アルバニア

 節分後の日曜日、スイスから女の子が一人来ました。久しぶりに私も着物を着ようと思って、掃除をしてから午前中着物を二回着て見ましたが、おなかのお肉の付き具合にぞっとし、さらしを巻いて締めたり色々試み、半襟にはこの前百均で買ったレースを付け、帯には可愛い花のチュールを飾り、手首にはウェディングドレスのフリルをほどいたのを巻いて、マスクをしてグレーのベレー帽をかぶって見ました。着物は若い時に買ったつる草模様のグレイのちりめんですが、地味だと思っていたけれどとても素敵な品質の良いもので、鏡を見るとなかなかイケています。体の衰えを隠すには、見る人の視線を違うところへ持って行くことは必要だと納得したものの、この格好ではゲストと真剣勝負することはできないから諦めて脱いで、いつもの恰好でタクシーで来るという彼女を待っていると15分早く玄関に現れた私と同じ位のサイズのアルタはにこやかに挨拶した後、いたるところの写メを撮り始めました。

 仕事で短期間来日していて、二日後には帰るという忙しさですが、大きな地図を広げてスイスの何処に住んでいるのか聞くと、アルタはアルバニア生まれで今は家族でスイスにいるとのこと、私が東欧の事をよくわからないと見て、細かく位置関係を教えてくれたのを聞いていると、そばの国がコソボ、セルビア、ボスニアヘルツェゴビナ、ギリシャ、マケドニア、モンテネグロ、そして海を隔ててイタリアがあって、紛争があったところが多く、新聞で悲惨な状況が報じられていたことを思い出し、そして今もこれからもこのようなことばかり続いていること、この綺麗で可愛い女性もその中にいるのだとわかりました。

 宗教はないけどスピリチュアルなものをより感じるという彼女は、明るいブルーの訪問着を選び、ハイネックの黒のヒートテックを着ているので襟にはさっき私が使ったレースを使ったり、裄が短くて黒いインナーが袖から見えるのでそこにも長いレースを巻いたり、少しずつアレンジを加え、彼女は長い髪はダウンにおろして髪飾りを付けたので、衿も詰めて着せて見ましたが、どちらにしろ綺麗で可愛いので女優さんみたいです。アルバニアの女性は綺麗で、人懐っこくて、宗教にもあまりとらわれないとあったけれど、その通りのアルタは柴又のお寺に行っても着物を着ている女性を見ると「可愛い!」とすぐ近寄って行って一緒に写真を撮ったり、遅い七五三をしている家族のところへ行って子供と手をつないで撮るなど、今までのゲストとはかなり違った感覚でした。カメラマン付きの中国の女の子は浅草で着物をレンタルして、日本人のカップルは家にあった古い大島をしっとりと着こなしていたり、ずいぶん最近は着物事情も変わってきた気がしますが、七五三も決められた時期だけではなく着るのも新鮮で、そういえばうちは家族で来たゲストはどんな時期でも七五三の着物を着せています。

 アルタがとても綺麗で目立つので、フランスから来て写真をたくさん撮っていた女の子に申し込まれてしばらくモデルをしたり、私の好きなお寺の片隅にある二体の仏像の前で写真をたくさん撮ったりした後、帰り道家族のためにお箸をたくさん買い、お菓子などはあまり興味を示さずにいて、アルコールも飲まずタバコも吸わず小食で健康的な彼女はお茶のティーバックは買っていました。綺麗な海が売り物だというアルバニアは産業が無くて働くところもないからスイスに移住したと言っていましたが、何か不思議な感覚で体験を終えました。

 前に買った「世界の民族超入門」という本の東欧の項目を読んでみると、民族とは言語、文化、宗教を等しくする人としているけれど、その定義は難しいとあり、民族紛争は世界中で起こっているけれど、争いの火種はときに領土であり、経済的な問題であり、差別や格差であり、そして宗教問題で、これらすべてを内包しているのが旧ユーゴスラビアで起きた紛争なのだとありました。ギリシャと同じくバルカン半島に位置するユーゴスラビア王国ができたのは20世紀初めで「ユーゴスラビア(南スラブ)」と名付けたのは、オーストリア‐ハンガリー帝国から脱し、南スラブ人の国を作ろうという意思の表れであり「ユーゴスラビア王国」に改称する前は「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」でした。長年オスマン帝国やハプスブルク家の支配に苦しんできた南スラブの人々にとって独立は悲願だったのですが、同じスラブ民族であっても中心がセルビア人というのは、クロアチア人にとっては面白くなくて、第二次世界大戦中にクロアチアが独立したのはその為だけれど、戦争後旧ソ連の支配を避けてスラブ人の国としてやって行くためには、力を合わせなければなりません。アメリカの援助のもと、独自の共産主義国家として歩み出したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、セルビア、クロアチア、スロベニアだけでなく、ボスニアヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロという共和国の連合体となりました。「6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字」という複雑さ、さらにセルビアの中にはヴォイヴォディナとコソボ自治州があり、始まりからすでに「問題が起こらない方が不思議」という国だったのかもしれません。ギリシャ、ブルガリア、そしてユーゴスラビアのあるバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる紛争の多い場所で、オスマン帝国とハプスブルク家の支配によって民族や宗教の構成が複雑化したためで、それは現代においても変わりません。

 ユーゴスラビアの中の同じスラブ人でも、クロアチア、スロベニアはカトリックで、文化的・宗教的に西ヨーロッパに近い。セルビアは正教会で、「ザ・スラブ」といったところで、セルビア語とクロアチア語は日本の方言よりも近いくらいであるにもかかわらず、宗教が違うために文字が異なります。こうした事情で1990年代に入るとクロアチア、続いてスロベニアが独立を望み、ユーゴスラビア紛争が始まります。多数派であるセルビアとの対立構造でしたが、あくまで社会主義国家ユーゴスラビアの独自路線を目指すセルビアと、EU加盟を願うクロアチアの対立、クロアチアを支援するドイツの存在がその背後にありました。

 続いてボスニアヘルツェゴビナが独立を求めます。彼らも同じセルビア語、クロアチア語を話しますが、かつてオスマン帝国の支配を受けた際に改宗したイスラム教徒で、従ってクロアチア人でもセルビア人でもない別の民族と認識されています。宗教が民族を形成した一つの典型例ですが、これが悲劇を生み、イスラム教徒であってもキリスト教徒であっても、「ユーゴスラビア人」としてごく普通に生活していたのに、ある日突然宗教が違うだけで、隣人や友人と民族的な敵対関係になり、奪い合い、殺し合う事になる。紛争が泥沼化するなか、セルビア内コソボ自治州に住むアルバニア人が独立を求めて蜂起しました。バルカン半島の紛争は、ヨーロッパ・カトリック(クロアチア人)VSスラブ・正教会(セルビア人)VS中東・イスラム教(ボスニアヘルツェゴビナ、アルバニア)の三つ巴でもあり、世界の紛争の縮図にも思えます。国連、EU、NATOも介入した末、2006年にモンテネグロが独立したことでユーゴスラビアは完全に解体されました。

 オスマン帝国はイスラム教への改宗を強要しなかったため、ヨーロッパ在住者でムスリムとなった人は、ボスニアヘルツェゴビナとアルバニア以外にはあまりいません。それだけに、この二つの国はヨーロッパの異分子として扱われることになります。イスラム教というオスマン帝国の残した大きな影響が「多様性」というプラスに働かず、「民族・宗教紛争」というマイナスにつながり、残虐な殺戮もあったユーゴスラビア紛争は生々しい負の遺産なのです。サラエボで働いていた日本人が現地スタッフを雇用していた時、皆同じような言葉を話すし仲良くやっているけれど、絶対に民族や宗教は聞けないと言いましたが、ヨーロッパの火薬庫はまだ残っていると言います。

 スイスからゲストが来るとわかった時、私はスイスは日本人にとって夢の国であり、素晴らしい自然に満ち溢れ平和で穏やかで羨ましいと思っていたのだけれど、話し始めてすぐそれは違う世界だと感じ、アルタの説明を聞きながらこの混乱した世界はどこから始まっていたのだろうと悩み出しました。今までのゲストとは全く違います。コロナ前にスイスから来た若い医学生の女の子は、仏教彫刻の中にある8歳の女の子でさえ悟りを開けるとあるのに興味を惹かれていたこと、モンゴルの女の子と結婚してやって来た真面目なスイスの男の子の事、世界中色々な所で暮らしている中国人、みんな明るく屈託なく日本を楽しんでいた気がします。でもコロナ後来る子たちは、もはや観光という言葉では語れない何かを見ようとしている、そして私もギブアンドテイクで物凄い大きな世界の感覚を彼らから与えられ、驚き混乱しながらデジタル社会の恩恵を活用して、あらゆることが調べられる状況に居るのです。半世紀前に午後の日差しを浴びながら居眠りしている頭に、高校の世界史の先生の声がエンドレスに聞こえている、それが今よみがえるのです。「オスマン帝国は…」「ハプスブルク家の支配に…」かすかに聞こえるあの声が、今私がしている仕事の大きな指針となり、支えになっている気がします。

 お寺の龍の彫刻や神社の鳥居の前の狛犬(獅子のような見た目をしているが空想上の霊獣)は魔除けや邪気払いをするために設置されていて、私はそこで阿吽の説明をし、宇宙のはじまりと終わりを意味する狛犬の存在は、エンドレスにつながるサークルのようだと締めくくります。手塚治虫のブッダというマンガにも影響されましたが、自分が生涯かけて追及し知り得たことが悟りとなり、それが仏教なのだとしたら、各々の人間が生涯かけて知ろうと思ったことすべてが悟りの本質であり、あなたも私もブッダになるのだと説明した初期の頃の気持ちが今はあまりないのです。

 もう宗教などどうでもいい、自分の気持ちに一番近いものは何か、古今東西の歴史や地理や科学は、コロナ禍で動けなくなった時でも学ぶことができたのです。Z世代の若者の活躍は、もう自分だけの欲とか争いがわが身を滅ぼす元であるとわかって、いかにより優れたものを作り出すか考え続け、そしてそれが皆の救いや支えになることだけを願って精進する、こんなに楽しいことがあろうかという目を見ていると、ただただ嬉しくなります。

 今日は三人のニューヨーカーが来ます。