ああ、楽しかった!

 本当に温かくなった土曜日、予約してきたのは韓国の女の子二人で、なぜか英語を使わずハングル語でメールが来るので、少し遅れるという彼女たちを待つ間簡単なハングル語を覚えようとスマホで検索していたら、玄関に現れたユナちゃんは英語でなく日本語で挨拶してきました。アニメやアイドルが好きで日本語を覚えたそうですが、友達の小柄な女の子は英語でないとだめで、日本語韓国語英語が入り乱れる会話をしながら、着物の選択を始めたのですが、ピンク好きで大柄で髪の毛も短いユナちゃんはあっさりすべて選んで、ピンクの訪問着着て喜んでいるのだけれど、ちょっと個性的なソヨンちゃんは若いのに老成したタイプで人形や小物やあるものを写真に撮りながら、なかなか選択ができず、沢山の着物を引っぱり出しあれこれ羽織りながらも決定しないで、うずたかく着物の山が積まれるのて行くのを横目で見ていた私は、せめて長い髪を自分で結ってと言って見たけれど、彼女はどこ吹く風でお煎餅を食べ出しました。

 面白いタイプだなと思いながら結局この前オーストラリアの女の子が着たのと同じ紺のあやめ模様の小紋を着て髪の毛も私がアップにして七五三の髪飾りを付けたらとても気に入ってくれました。そこらじゅうで自撮りを続ける彼女たちを帝釈様まで連れて行ったけれど、ライトアップされた浅草寺が綺麗だったと言っていたし、四時近くになっていたので山本亭へ連れて行き、またまた延々と写真を撮り続け、のどが渇いたとアイスコーヒーと抹茶をそれぞれ注文しながら、ユナちゃんは「楽しい、楽しい」を連発しています。歴史も仏教も抹茶の飲み方にも関心がないことがわかったので、今日はこのままうちに帰って終わらせようと夫に連絡しながら、動きのげしいユナちゃんの帯が緩んできたのを心配しつつ、最後の特売セールのお団子セットを買って駅で電車を待ちながら食べてもらい、五時過ぎに家に帰りつきました。これからメイドカフェに行くというのに、ヘアはアップのままでいいというので付けていた髪飾りをプレゼントし、「楽しかった」と相変わらず連発する二人を見送りました。

 これはこれでいいのでしょう。今日半日をとても楽しんでくれたし、山本亭でイランと日本のハーフだという女性に写真を撮ってくれと私が頼まれ、若い子の感性の方が良い写真が撮れるのが身に染みてわかっているので、撮影場所を譲ってもらってユナちゃんが連写して撮ってくれ、イランの女性は「優しい!」と喜んでくれたり、そう、そういうタイプの可愛い女の子たちです。

 

 テレビは毎日WBCの日本の活躍を伝えていて、夫はずっとテレビにくぎ付けです。たいしたものだなと思うし、震災で家族を失った若いピッチャーも素晴らしいピッチングで勝ち、皆の心が一つになって浮き立っている中で、仙台のスケートリンクでは震災の日を挟んで三日間のアイスショーが開かれ、スケーターや異種目の体操の内村航平選手とのコラボが行われていました。「満天の星」という意味のイタリア語の歌の題名が付けられたこのショーの中で、みんなの温かいサポートを受けながら、3月11日、涙を流しながら黙とうした後で、羽生選手はmorgue(遺体安置所)だった体育館で心の叫びと苦しみと慟哭を込めたスケートを滑り、スケートリンクの下の魂たちを天に送り続けたのです。

 誰かがしなければならなかったことを、彼はした。簡単にできることではない、彼の中の暗い資質と光を求め続ける魂がスケートというツールを磨き続けて、できたものなのです。涙に詰まりながらした最後の挨拶で「とにかく未来が何も見えない、なにもわからない、こんな世の中で毎日毎日生き抜いてください。この12年間を毎日一秒ずつ生きてきた、この愛おしい愛おしい12年間をまた今日からまた一秒づつ一日づつ続けて下さい。僕もそうやって生きて行きます」「今日ある命は明日もあるとは限りません。今日の今の幸せは、明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください」 心からの表現、それぞれが持っている資質、真剣に悩んで苦しんでそれでも前へ進もうとする努力、深い闇の存在を感じ取れないと表現できない、やむに已まれぬ衝動は、苦しんだ末に出てくるのです。

 心が動く時、空気が動く時、音が動く時、人は生きていることを幸せに思う。何かを表現する手段を持つということは、神が与えたもう祝福であり、自分を甘やかさず追い込んでやるべきことを追求し、自分の世界を表現し続けた時得られるものなのでしょう。

 

 私の着物体験も、だんだん変化してきて、多種多様な人たちがたくさん訪れるようになり、夫が悲鳴を上げてきました。韓国の子たちのようなタイプもいます。もっと根本的に、着物が着れないサイズの子も来ます。どうやってもどうにもならないけれど、どうにかして最高の振袖を羽織らせ、極彩色の打掛をかけ、髪飾りを付け扇子を持った彼女の写真を撮る夫の声は、心からの慈愛に満ちている。他のゲストに着物を着せながら、喜んでポーズをとるゲストの声を聞いていて、私は夫に負けたなと感じていました。レビューで夫を褒める言葉が多いわけです。着物を着せることが前提だけれど、それができない時なんで勝負したらいいか。黒振袖の重厚なもようと、最近お借りした極彩色の色打掛のハーモニーは、写メを撮って見てみると光輝いて見えて、これで良かったとは思えないけれど、あと二人のゲストが普通に着物を着て三人で写真を撮ってみると、一番目立つのは色打掛で、彼女の顔は明るく輝いていて、それが全てです。夜に送られてきた彼女のレビューには、初めから最後まで、私は自分自身でいられたとありました。近くの神社に行く時には、義母の古いモダンな銘仙の生地で作った羽織を着てもらい、通りがかりの方に声を掛けられると私はこの銘仙の素晴らしさをアピールしていました。これを着たゲストは初めてで、サイケデリックな模様は彼女に良く似合いました。

 人の心を動かすことができる着物とはなんでしょう。サイズ的には全く無理だったけれど、私は彼女に最高級の着物の質感、滑らかさ、心地よさで何かしらの感情を呼び起こしてもらいたかった、可視化できるものではないもの、ゲスト皆のいろんな背景、価値観からいろんな風景が見えて、背景に合わせた意味が生まれたら私は嬉しい。そしてそれを支えてくれる夫の優しさに、心から感謝しています。