Gift

 きのうは雛祭りでした。その日に雛人形を出すのは遅すぎると思いながら、すべての人形を今まで飾ったことのない場所に置いて見ると、人形たちがそれぞれ今までと違う表情を持ち、その空間も異質なものになっていきます。ガラスのケースも壊れそうなので、人形さんを出してそのままに飾るのですが、本当に生きているようで、仏間の義父の写真の下には次女の人形、着物ルームには長女の人形、待合室にはお内裏様とお雛様、神棚のある部屋には義母の立雛を飾りました。今までは並べて飾ったのだけれど、配置を変えてケースから出して置いて見ると、着物の質感や着方が面白くて、物の見方も変えるとこんなに違うものになるのだなと感じながら、あらためて世界が段々変化していくさまをリアルタイムで見ていること、その中にいて動ける歓びがつのります。

 古い着物をいただいた方が、使い道がないので全部私のところに下さり、それを運んでくださった方ときのう遅くまでいろいろな話をしました。着付けの師範の資格を取り自営の仕事を手伝いながら子供さんも大きくなり自由にゴルフをしたりヤクルトスワローズの応援をしたり公私ともに楽しんで飛び回っているのに、着物の仕事をすることに不安があり、もやもやしていると話す彼女は長女と同じ年で、すべて持っている彼女と何も持っていない娘の差に愕然とするのだけれど、いくら練習しても練習しても不安だという気持ちは私はおかしいと思うのです。着物は文化です。文明と文化の違いを義父が語っていたけれど、残すべきものは、大切にしなければならないものは文化であり、それこそが世界を存続させる方法なのです。

 娘が歌舞伎観劇に行くお客様に早朝着付けをしながら、玉三郎さんの芸術について熱く語り合い、こんな話をしたのは初めてだと言っていただき喜んでくださった話を聞いた時、娘は着物を着せるという仕事の中に文化についての何か真髄を味わっていただいた、それがほんの一瞬の事でも、着物を着て大好きな歌舞伎を見に行き、なぜ自分がそんなに好きかという本質を語り合えることができた、すべてがトータルで喜びや生きる活力につながる、私は多くのゲストに着物を着せて、寺町を歩き人々と触れ合い神や仏について語り合い、最後にティーセレモニーをして抹茶を味わうというそのすべての感覚が一つになることを願ってこの仕事をしています。最後にゲストに着物に関する何かをプレゼントしてきて、もう十分いろいろなものを受け取ったからそれはいいと遠慮されたことがあったのだけれど、物としてのプレゼントではなく、神さまの贈りもの、giftをゲストはとうに受け取ったと言ってくれたのです。私がたくさんの方々の想いをゲストに差し出そうと努力して頑張っていることは、ひとつの才能かもしれない、でもここまで来るのにどれだけいろんな経験をして悩んで苦しんで迷ってきたことか、自分が生きている事すら何にもならないと泣いたことが、最後に色々な方々に届くギフトになる不思議に神様の力を感じるのです。

 ブラジルから来たゲストが私の体験をvideoにとってインスタグラムにあげてくれたのだけれど、良くまとまっていて、私が何をしたいのか、何を彼女達にギフトとして差し出しているのかが、ゲスト側の見方としてわかるのです。この時は旦那様が柔道の黒帯を持つ有段者で、夫と話が盛り上がり本当に嬉しそうで、日本の柔道というものを二人で語り合ったという経験は旦那様の心に一生残るものでしょう。また急に予約が入りました。だんだん暖かくなってきます。