座敷わらし

 子どもたちが帰って来て集合するのは唯一お正月だけになり、ここ数年は金沢料理のお店のおせちをいただいていたのですが、今年はお刺身類が充実している亀有のお店に頼み、31日にテレビを見ながら待っていましたがなかなか来ないで、電話をしても通じず何ということかと思いながら、北海道から海産物を送っていただいたので何とか間に合わせてお正月の食膳を整えました。それにしても送っていただいた蟹を解凍したら傷んで居たり、初めて見る花咲ガニは身があまり入って居なかったり、ロシア問題の影響だかなんだかわからないけれど、賞味期限の切れたものを冷凍して売ってしまうという今までなかった倫理観の欠如が当たり前になっていることが恐ろしくなってきます。おせちが届かないのもそういうことなのかと思いながら、一番先に到着した次女夫婦と先にお酒を飲み始めた夫は今年は歯もないし厄年かなあと嘆いていました。

 妻の実家に行くのは腰が重いと言っていた次女の旦那様は、今年は早くに来るし夫ともよく話すのだけれど、なぜか私の存在が目に入らないようで、長火鉢でお燗を付けている私を見て「座敷童だ」などいい、反ワタシ派の次女と悪口三昧言うのを聞きながら、まあいいかと静かにしていました。仕事が立て込んでいる長女はお昼に到着、大阪へ遊びに行っていた長男はそのあと来て、カニや刺身を食べながらこれだけあれば十分だよと言ってくれました。久しぶりに子供同士話しているのを聞くと、受験や運動部の合宿で小さい頃から家にいなかった次女は、義父との接触もあまりなくて、小学生の時煙草を買いに行かされたことを懐かしそうに話す長女と息子の会話を目を丸くして聞いていました。料理も家事もせず勉強やスポーツに打ち込んできた次女は旦那さんの美味しい手料理を毎日食べ、「お母さんは料理が上手くないから」と平気で言うけれど、息子は高校時代の弁当を絶賛していたし月一で送る無農薬野菜も丁寧に料理して食べているから、子供もそれぞれ違うのでしょう。みんな歳を取ってたくましくなり、自分のすべきことが見えてきたことが有難く、私も私のやるべきことをやっていこうと考えていたら電話がかかり、これからおせち料理を届けるという連絡で、元日の夕方に配達してくれなどと言っていないのに勝手に決めつけてしまうこのお店の倫理観にあきれながら、何かが狂ってきていることをまた感じてしまいました。製造年月日が十年まえのお酒が送られてきたこともあり、何でそういうものを平気で送るのか、地球の磁力は恐ろしく狂っているとしか思えないのです。

 炭の火力が弱かったので、なかなかお燗が付かず、五人揃うとお銚子一本はすぐなくなり、早く温まらないかと私はじっと長火鉢の前に座ってみんなの話を聞きながら、その話の輪に入れないというか、私の話題は彼らから遠く離れたところにあるのをあらためて感じながら、こういう話はゲストと話す時使えるなと思うし、今みんなが抱えている問題は共通なものがあり、それを解く何かはおこがましいけれど私の体験の中にあるような気がしてきました。大晦日に若者たちの歌を聴き、とてもリアルで切実だけれど透徹した感覚は、明らかにこれから生きて行く励みになっている、時代を進める力を皆持っているのです。

 あとで次女の旦那さんの言った「座敷わらし」という言葉が気になり調べて見て驚いたのは、決して陰鬱な妖怪ではなかったのです。「住みついた場所で遊んだり悪戯したりして過ごし、何らかの幸せを呼び込んでくれて、座敷童が住んでいる間はその場所は栄える、逆に座敷わらしが出ていくと、その家が衰退していく」というのです。座敷わらしはその家に財運や出世、子孫の繁栄などをもたらしてくれる存在で、家族が思いやりの心を持ってしっかりと手入れされた家が座敷わらしにとっても住み心地の良い家になり、結果としてその家が代々続いてきているからなのです。

 日本では多くの土地で座敷わらしは神様が現世に降りてこられた際の姿であると言い伝えられています。そのため神様を祀るための仏壇や神棚がある家に座敷わらしは姿を現すことが多く、人と自然が好きな存在であり、自然からのエネルギーにも大きく反応を示します。人からの想いと同様に木造建築物の温かみも座敷わらしが居心地が良いと感じる一因であると知って、座敷童とはもしかして義父の兄弟の武君と源ちゃんではないかと気がつきました。彰義隊の末裔のひいおじいちゃんから義父まで、勿論小さい位牌も全部祥月命日は特別拝んでいるし、お正月の三が日はお雑煮の具の入った木皿を神棚と仏壇と荒神様にお供えすることを義父母に教わり、四十年続けてきたけれど、とうとう武君と源ちゃんは私のそばに現れてくれるようになったのでしょうか。

 アクシデントが続いたお正月だから、彼らはどうしたのかと思って出てきてくれて、私を慰めてくれたのかもしれません。四十年間いろんなお正月があり沢山の人々とおせち料理を食べてきたけれど、質素なお正月になってめげていた私を、武君と源ちゃんは慰めに来てくれて姿を見せたのに次女の旦那さんは気がついたのです。初めて心がつながったいいお正月でした。これからもこの家を大事に守っていきます。