花風

 毎日良いお天気が続きますが風が冷たく空気が乾いています。新年は柴又も混み合っているのかと思い、参道のお店の方にメールして聞いてみると「そうでもない」というので、夫と四日の三時過ぎにお詣りに行きましたが、駅を降りると混んでいます。ゲストと一緒では写真が撮れないと思いながら、久しぶりのお正月が出来て皆喜んでいて、お店の方々に挨拶して様子を聞いてみると、密にならないように暮れからお参りに来たりおみやげを買ったりしている方も多く、だからいま品数が減ってしまったと嘆いていました。そちらでお線香を買ったら、おまけに花風という試供品を下さり、「寒風の中、わずかな春の兆しをも敏感に感じ、その花弁いっぱいに芳香が満ちるまで時を待つ白梅そのものの香り」と箱に書いてありました。香りの強いお線香は最近はちょっと苦手で、意外と青雲がナチュラルで好きになったりして、お線香ひとつにしてもいろいろな意味や経歴があるものです。初期に来たインドの家族はお線香を作っていておみやげに長いのをもらったことがありました。

 達磨を買ってお詣りして知り合いの方々にご挨拶していると夫に「お前も顔が広いなあ」感心されたけれど、今までここに何百回と来ていて、2023年はどういう展開にしようかと迷っています。仏教と神道の違いを正月の行事で随分感じているし、神社では狛犬の前で「阿吽」を説明するのだけれど、帝釈天の仏像彫刻のところにある龍の像も口をあいているのとつぐんでいるのがあるのでそこでも話ができるのです。

 「阿」という字は口を開くと最初に出てくる音で、インドの古代語である梵字アルファベットの最初の字であり、いっさいの字、いっさいの音声はaを本源とするから、a字は諸法の本初を表し、「吽」という字は口を閉じた最後の音で、諸法の終極を表す、したがって「阿吽」の二文字をもっていっさいの存在者が生起する根源たる実相(諸法の存在論的根拠たる存在そのもの)と、智慧をもって迷いを破してその本源へ帰滅すべきであるという存在の真実を表現するのです。密教では阿は万物の原因(理)、吽は万物の結果(智)として、寺の門や神社にある仁王や獅子、狛犬などは阿吽を表すということは、仏教神道に関わらず、阿吽というエートスが存在しているのです。仏教に違和感を持つゲストもいれば、仏教彫刻の意味を不審がるゲストもいた、コロナ前はアメイジングと言われることが多かったけれど、最近は中国色が濃いと言われ、これは日本古来のものではなくて借りものに過ぎないなら、断片を切り取って日本古来のものを探して、オリジナルな感覚を作り上げて見ようと思った時、みんなの言葉や願いが書かれた絵馬の存在に気がつきました。短い願いを書いてもらえばそれぞれのゲストの人間性が表れるし、宗教とか民族とか超えて、何かを目指す姿勢をこのお寺に残してほしいと思っています。ここからはじめて見ようと思います。万物の始まりと万物の終わりが見えていれば、こんがらがった今の世界の混乱に囚われず、進むべき方向を見据えていくことができるような気がします。

 家族に言われる通り、私は勝手で変わっていて自分の事しか考えない人間で、ここまで生きてきました。自営業の家で従業員の世話をし、舅姑がいて、子育てして介護して自分も病気して、あっという間し40年たったけれど、もういろいろなことを忘れてしまって、これからやらなければならないことを考えている時に、その根底に流れているのは今まで私がやって来たことなのかもしれない。今まで来たゲスト達、これから来るゲスト達に何をしたらいいのか、ほんの少しの時間でもいいから嬉しいとか喜ぶ気持ちをもってくれればそれで十分だけれど、文明と文化の違いとか、自分の芯をどうやって持ち、どうやって育んで行けばいいか、それがあるとないとではこれからの混乱した世の中を生きて行くことができないということを、言って行きたいと思っています。

 「1人では生きられないんだけど、気がつけば1人だったり、逆に1人になりたい時もある。失敗しても、また失敗しに行くそれを繰り返しているのだけれど、それでもあきらめずにまたトライしていて、報われない努力ばかりだし、努力が実らなければ無駄な日ばかりかもしれなかった、夢がかなうわけでもないし、だったら夢とは何だったのかとも思う。誰にも伝わらない気持ちも、誰にも届かない日々も、ただ同じように過ぎ去っていく日々も、ただ苦しみを味わい続ける日々もある。何で自分はこんな生き方しかできないんだろうと思うけれど、今はそのすべての選択に意味を持たせなければならない、たとえその選択によって失敗したとしても、何かを得ては失うばかりの日々に意味を持たせなければならない、いつか振り返った時に意味があったんだと思いたい。これからの選択もたくさん迷い、悩むけれど、この選択があったからこそ未来があるんだと思えるように今を選び続けます。」

 これは羽生選手の菊池寛賞受賞の時のメッセージです。参道のお店でもらった試供品のお線香の香りにもしっかり意味があり、それを知ればお線香を灯している間、その香りを感じ続けることができるし、イメージも膨らみ続けるのです。私たちが今生きている意味、何を芯にしていけばいいのか、どんな感情を大事にしていけばいいのか、あまりにも混乱した世界の中でどんな風に立ち続けて行けばいいのか。おろそかにできない事ばかりなのです。

 「花風‐白梅の香り‐」ああ、これから来るゲスト達の着物姿に、ひとつづつ題名を付けていきましょう。私の中に埋蔵されているどんな言葉がでてくるでしょう。古典でも和歌でも何でもいい、明日は仕事始め、男女二人のゲストが来ます。