節分

 今帝釈様に行くと、境内に豆まき用の舞台を作っていて、四年前にエアビーの仕事を始めた時は、お寺の近くの山本亭に行く道の途中の電柱に、豆まきの様子が描かれた立体的な紙芝居のようなものがあって、一生懸命それについて説明したり、ちょうど豆まきをしているところで豆を拾ったりしたものですが、コロナ禍の中ではずっと中止で、本当に久しぶりに豆まきを見ることができます。

 節分とは季節の分かれ目という意味であり、この日で冬は終わるというのですが、季節の変わり目は邪気が入りやすいし、まだ寒くて体調を崩しやすいことから、豆をまいて鬼を追い払い福を招き入れるのです。2月6日は娘の誕生日で、今年のこの日は獅子座の満月、世界の常識がひっくり返っていくこの時期、これまでの価値観からいかに自由でいられるかが大事で、過去を脱ぎ捨てて未来へ舵を切っていかないと限界なのだそうです。常識にとらわれない型破りな感性を持つ個人というものの存在が時代を動かすキーパーソンになる、自分自身のコンプレックスに思える部分の闇に光をあてることで創造的なエネルギーが溢れ出す、型破りな感性が育つとオリジナルな価値を表現できるようになり、その独創性は時代を動かすエンジンになるというのは、最近の若者を見ていて思うことです。

 成人式の着付け仕事が終わりちょっと疲れの見えてきた娘と話していて、着物の道で成長してきているけれど本当にやりたいことはもっとあることを周りはよくわかっている、でも今与えられている試練も必要なことであり、逆に言えば普通の事しかしてこなかった人たちは、大きく離されていってしまうのが見えてきているという彼女は、いろいろ努力をして、もまれて失敗して落ち込んできたネガティブな体験や過去の中にこそ「強み」があり、経験しないことは強みにならないというのは私も感じています。「自分が話す」を卒業し、相手に届ける声を作る。場つくりをする。そういうことが出来てきている娘を見ていて、良くここまで成長してきたものだと思います。同じ土俵だったら私はもう完全に娘に追いつけないけれど、外国人着付けというエアビーの仕事は行事の時期が終わってもコンスタントに続く強みがあるのです。

 柴又の参道にはたくさんのダルマが並んでいますが、もともとはインドの生まれで、中国に渡り禅宗を伝え広めた達磨大師は9年間もの間、壁に向かって坐禅を行い、手足が腐ってしまったという伝説をもち、やがてその達磨大師の教えは日本にも伝わり武士を中心に全国に広まり、これをきっかけに、鎌倉時代に手足のない形のダルマの置物が作られるようになったのです。達磨大師の教えとは「二入四行論」と言い、自分の行いの責任をしっかりと取り、忍耐強くいるように。自分ができることから取り組み、毎日の中で誠心誠意を尽くすようにということです。自分の精神を磨き、人格を高めるために唱えられた「二入四行論」の教えに従えば、達成できないことなんてなくて「だるま」はこのような教えを思い出させてくれ、あなたの願い事や目標に近づく助けをしてくれるというものなのです。願い事や目標とはなんでしょう。最近ゲストに境内につるされている絵馬を見せて、あなたの願いとは何かと聞くと「健康で幸せに平和に暮らせるように」というような内容の事をいいます。「良縁に恵まれますように」「受験に成功するように」などという日本語の絵馬も多いのですが、コロナ前に香港から来たゲストが絵馬を読んでいた時急に顔を曇らせて「中国語で”香港人、死ね”」と書いてあるものがあると教えてくれました。それから彼は自分でも絵馬を買って「香港頑張れ!」と書いて彼女と一緒につるしたのですが、異国の仏教の寺の神聖なエリアに恐ろしい呪いの言葉を書く人間が来ていた、私たちはそれが読めないからわからなかったけれど、やって来たゲストに教えてもらって初めて知りました。

 ほんの小さい事からも事態は悪化していることがわかって、そしてそれからコロナウィルスが静かに広がり始め、2年間すべてはストップしました。誰も来ない境内には絵馬を書く人もいない、お寺で働く方が、誰も来ないお寺のお正月の怖ろしい風景を一生忘れないと言っていたけれど、これが私たちに与えられた罰であり、試練だったのです。

 村上春樹が自分のラジオ番組で「どんなことをしているとき、いちばん自分が楽しいか、自分がいちばん生き生きしているか、それをしっかり見定めるのが、人生において大事なことになります。」と言っていて、自分の意志で新しい道を切り開き、次の物語を進むことが大事で、 誰かの意思ではなく、自らの意思で選んだ結果がこうなったという、自分の選択した人生の物語を紡ぎ続けて行かなければならないなら、このコロナによる空白の後に作り出すものは、より新しいものでなければならない。色々な経験をし、色々な感情を積み上げてきた人間でないと、なかなか胆力を持って対峙できない、自分が自分であることに誇りを持ち、だから全てに愛情が持てるということを自覚して、着物体験を創り出していくことを目指すためには、技術も速度も上げなければならないし、コロナ禍の二年余りの空白はやはりハンディになっています。最前線の現場にいる娘が、着せられたお嬢さんたちが綺麗になれなくて悲しい顔になることだけは避けなくてはならないといっていて、着物という物語は着物と着る人間が輝く時初めて始まるということを、いつも考えなくてはならないのでした。

 節分の行事は寒い日に行われるけれど、これからは少しずつ少しずつあったかくなるのです。

 「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」 芭蕉の弟子の服部嵐雪の句です。寒梅が一輪咲いている。それを見ると、一輪ほどのかすかな暖かさが感じられる。そんな気持ちで二月を過ごしましょう。

 毎日着物を着ている娘は、アレンジしたりロック調の帯や着物を着たりしたとき、声を掛けられ褒められると言います。私にも着物を着たほうがいいよと言ってきて、一人旅のゲストの時はこれから着て見ようと考えながら、着物にレースを付けるのも試してみようかと思ったら、急に心がほっこりしてきました。かすかな暖かさというものは、心の救いになりはげましになります。

 梅一輪の努力をしていきます。