シンドラーのリスト

 アメリカのコロラドで行われたフィギュアスケートの大会は、高地のため酸素が薄く、選手たちは疲労度が増して演技が終わると氷の上に倒れ込んでしまって、ずいぶん苦しいんだろうなと同情してしまいます。そんな中で日本の若い選手は良い演技を見せてくれて、特に東北高校の17歳の千葉百音さんの「シンドラーのリスト」は曲を本能的に理解し、自分の表現として現わせる力は天性のものなのでしょうが、小さい時から一生懸命練習し、確かで綺麗な技術を学んできた証が表現力となっていきます。海外の試合に出るようになると時差や高地の酸素不足などいろいろクリアしなければならないことも増えてくるし、ピーキングや精神面の統一など、次から次へと問題も出てくるけれど、結局それらすべての事もみな最終的にはその人の人間性を培うものになるのでしょう。

 シンドラーのリストではドイツの実業家シンドラーが戦争中たくさんのユダヤ人を助けるのですが、コロナ前はイスラエルのゲストが多かったし、コロナ後はアメリカやハワイなどから来るゲストがユダヤの方だったりして、それをある時ヨーロッパのゲストに言ったら顔をしかめられて、民族問題は難しいと痛感しています。シンドラーのリストの音楽は素晴らしくて、ロシアを始めいろんな国のスケーターが滑っているけれど、この17歳で東北に育った女の子が作り出す表現風景というものは映画で描かれた悲惨さや悲しみでもなく民族の複雑さでもなく、それは柴又のお寺にある仏教彫刻を十年間真摯に彫り上げた彫刻師が表しているもののようで、その中に8歳の女の子が悟りを開いたという彫刻があり、それを見た二十歳のスイスの医学生の女の子がじっと見ながら感動していたのだけれど、年に関係なく、いる場所や背景に関係なく、真摯に努力を重ねている彼女が醸し出す何かは人の心を導く物になるのかもしれません。

 演技を終えると素顔に戻って人形を可愛がったり良い点数だとガッツポーズをする姿は年相応の可愛い女の子の百音さんが作りだすシンドラーのリストの世界は、ロシアの女の子のように映画の中のユダヤ人の女の子に扮してその悲しみと嘆きを演じたのでもなく、自分の表現として切々と醸し出すのでもなく、日々の生活や学びや感情を積み重ねてできたもので、何が正しいかいつも考え、正しい指導者の下、正しい努力をしないでいると恐ろしいことになるということをいつも考えなければいけないのでした。 

 新聞に中村吉右衛門さんの評伝の書評が載っていて、「表現技術というものは最終的には本人の生き様であり、人間性が出るのだから、歌舞伎にきちんと向き合いなさい」と弟子に言っていたとあって、千葉さんもスケートというものにきちんと向き合って今まで過ごしてきたという証が身体に染みついているのだろうなと思います。今まできちんと生きてきたかどうかが問われるのは恐ろしいことだと思うけれど、それを修正し発展させる場があるかどうか、年を重ねても努力し続けられるかが大事だと感じることが多くなりました。

 コロナ禍の中ではただじっとしていなければならなかったけれど、やっと訪日外国人も増えてきて柴又の山本亭で働いているスペイン語の堪能なみさこさんは、「綺麗なスペイン人が着物を着て来てたわよ」「ここで行われるイベントの紹介をしたの」と嬉しそうに話していて、教養と能力と努力が変わらず彼女を輝かせているなと感じています。

 私たちは間違った方向に行ってはいけない、踏みとどまらなければならない、それは日々の生活も一緒です。気持ちを落ち着かせ、前を向いてなすべきことをしていく。欲を出してはいけない、人を殺めてはいけない、私たちに寄せられたご縁を大事にして、出来る限りのことをして、自分を磨いていかなければならない。私たちは何を持って戦えばいいのか。日々の生活の丁寧な積み重ね、すべての物に対する愛情の積み重ね、思い通りにいかない事や失敗、屈辱にも、正々堂々立ち向かうことが大事なのです。

 今朝5時にテレビを付けたら、クラシック倶楽部という音楽番組でフランスのカントロフという若いピアニストがシューマンのソナタを弾いていて、何気なく聞いていたのにあっという間に彼の世界に引き込まれ、この力は何なのかと考える暇もありませんでした。いろいろな演奏者を聞いているけれど、その作品をどう表現するのか、どう演じるのか、どう解釈するのかに関心を寄せ、その表現や解釈をピアニストを通して聴き手が共感し、その共感の大きさが広ければ広いほど記憶に残るインパクトのある演奏になります。そこには「ピアニスト」がまず存在しているのだけれど、カントロフの場合はどこか新しい世界でピアノを弾いている感があるのです。シューマンもリストもカントロフが弾くと別の本のタイトルのようになり、彼が立って本棚から本を取り開いて読むように、彼の行動や気持ちがスクリーンのように曲に投影されていきます。リスト《巡礼の年第2年「イタリア」から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」》 モンポウ《歌と踊り op.47-6》など聞いたことのない曲なのに、カントロフの唖然とするほど鮮やかなピアニズムによって、彼が弾く楽曲の世界ー音楽そのものに没入させられ、まるで「永遠」の世界に連なったり、シューマンのソナタでは彼の不安定さによりこれからいったいどこへ進むだろうかという疑問が湧きあがりどことなく落ちつかず、完全にハッピーではなくて彼のパニックに陥りそうな感情が強く現れている、人間が永遠に彷徨うような不安や怖さを感じるのです。人類の後には何があるのだろうか、音楽の向こうに何が待ち受けているのか。プログラムを決める時には本能的な部分に頼っているというけれど、ヴァイオリニストの彼の父も直感を大事にし、いつも感情を前面に押し出す演奏をして、彼のエネルギーそのものが音楽になっている印象があります。ピアノの演奏では到達できないような更なる何かを創作しているとしたら、これはもう天性の才能なのでしょう。

 周りにちやほやされて、練習を突き詰めてやらなくてもスカウトされてしまったイケメンの背の高いロシアのバレエ学校の生徒の男の子が、卒業する時先生に言われた言葉が「君をちやほやする人間たちは、君をいつか滅ぼすんだよ」というのでしたが、高地で酸素が薄くても普段通り素晴らしい演技ができた女の子たちはひたすら努力してきたことを証明しているのだとしたら、大いなる自然というのはいつも私たちを見守っているのかもしれません。素晴らしい芸術は人々の心に寄り添い、慰め、そして救いになる。そのために励んでいる若い魂たちの成長を見続けて行きます。