ブラジル

 朝から今日来る100㌔と140㌔のゲストに何を着せようか悩んでいたら、10時少し前にブラジル人カップルの予約が急に入り、私は完全にパニックに陥り、とにかく男性は何とかなるから100㌔の20才の女の子には一番大きい振袖を着せるしかないなと思っていました。そわそわして一時に外で待っていると、「到着しました」とメールが入り、何と違う町のうちと同じ番地の家の写真が添えられていて、慌てて「No!」と連絡したものの、何でこんな間違いをするのかしらと不思議になり、懇切丁寧なうちまでの道順のメールを出しているのにと悲しくなりました。そこへなんとベビーカーに男の子を乗せたブラジルのカップルが到着、子連れなんて教えてくれてない!、もうなんだかわけがわからなくなりつつ、靴を脱いで歩き回る三歳のアントニオ君と看護師の奥様、十歳年下でブラジルで柔道を習って黒帯の御主人にとにかく着物を選んでもらっていたら、中国人カップルが到着、それが普通体型でスリムなのです。「えーっ、話が違いすぎる!」と寝ぐせの付いた頭の背の高いボーイフレンドにきいたら、アプリの翻訳機能がおかしくて、住所も体重も間違えたそうです。

 もう!翻訳機能に対する怒りと、普通サイズの女の子には好きな振袖を選んでもらえるという安堵感とが一緒になって、複雑な気持ちの私の周りをアントニオ君は走り回り、おもちゃを持ってきて遊ばせながらブラジルのママにピンクの訪問着を着せていたら、子供にも着物を着せたいというので七五三の紫の羽織を出し、ヘアメイクがわからないと言うママには簡単にやってみてもらい、中国の女の子に白地に赤い模様の入った振袖を着せ始めました。一人っ子でシンガポールでファイナンスの勉強をしているそうで、生まれは重慶、長野に来たことがあるとのこと、いろいろ聞きながら着付けていると、振袖を着せかける時長襦袢の袖を持って入れやすくしたり、帯を締める時も長い袖を持って私がやりやすいように補助してくれたり、無口なんだけれど的確に動いてくれるのです。何百人も着付けている私にとってこれは初めてのことで、彼女が着る姿を見ていた彼氏は、中国人のおかあさんが日本語を勉強していたので教えてもらって少し話すことができるし、漢字もしっかり読めるのです。

 はじめ中国人二人のゲストはお寺に行っても関心がないだろうからやめようかと思っていたのですが、彼らは柴又へ行っても仏教彫刻を熱心に見ているし植物や鳥の彫刻の下の難しい漢字も読めるし、いやはや知的なカップルでした。走り回るアントニオ君はパパに叱られオンオン泣きだし、それでもママは我関せず自撮り棒で写真を撮りまくり、複数のゲストの時の悪いパターンになってきたのだけれども、中国人カップルの静かな知性に助けられ、何とかお寺を出たら、ママはリュックからみたらし団子を出してベビーカーのアントニオ君に持たせ、鼻水や涙はパパの手袋で拭いてやっと大人しくなり、私は団子のたれでべたべたしてしまうと心配したけれど、中国人カップルも食べたくなったようで自分達で買って食べ出すし、もう見てみないふりをしながら無法地帯と化した体験になってしまいました。

 ママはおじさんが日蓮宗だそうで、その話をしたり、彫刻についても質問していたけれど、パパは関心がなく、なんだか柔道の事を話している時が一番楽しそうで、ママがこういう話を日本人とするのが嬉しいのだと言っていたけれど、十歳年上のママと結婚して子供が生まれてからは柔道の稽古もしていないから、いろいろストレスもたまるのかもしれません。ティーセレモニーも強行しましたが、アントニオ君は小さい干菓子を食べ続けて大人しいので男性二人にお茶を点ててもらったら中国の彼氏はとても上手で、ブラジルのパパは茶道文化が全く理解できなかったけれどシェイクするのはとてもうまく、さすがイクメンと感心しました。

 帰り際二階の和室も見せて、タンスの引き出しが閉めると飛び出すマジックにアントニオ君は喜んでくれ、めちゃくちゃの感がある今日の体験は終わりました。ブラジルのパパは夫と柔道の話をしたのが本当に嬉しかったようで別れを惜しみ、ママはプレゼントしたヘアオーナメントの箸でざっくりまとめた髪の毛を止め喜んで帰って行ったけれど、今日ほど「アナーキック・エンパシー」を感じたことはなかった。正直に言うと柔道とコーヒーの話以外はパパは会話しにくく、最近私がメインテーマにしている宗教とか文化については口を閉ざし、でも夫と話している時はとても楽しそうだったので、それはそれでとても良かったのです。それこそ夫とは共感をベースとした他者理解だし、私の提示するものは彼の価値観や世界とは違うものです。ここではない世界や価値の尺度が複数あると実感したのは、反対に私の方だったのですが、だから今いる場所でしか生きられないと切羽詰まることもなく、特に今は多種多様な外国人が来ていることもあり、世界は広いし価値観は多様だから、楽観的であればいいのだなあと後で思っていました。ベストではないけれど、十分に良い状態を差し出し、穏当にgood enoughでまあ受け入れられるという方法を見つけていく、異なる伝統や価値観を持った多種多様な人々がエンパシィーを使って話し合い、折り合って解決法を見つけていくことが一番大事だというなら、昨日の体験はまさしくその通りでした。

 前にブラジルの若い女の子三人が振袖を着たとき、あまりに寒くて風が強かったのと、着付けのヘルプの方が来てくれて、私があまり着せなかったためコミュニケ―ションが取れていなかったせいか、個々の記憶がなくてあとでお詫びのメールをしたら、三人がそれぞれ個性的なレビューをポルトガル語で書いてくれたことがとても印象に残っていて、ブラジルには日本人の移民も多いし、どういう民族性を持っているのか気になっていました。そういえば一人旅のブラジルの女の子が草履が嫌でスニーカーで柴又へいき、すべてが入ったハンドバッグをお寺の中で置き忘れて平気でいたこともあったし、独立感が強いような気もして、はっきり自分の意志を主張するタイプが多かったのです。

 世界で一番人種差別が少なくて融和的な国はどこかという問いに、カナダ、シンガポール、ブラジルを挙げた方がいたそうですが、ブラジルはあらゆる血が入っているので自分でも把握しきれず、ブラジル人として自国を誇り愛している国民性だと言います。スペイン語を少し習った私は南米から来るゲストとはコミュニケーションが取れると嬉しいけれど、ブラジルだけはポルトガル語だからわからないし、レビューまでポルトガル語で書いてくるのは何でだろうと思っていました。誇りがある、アイデンティティが揺らがない、スペインに支配されるよりポルトガルの方がよかったのかしら。

 アントニオ君がいるせいもあって、ブラジル夫妻は中国の若者たちとはあまり話さず、静かな知性的な彼らはこの体験をどう感じたのか心配だったし、彼のスマホの翻訳機能の不備も気になって、中国の男の子にバタバタしたものになって申し訳なかったけれど、ガールフレンドの着物を着せた時の仕草やあなたの日本文化への知識に助けられた、ありがとうとメールを送りました。丁寧な文章の返事は、今まで知らなかった素晴らしい文化に触れることができて感激している、私たち夫婦が健康でこれからも過ごせるようにとあって、これが20歳の中国の男の子なのかと感心しつつ、世の中はもう腐敗した大人の住処ではなくなってきているんだな、特にコロナ後は新しい風が吹いていることを感じています。

 ブラジルのファミリーを見ることも、彼らにとっては新しい体験だったのでしょう。でもやはり、彼らに着せた着物の高品質さと、お孫さんのために作ったおばあちゃまの愛情が詰まった唯一無二の振袖をあの女の子に着てもらえたことが、私の誇りです。