一緒になると観光の話など情報交換をして、傍で聞いていて盛り上がっているなと思うと私はそっとしておくので、たまにゲストが気に掛けてくれることもあったのだけれど、コロナ後はストレートに私に問いかけをしてくることが多くなりました。「いつからこの仕事をしていますか?」「海外旅行はどこへ行ったことがありますか?」こちらも負けずに問いかけます。「今までどこの国を旅行してきたの?」「どこが一番良かった?」「海外でどんな勉強をしてきたの?」「何をしている時が一番楽しい?」そこの国の人々と触れ合うことが喜びで、ナショナルリレーションシップ?(記憶が定かではないのですが)と答えた男の子は、UK,ドイツ、ベルギー、フランスなどで勉強してきたと言い、よくわからないながら、この混乱した世界情勢をあなた方が正していかなくてはならないと、年寄りの私は妙な檄を飛ばしてしまいました。相棒の男の子はメキシコとアメリカのハーフで、旅行先は南米だけ、花の好きなお母さんのために、お寺の庭の葉ボタンの写メをたくさん撮っていて、お菓子が好きでお酒が好きで、人懐っこくて少しいい加減で、お茶のお点前は向かなかったけれど、男子組三人で羽根つきをしたら上手だったし、私がスペイン語を少し話すと二人とも発音を褒めてくれました。

 女子組のUKから来た女の子は辛辣で、どこの国の男子がいいか聞くとオーストラリアだそうで、UKの男の子は暗くて重たくて嫌だと即答、アメリカから来たふっくらした女性は人なつっこく、日本人の彼氏が欲しいとか、夫の英語は素晴らしいとか、いろいろ楽しそうでした。焼き鳥が気に入ったUK組は、帰り際に隣の鳥屋さんへ直行して立ち食いし、メリークリスマス!と帰って行ったし、赤い振袖を着てご機嫌だった中国のトールガールはホテルニューオータニへ戻り、あれあれ裕福なんだと思ったけれど、お茶を点てる時ふっと抹茶の香りがすると喜んですぐ反応したのは今までで初めてで、ちょっと驚いたのです。

 皆を見送って玄関にチェーンをかけながら、夫は「面白い子たちだなア」としみじみ言っていて、私はその時(ああ、最近来る若者たちはZ世代だったんだ、だから21歳とか23歳とか、一人で私のところへ来るんだ。)と気がついたのです。あの若い子たちはコロナ禍の中で孤独な学生時代を過ごし、どんどん自己責任していく社会にあって、繋がりを求めながらも、特徴を一概にはまとめられない矛盾の世代なのでした。学生時代の時間も奪われ、いつ世界が終わるかわからないのに、なぜやりたくもない仕事をしなければならないのかというニヒリズムやあきらめの空気が広がっている中で、小さな丁寧な暮らしに向かう人もいれば、もっとアクティビズムで頑張ろうというラディカルな考え方の人もいた。ZARAやケンタッキー・フライド・チキンでバイトをし、早く学校を卒業してバリバリお金を稼ぎたいと言っていたジョナサン、世界中をお金もかけずアクティブに旅しているシャンティ、内気な21歳のネパールの男の子、海軍さんの女の子、メキシコの綺麗なフリーカメラマン、入念にメイクをして自撮りをしまくって居たタンザニアとアメリカのハーフのデンティストの女性、なぜか不思議な感じのするゲストが多かったわけがわかりました。絶望の時代をどう生き抜いていくのか、多彩な考え方がアメリカのZ世代の中で新しく生まれているのです。親世代とかミレニアル世代は、仕事がある程度安定した中でコロナ禍に入ったので生活の基盤があるけれど、Z世代にはそれがないことが大きくて、アメリカは現実が明らかに「終わっている」からラディカルなアクションによって変化を起こさなければならないという切実感があり、アメリカのZ世代は特にコロナ以降ネット漬けが悪化したからこそ、リアルな世界が恋しいという矛盾を抱えています。ネットとリアルでは人との交わり合い方が違うことを、貴重なティーン時代にコロナにより隔離を経験しているからこそ実感しているのでしょう。コロナ前にGAFAで働くゲスト達が何人か来て、隆盛を極めていたクラウド産業に働く彼らの感情が妙に稀薄なのに違和感を覚えたのだけれど、本当に地に足を付けて暮らしていないということは、とても危険なことだと今あらためて思っています。

 若い世代はいつ死ぬかわからないという危機感や、保守的な大人たちへの怒りによって既存の価値観が揺らいでいるからこそ、危機を打破するための新しいものをつくり上げていく可能性があるし、「疑う力」がZ世代的価値観の中核にあると捉えられています。今は誰でもSNSにアクセスできるので、ニュースや大人たちが言う社会の価値観の方が間違っている、という現実を知ることができます。

 人は鍛錬して習練して何かのスキルをものにすることに没頭し夢中になります。自分の奥底にあるものを出したい、出さないと身が持たない、才能があるとかないとかいうことではなくて、それは人間が生きていく上で一番大事なことなのかもしれない。遠くへ行ったことがなくても、地の果てまで行っていても、沢山の人を感動させるパフォーマンスをしたいと思うし、本当に人間の心というものは何なのかと思いますが、いつも自問自答することがやはり必要なのでした。クリスマスの忙しさが終わってやっと休みが取れた娘が、五時起きして早朝着付けに行った時、歌舞伎の好きな奥様と「玉三郎トーク」を延々として、こんな話ができたのは初めてだと言われまた着付けをしてと頼まれたと言っていました。私もそうです。ゲストと音楽の話、文学の話、宗教の話、家族の話、民族の話、いろいろしながらゾーンに入る時があるけれど、着物を着付け終わってゲストの美しい姿を見た時、あとは着物の持つ力で物語がはじまるのです。

 今必要なのは、リベラルアーツをたくさん体の中に積もらせること、そうすると世界はより深く、あたたかく、永遠の反応を示してくれる。アクティブガールが送ってくれた世界のどこかの海の夕日の写メを思い出します。日は沈み、日は昇り、時は過ぎていくけれど、私たちはそのリズムと共に暮らしていけばいいのです。

 来年の予約のメールが来ます。「会える日が楽しみです」「家族に、子供に、日本の文化を味わってほしい」文明と文化は違うのです。もっとやらなければならないことがある。もっと考えなければならないことがある。

 着物たちと共に、限界突破していきましょう。