カイロス  今に集中すること

 昨日は三年前に来た香港の若くて美しいロイヤーのレイチェルが、ボーイフレンドとまた来てくれました。待っている間なんだかドキドキしてきてちょっとナーバスになりながら、前回は赤い振袖を着せたから今度は訪問着にしようと色々出していたら、義母の施設から電話が掛かり、容態があまり良くないので救急車を呼んで病院へ行くと連絡してきたのです。間際でゲストは断れないので、夫が行くことになったけれど、私は心が全く落ち着かず、お正月に着た着物を返しに来たヤンママとも話ができない状態で、どうしようと思っていたら、10分早くにレイチェルが玄関に現れました。

 172㎝のすらっとしたレイチェルのそばに佇むのは、えーっ黒いキャップを被りレイチェルと同じ位の身長の、目のくりくりした可愛い男の子なのです。予想と違うことに動揺した私は、即仕事モードに入り込み、彼らの関係を探り出すべく質問を重ね、去年の十月に知り合ったばかりで彼のお父さんは73歳の岡山出身の日本人、再婚したお母さんは中国とインドネシアのハーフで、IT関係の仕事をしていて趣味は体操、日本語も結構話すのですが、恥ずかしがり屋のファンキーな男の子で、着物を着せてもキャップを被り続け、渡した刀を離さないのです。レイチェルは三年前は静かでクールビューティーな女の子で、たくさん撮った写真はみな同じ表情でほほ笑んでいるだけだったのですが、今回は笑うし喋るし同い年の彼をかまう姿はまるで仲の良い姉弟だよと私がからかっていたら、夫から義母は酸素濃度の値も良くなって落ち着いてきて、車椅子に乗って診察を待っていると連絡が入ったので、私はほっとして彼らを連れて柴又へ向かいました。

 高砂の静かな町を歩きながら、彼は「岡山はこんな風景の町だ」と言い出し、東京にもこんなローカルな所があるのだと感心しています。お父さんが夫と同じ位の年ということは寅さんも”男はつらいよ”も知っているだろうから、駅前の寅さん像を写真に撮って見せてと私は頼みましたが、参道の団子や佃煮にも心が惹かれるようで、酒が大好き、すき焼き、もつ鍋、お団子饅頭何でも好きな彼は明るく、でも時々シャイに柴又を楽しんでいて、写真を撮るときの良いアングルも教えてもらったのだけれど、いざ彼女とのツーショットを撮ろうとすると妙にぎこちなくて、反対に欄干に腰かけた彼にそばに立った彼女が手を彼の肩に掛けたほうが様になるので、どう考えても姉弟だと私は吹き出してしまいました。

 香港で日本語を教えている両親のもとに育ったレイチェルはひらがなカタカナは読めるし漢字もわかるから、仏教彫刻の下の説明も読んでいて、植物や鳥の彫刻に添えられている「葦、雁、芭蕉、椿」などもふりがなを読みながら私が気がつかなかったことまで教えてくれて、本当に頭の良いロイヤーさんでした。最近の新聞に香港のデモで逮捕された学生の記事が出ていて、もう香港には自由はないと悲観的なニュアンスだったからそうなのか聞いてみると、レイチェルはそんなことはないと言っていて、高い地位の仕事をしていて収入も多いけれどそれだけの努力をずっとしてきたという彼女が、彼と一緒だといつも笑ってばかりいるのに私はとてもほっとしています。それにしても中国のゲストが来た時は仏教彫刻にも興味を示さなかったし、漢字も習っていないから読めないと言われ、まるで民族性が違うのだと改めて思い知らされた気がしました。

 帰り道彼は「イナゴ」と「マグロ」の佃煮を買い、うちのそばで焼き鳥も買って、三人で日本酒を飲みながら乾杯して、初めはイナゴの姿に顔をしかめていたレイチェルもだんだん慣れて二人で飲み続けてからティーセレモニーをして、最後に彼がお茶を点てて向かい側に座った彼女が静かにお茶を飲み干して、体験は終了しました。結局ティーセレモニーとはただお茶を点てて飲むだけのことだけれど、サムライは戦いに行く前にお茶を点てて心を静めたし、私たちも一期一会、二度とないこの時をただお茶を飲んで過ごすのだと言いかけて、私は万感の想いで胸がつまり、泣いてしまいました。レイチェルが泣かないでと慰めてくれたけれど、夫から頻繁にかかる電話も聞いているし、義母の状態も心配してくれていたので、何で泣いているのかも察してくれていました。

 夫はエアビーの仕事は私が勝手にやっていることだといつも冷たくあしらうけれど、こうやっていろんな立場の外国人と気持ちが通じ合い、心が通い合う瞬間をどんな情況でも感じることができるありがたさに、私は感無量の気持ちになるのです。今やらなければならないことを今やること。この困難な世界情勢の中で、大事なのは今やるべきことを今やることなのでしょう。世の中が変です。戦争が当たり前で、人を殺すことが当たり前で、妙なことばかりを論じるテレビ番組が昼に延々と放映されています。少子化だと将来困るから様々な補償をして子供を増やす、そうではないでしょう。今の世の中は正常ではないのに、これは異常だと言って直すことができない、スマホ依存症が増え、認知症のような症状さえ若者に出ている。

 ギリシャ神話の時を司る神「クロノス」と「カイロス」の話を知りました。【クロノスは白髪の老人で、時計の針やスマホが示す時間のように私たちが普段「時間」と呼んでいるものを意味し、カイロスは前髪しかない青年で、私たちが「今だ」と感じるタイミングのようなものを表しています。「チャンスの神には前髪しかない」というのはカイロスのことで、「今だ」と思った瞬間に掴み取らないともうそのチャンスを手にすることはできないという意味です。クロノスが量や客観であるのに対し、カイロスは質や主観を表しています。私たちは時計であるクロノスを基準にして生きていて、「何時までに学校や会社に行かなければいけない」「5年後にはこうなっていたい」「3年前のあの出来事が忘れられない」といった思考なのですが、本来私たちの中にはクロノスはないのです。あるのは「今がその時だ」「まだ違う」といったカイロスだけです。私たちの中にはカイロスしかないということは、私たちは「今を生きることしかできない」ということを意味していて、私たちは未来にも過去にも触れることはできない、行動を起こせるのは「今」だけです。過去や未来を考えることは自分の持っているエネルギーをここではないどこかに分散させているのと同じです。「今」しか持っていない私たちにとって、持っているエネルギーを100%「今」に注げないことは致命的だから、最良の未来のために出来ることは「今この時に集中すること」で、そして最良の過去は、最良の未来の為に今この時に集中した結果自然にできるものなのです。クロノスは便利だし、便利ゆえに世界中に溢れかえり私たちの生活を支配しています。でも外から与えられるクロノスではなく、私たちが本来持っているカイロスに集中することこそが、未来と過去を切り開く力になるのです。】

 「奪うか奪われるかの時に、主導権を握れない弱者は何の権利も選択肢もなく、ことごとく強者にねじ伏せられる」「泣くな、絶望するな。怒れ。許せないという強く純粋な怒りは手足を動かす為の揺るぎない原動力になる」「真っ直ぐ前を向け。己を鼓舞せよ」「極めろ。泣いていい、逃げてもいい、ただ諦めるな、信じるんだ。地獄のような鍛錬に耐えた日々を。お前は必ず報われる、極限までたたき上げ、誰よりも強靭な刃になれ。一つのことを極めろ」「傷ついても、傷ついても、立ち上がるしかない。どんなに打ちのめされても、守るものがある」「失っても失っても 生きていくしかない。どんなに打ちのめされても、守るものがある」

 鬼滅の刃の中のセリフです。こんなにも激しく今を生きるということのエートスを表しているものがあるのです。指針があるのです。何も恐れることはない、ただ進めばいいのでしょう。

 夜中にルーマニアから予約のメールが入りました。ルーマニアのゲストは久しぶりだなあと思いながら返事を送ったら、今度はTさんという方から問い合わせが入り「耳の聞こえない両親に着物体験をさせたいのだけれど、可能だろうか?」と書かれてありました。胸が詰まりました。なんて優しい娘さんなんでしょう。音が聞こえなくても、言葉が通じなくても、絹の着物の肌触り、帯を締める感覚、抹茶の香り、全て心さえあれば味わうことができるのです。ご両親の体調もあるし外国からうまく来られるかもわからないけれど、このメールを読んだだけで、私の気持ちは高鳴ります。着物にまた新たな可能性と使命が与えられてくるのです。

 娘が久しぶりにに浅草へ行ったら、地味な無地っぽい着物にレースの伊達襟を挟んだり、中にブラウスを着て和洋ミックスのような着物姿の外国人がいて、昔と変わったとラインしてきました。柴又で会った台湾グループもそんなコスチュームだったけれどとても可愛かったし、うちにある今まで着てもらえなかった地味目の着物にレースの伊達襟や帯揚げなどしてアレンジしたら喜ばれるのかもしれません。

 明日はインドネシアの女の子が一人来ます。あったかくして暖かいファーを首に巻いて、出かけましょう❣