怪獣の花歌

 去年のNHK紅白をじっくり見ていて、今まで知らなかった歌手の名前をたくさん覚えたのですが、最近よく頭に浮かぶのが金髪ちりちりヘアのちょっとふっくらしたVaundyさんです。作詞・作曲・編曲のみならず、クリエーターと共同してアートワーク制作、映像プロデュースも手掛け、現役で美術系大学に通いながら活動しています。ロック、ヒップホップ、R&B、シンセ・ポップなどが混合したジャンルレスな楽曲が特徴で、音楽制作について「現代のオリジナルは散らばったピースを面白くはめること」といい、日本独自の音楽ジャンルであるアニメソングが好きで、自分の初めてのシングルはトレンドを研究して需要を意識した曲作りをおこなったそうです。大学でデザインを学んでいる経験が音楽活動にも影響を与えており、アートワークやMVなど、音楽もデザイン的であることを意識していて、CDから配信、YouTubeへと、音楽の聴き方、付き合い方が変わり、ミュージシャンを取り巻く環境もずいぶん変わりました。Vaundy さんは楽曲から映像制作まで一人で行い、自分を作り上げ、音楽だけではなくてマルチアーティストとして生きて行きたいから、さまざまな角度から見て欲しいそうです。過去も現実も未来も、全ての自分を悲しませないように、後悔させないように生きて行くそれが彼にとっては「歌」であって、

 

   落ちていく過去は鮮明で 見せたい未来は繊細で すぎていく日々には鈍感な君へ 眠らない夜に手を伸ばして 

   眠れない夜に手を伸ばして 眠らない夜をまた伸ばして 眠くないまだね そんな日々でいたいのにな 懲りずに

   眠れない夜に手を伸ばして 眠らない夜をまた伸ばして 眠くないまだね そんな夜に歌う 怪獣の歌

 という「怪獣の花歌」を歌うのです。 

 

 昔はカセットテープに自分の歌を吹き込んでレコード会社に送ったり、演歌だと流しで飲み屋で歌ったり、昭和の古い時代に育った私は連想するのだけれど、Z世代の若者たちは根本的に違うし、決して恵まれた時代に育っていない彼らは、自分の力で自分の感性で勝負していて、これまで社会を牛耳ってきた年配者は、知らない事にはついていけず、輪をかけてコロナ禍で閉じこもってすっかり体力も落ち、認知症になるケースも多いとか。義父母が元気だったころ、よく私たちは「何で私たちのいうことが聞けないのか」と叱責されたのだけれど、どうしても決まっているレールに乗っかることができず悩み続けていたけれど、それから20年たってやっとその訳がわかってきました。

 

 二月に入って最初のゲストはフランスから二人、アメリカから一人で、フランス人は地味好みだし27歳だけれど振袖は着ないだろうといろいろ迷っていたら、まず初めに静かに現れたのは日本語を独学でマスターしている小柄な女の子で、流暢に話すし東京だけ三回来たことがあり、両親はモロッコ人、フェイスブックで知り合った2歳年下の旦那様はフランスに残し、一人で旅行しています。黒づくめの可愛い恰好の彼女はやはり黒の変わった着物を選び、寒いからヒートテックの黒の上下を着て黒のファーを巻いてとにかくあったかくしました。二番手は黒髪でくっきりした眉毛の中肉中背の女の子で、来るや否やフランス人の彼女とマシンガントークが始まり、私はみんな髪の毛が長いなと思いながらさりげなくヘアメイクは自分でやってねと念を押して、私の菊の模様の紺の着物に金の竹が描かれた青い帯を選んだアメリカに住む彼女に「結婚してる?」と聞くと、イタリア人の背の高い旦那さんの写真を見せてくれて、両親はメキシコ人で、Web関係の仕事をしているそうです。落ち着いていて秘めた情熱があって、やっぱり寒いからジーパンをはいたままであったかく着せて、首にはシルバーフォックスの毛皮を巻きました。

 駅名を間違えてちょっと遅くなって最後に現れた大柄なフランスの女の子は、謝りながらすぐみんなと打解け、日本語の堪能なフランスの女の子とフランス語で話しまくり、気がついて英語に直したり、忙しく混乱した言語世界となりました。彼女はボーイフレンドはいるけど結婚していないので、赤の振袖を着て、髪の毛もそれぞれ結い合い、刀を振り回したり陽気で素っ頓狂な女の子でした。日本人の友達と二日前に柴又に来た子がいるので、お勧めでお寺の中には入らず近くの山本亭へ行き、三人は写真を互いに取りまくり、私はいつ終わるか知れない写真撮影の時間を計りながらティータイムを入れ、アニメや音楽や彼氏の話などをしたのだけれど、結婚していない振袖の女の子は気難しい彼氏の事を語り始め、三人のガールズトークは延々と続くのを聞きながら、コロナ前はたいていカップルや夫婦で来ていたのに、今は結婚していても別々の国を旅していたりしているのです。

  夫からティーセレモニーの支度してあるから早く戻って来いと催促の電話があり、ほっておくと一晩中でも語り合いそうな彼女たちを急き立てて帰ろうとしても、お寺の門前でまた写真を撮りまくり、私たちの帰りを待ってお店を閉めないでいてくれた団子屋さんでお土産を買いながら、放牧している羊たちを家に戻す牧童の心境で、ひたすら家路を急ぎました。すぐティーセレモニーをしてお団子を食べ、抹茶を飲んでから、時間もないけれど頑張って一人ずつ点ててもらったら、みんな初めてなのにうまくて、特にメキシコの女の子は所作が綺麗で圧倒され、リトアニアの背の高いジュリアンのお点前に匹敵する勘の良さでした。南米系はお茶を点てることを楽しむ傾向があると前から思っていましたが、終わってプレゼントに黒やオレンジの道行コートをあげて、激しくハグをしてくれて体験は終了、帰って行く三人は何と肩を組み合いながら帰って行ったとチェーンをかけていた夫が言って、「ほんとにノリが良い子たちだった、面白かった」と珍しく満面の笑みでいるのです。

 

 私の頭の中にはVandhy君の「怪獣の花歌」のメロディーが駆けめぐりました。

「眠れない夜に手を伸ばして 眠らない夜をまた伸ばして 眠くないまだね そんな夜に歌う 怪獣の歌」

 もう違う世界にいるのです。結婚も恋愛も家族も民族も、今までとは違う意味を持つものになっている、自分達の気持ちや心や意志や行動は、切羽詰まった瀬戸際にいることを予期しながら、味方を探し拠り所を求め、そして自分達が何かを発信しなければならないこと、それができる時だということを悟っているのです。

 フランスの女の子たちは翌日フランス語で熱烈なレビューをくれて、必死で翻訳しながらこうやってみんな独学で外国語に接していくんだなと思ったけれど、メキシコの女の子は多分くれない気がします。この前来たメキシコのカメラマンの女性もそうだったけれど、自分の中で何かが確立している南米系は、ホスピタリティよりも何を自分が感じて自分の中に吸収したかを大事にしている、寒い日に振袖を着た三人のブラジルの女の子たちのレビューはそれぞれがかなり個性的なものでした。私が反対の立場だったら何に一番インパクトを受けるだろう。私は自分がかなり特殊な人間だとずっと意識していました。でもコロナ以後一人旅の外国の若者たちと多く接触し、日本の若者たちの音楽やその活動方法が新しくなって即世界につながっていることがわかった時、みんなあるものを探し求めている、何のために、自分を滅ぼさないために。私たちは生き続けたい、感動を味わいたい、全てに意味があることを知りたい。多分うちの着物たちはそれ等を考える手助けになるのでしょう。

 三年前に来たメキシコの女の子が青い着物を着て綺麗で、アマチュアのカメラマンに写真を撮ってもらったりしていたのだけれど、帰り際ハグしながら「あなたを連れて帰りたい」とささやかれて、その時はどうその言葉を解釈していいのかわからなかったのです。でも、今はわかるような気がする。新しい自分の感情を増やせる。この着物を着た時の自分はこれから自分を助けてくれる。

 村上春樹が長編小説を書き上げ、四月に6年ぶりに発売されるそうです。嬉しい、また彼の感情世界に浸れる、彼はいつも私の味方なのだ、そう思って待ち焦がれている人たちが世界中にたくさん、たくさんいます。たった一人の人間の頭の中のことが世界を動かしている。彼はもしかして、怪獣村上春樹だったりして。