Give thanks

 昨日は鏡開きで、床の間の大きい鏡餅と仏壇や神棚に飾って置いた5つの小さい鏡餅を下ろしました。ワサビシートというカビ除けの透明なシールをお餅の間に挟むようになってからカビがほとんど生えなくなり、買ったお店にそのまま持って行くとつき直してのしもちにしてもらえるのです。これまではお餅のカビを削って砕いて日に乾かしてから揚げて食べたこともあったけれど、こうやってまた美味しいお餅が食べられる今が一番有難いと感じています。

 鏡開きの日にフィリピンとテネシーから女の子が一人ずつゲストで来るので、お正月の行事やいわれを話そうといろいろ調べてみたら、知らなかったことが多くてびっくりしてしまいました。神道が日常生活に根付いている日本では、昔から正月になると年神様が各家庭を回り幸福をもたらして下さり、もともとは祖先の霊だったのが、やがて山の神となって正月に年神様として家にやって来ると考えられていました。初日の出と共におこし下さる年神様には五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全などの御利益があるとされています。その年神様が家を見つけやすいようにと松で作った飾りを入り口に立てたのが正月飾りの由来です。魔除けの効果があるとされるしめ縄も、神さまが安心して訪問できる場所であることを示すために門松と一緒に飾られるようになりました。結界の役割があるしめ縄の内側は神様を祀る神聖な場所であり、結界を張って境界を作ることで、悪いものや不浄なものを寄せ付けない効果があり、つまりしめ縄は正月に起こしになる年神様に、その家が安心して過ごせる場所であることを示すための飾りなのです。

 鏡開きとは、お正月に年神様が滞在していた「依り代(居場所)」であるお餅を食べることで霊力を分けてもらい、一年の良運を願う行事です。年神様は穀物の神様であり、毎年正月にやって来て、人々に新年の良運と一年分の年齢を与えると考えられてきました。門松や鏡餅は神様をお迎えするためのもので、年神様が家々に滞在す期間が「松の内」であり、これが過ぎて年神様を見送りしたら鏡餅を食べ、その霊力を分けていただき一年の無病息災を願うのです。直前の年に収穫したコメを使い、その恵みに感謝して、年神様へお供え物として献上するのが鏡餅を飾る意味合いで、鏡餅の丸いフォルムは人間の魂を表したものと言われ、鏡餅の名前は三種の神器の鏡に由来し、神さまのお供え物である丸い餅を、ご神体として扱われることもある神聖な鏡に見立てて、鏡餅と呼ぶようになったといわれています。上下で大きさの異なる2つの鏡餅は、月と太陽、つまり「陰と陽」の象徴ともいわれ、2つ重なった鏡餅には、夫婦和合、円満に年を重ねるなどの願いが込められているのです。

 四十年間お正月をこのうちで過ごしてきた意味が今頃わかったというのも何かの啓示だと思うのだけれど、昨日来た三十歳の二人の女の子は赤い振袖を着て本当に嬉しそうで、道行く人に「おめでとうございます!」と声を掛けられ、帝釈天では二人でひたすら写真を撮りまくり、彫刻も仏教も関係なく二時間近く過ごし、初対面だというのに打ち解け合って翌日は一緒に日光の江戸村へ出かけることになってしまったのです。年齢をある程度重ねたこの二人の振袖姿はとても魅力的で、あらゆるポージングをとり、表情をくるくる変えることが着物姿をより綺麗に見せると思うし、20才の振袖姿ではなかなかそこまで表現できないのは仕方ないのかもしません。20代で自分で作った着物を、職場で久し振りに着たと娘が写メを送ってくれたのだけれど、夫と二人それを見てびっくりしたのは、着物姿が決まっていて、これを見たら振り返る、外国人に感じる賞賛の域に娘が達したことです。長い時間がかかったしいろいろな経験や回り道をしてきたけれど、着物の道をしっかり自分のものに彼女はしてきています。

 

 世界中の駅や空港に置かれたピアノを通りゆく人々が自由に弾くという番組があって、ロンドンでブルーのワイシャツにネクタイを締めたお洒落な80過ぎの男性が訥々とピアノを弾きながら歌う姿がいまだ忘れられないのですが、聞いていた若い男の子が後で「感動しました」と握手を求めてきて、びっくりして「私の歌に感動してくれたんだって…」とつぶやいた彼は花屋さんで何十年も働き、こうやってたまにピアノを弾くのを楽しみにしているのだそうです。長い年月の積み重ね、色んなことがあって、素敵な服を着てピアノを弾きながら彼が歌った曲は「Give thanks」でした。神様に祈る時も仏様に祈る時も、願い事をするのではなく、ひたすら感謝することが大事だということを最近知ったのですが、気持ちをまっさらにしてひたすら感謝する、どんなに自分が弱くて小さくて失敗ばかりしていても、努力して鼓舞して負けないで前に進むこと、どんなに弱くても「私は強いんだ」と頑張り続けて生涯を終えればいいのでしょう。若い、20才の女の子の「私は最強」という歌は、決して強くないけれど自分を奮い立たせより高みに進むために強い言葉を使う。だから、神は守ってくれるのです。

 土曜日に予約してきた横須賀に住む五十代のアメリカの女性が、外国人のお仲間が五人位着物を着て並んで写っている素敵な写真と共に、私の体験に書いてある文化についての考え方に魅かれたとあって、これは初めてのケースだなと思いながら、単に日本の文化として着物を着て喜ぶ段階からステップアップした外国の方がうちへ来てくれる時代になったし、はっきり言わなくても20代前半の男の子が一人で来るのもその辺に共感してくれているのかもしれない。とにかく今の若者の危機意識は年配の人間より研ぎ澄まされているのです。

 ロシアや中国のトップは、クリスマスの礼拝でもひたすら権力の保持を願い、神に感謝することはないのでしょうか。

 ふと思います。文化こそがgive thanksなのだと。

 

 Give thanks with a grateful heart Give thanks to the Holy One…

And now let the weak say, "I am strong. "Let the poor say, "I am rich Because of what the Lord has done for us" Give thanks.