美しい神のきらめき 

 暮れも押し詰まり、夫と家の掃除をしたり墓参りに行ったり慌ただしく過ごしています。義母の施設ではクラスターが起こり、入居者全員コロナ感染してしまい、容態は安定しているものの個室でじっとしているので筋力が落ちるし認知症も悪化していると連絡がはいって、どうすることもできませんが何があるかわからないと覚悟して、義母の弟妹にも連絡しておきました。義母は義父が亡くなった後の正月は弟妹たちの家に泊まりに行って楽しく過ごしていたのだけれど、今妹さんがたまに施設に電話をしても、忙しいからと言って迷惑がっていると告げられ、施設で出来たお友達が一番でもうそれ以外のものは目に入らなくなってしまっていて、それでも義母の心が安定して潤っていれば良いのだと思っています。

 最近はゲストの人数が多いので待ち時間退屈しないように夫が着物を着た順に二階の和室を案内し、鎧や仏壇、神棚、障子、床の間などを見せていろいろ説明していますが、二人で大掃除をしながら「本当によくできた家だなあ」と改めて感心しています。戦争が終わって義父は裸一貫で仕事を始め、ここまで発展させてこの家を建ててきました。でも一緒に暮らしていた私たちはその束縛が苦しくて、この家から逃げることばかり考えていたけれど、沢山の外国人が来るようになり、特にコロナ後は家全体を使って日本の文化というものを見せることをしてきましたが、これから迎えるお正月の意味も行事の意味もおせち料理の意味も、文化の一つとして共に考えることができることに気がつきました。

 疲れて夜早く寝るので三時ごろ目が覚め、テレビを付けたら読売交響楽団の第九の演奏会が放映されていて、合唱団に入っていた頃第九の講習会に行ってドイツ語の発音に苦労したことを思い出しながら、私は久しぶりに最後の合唱を聞いていました。もういかにうまく歌うかなどという欲はとうになくて、音楽を聴きながら字幕のドイツ語をずっと読んでいて、今まで会った50人以上のドイツ人の事、真面目で大きくてあたたかくてちょっと面白かった彼らの事を思い出していました。長い単語は難しいけれど美しいとか短い単語はわかるからずっと字幕を見ていたら、これまで第九を聞いたり歌ったりしていた時と全く違う感覚があって、ベートーベンやシラーは何を考えてこの曲を作り詩を書いたのか考えていた時、”美しい神のきらめき”という言葉が目に飛び込んできました。

 

 今朝の5時からのクラシック倶楽部という番組は、天才ピアニストブーニンの復帰公演の特集で、ケガや病を乗り超え、9年ぶりに挑んだ八ヶ岳高原音楽堂の完全版を放映していました。長身の身体を折り曲げるようにしながらシューマンの小品集を弾く彼の姿を見ながら、勿論譜面などなく、彼の頭の中にある世界を紡ぎ出していく音楽を味わっていました。まだ指も完璧には動かずリハビリの途中だというけれど、シューマンの優しさはリハビリに完璧で、目指すショパンが弾けるようになりたいという彼は、日本人の奥様の強烈なサポートに支えられ、多分日本の穏やかな風土や食事にも助けられているのかもしれません。彼の持つ能力と心と表現は、たくさんの試練を経て、神のきらめきを感じさせてくれ、曲の合間に窓の外の八ヶ岳の緑に目をやりながら、自分の物語を紡ぎ続けるブーニンさんと、プーチンさんの心の隔たりが、透明に描き出されていきます。

 鮮烈なデビューをしたころの彼の演奏は、「絵を見ている感じがする」「たくさんのミスタッチがあるが、魂が伝わってくる!」「ここは聴いていて、天国の音だなって思うの」「ブーニンの精神、ピアノ、力の入れ方、コンディション、あらゆる人間としての一回性の上に、この音が出てきているの!」と絶賛され、「私は空間を支配したい」「魂を表現しろ、生きろ」という彼の言葉を見つけました。クリスマス、お正月、海外旅行と、コロナが終息したと信じ、人の心は久しぶりにざわめいています。皆が同じようにコロナにおびえながらじっと籠って耐えていた日々に、わずかな光と多くの力を必要としていた私たちは、今あらためて芸術や文化の深さに気がつき、自分の心の芯がそれに呼応していることをしみじみ感じています。

 ブーニンさんがケガをしている時、電動車いすに乗って町を散歩し、途中で一服しながら煙草の灰をコーヒーの空き缶に落とし、カメラの方を見てニコッと笑っている映像がありました。日本の、静かな町の片隅の植え込みのある小さな路地、静かで平和で穏やかな空間で、ピアノを弾くこともできない彼は穏やかに日常をくらしていました。日の光、風のささやき、花のかおり、鳥のさえずり、妻の愛、そして神のきらめき。ブーニンさんは美しい音色で美しい音楽を奏でようと努力しています。よく動かない左手だけれど、リハビリのシューマンを経て、愛するショパンを弾いてリサイタルができるようになっていたのです。

 美しいもの、心からの愛、それを感じ取れる自分の芯を持ち続けること。

 

 クリスマスに来たゲストで800人になり、昨日400番目のレビューをもらいました。きりのいい数字で、2022年がおわりました。ひたすら嬉しく、ありがたく、清々しい気持ちです。

 

 本当にありがとうございました。